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結果の出ない治療
前回の続きです。

通院先の婦人科は、大層繁盛してる病院でした。
待合室には患者さんがいっぱい。出入りもひっきりなしだった。
予約をしていても、平気で2時間3時間待たされる。

病院&待たされるのが嫌いな私。
予約してんのに、なんでこんなに待つのさ。一体、なんの為の予約なのさ。
と、心の中で悪態をつきながら、待つ事3時間。

ようやく診察室へ入り、担当のドクターと顔を合わせた。
ドクターは、60代位のひょろっとした神経質そうなおじいさん。
あいさつの後、これまでの経緯について、説明を受けます。

お母さんの不調の原因は、ホルモンバランスの崩れが原因だと思われます。
そこで、今はホルモン補充療法で、様子見をしてる最中です。
症状は一進一退。良くも悪くもなっていません。そんな状況が5年ほど続いてます。
というものでした。

ここで、疑問がふつふつとわいてきます。
5年も通院して何も変わらない。そんなもんなのか?

悪化しないだけ、よしとしなければならないのか?
これって、意味のある事なのか。
私には、結果の出ない治療に、お金と時間を費やしてるとしか思えない。

しかもウチの母は、持病を抱え数種類の薬を飲んでいる。
それに加え、ホルモン剤まで飲み続ける。あんまり体に良くなさそうだよな。
当初は聞くつもりがなかったけど、思わず疑問をぶつけてしまった。

私 「ホルモン剤って、絶対に飲まなくちゃいけないものなんですか?」
先生「私は、そうした方がいいと思います」
私 「副作用が心配なんですけど、その辺ってどうなんでしょう」
先生「薬は、どんなものでも副作用があります。それを言ったら、何もできませんよ」

ほー。そうですか。そんなもんなんですね。
ちっとも良くなってないのに、ずいぶん自信満々だなあ。

私 「それにしても長いですね。更年期障害って、こんなに長引くものなんですか」
先生「個人差があります。平気な人もいます。なんとも言えません」
私 「では、母の症状がいつ良くなるかまでは、わからない。そういう事ですね」

これに対しての返事はなかった。ドクターは黙ってしまった。
この様子を見て私は、良くなるとも悪くなるとも、わからないんだな。と判断した。
まあいいや。治る治らないについては、とりあえず今は置いておこう。

むしろ本題はこっちだ。「おかしい」発言の真偽を確かめなければ。

私 「すいません。あともうひとつお聞きしたい事がありまして」
先生「なんでしょう」
私 「実は、母が先生から、気になる事を言われた。と言ってまして」
先生「というと?」

ここで、母が先生に「頭がおかしい云々」と言われた。
これは本当に言った言葉なのか。聞き間違いなのか。
言ったとしたら、どういう意味で言ったのか。という内容を問いただした。

するとドクターは、心外だ。というように言ってきた。
先生「私はそんな事言ってません。お母さんの勘違いです」
私 「そうですか。わかりました」

言った言わないという話は、しょせん水掛け論にしかならない。
もういいや。これ以上話しても、あんまり意味がなさそうだ。
私としては、ここで終了して帰るつもりだった。しかし。

先生「ちょっと待って下さい。あなた、一体なんなんですか?」
それまで穏やかだったドクターが、ここで豹変した。

先生「いきなりやって来て、勝手な事言って。失礼じゃないですか」
何やら、怒りだしてしまった。

続きます。

実家のこと | 08:20:25
更年期中のメンタル
前回の続きです。

母のメンタルが一番悪くなったのは、55才の頃。
常にに不安感に襲われる。体が重い。夜は1時間おきに目が覚める。
気の休まるときがない。会うたび、暗い顔で愚痴をこぼしていた。

毎日毎日、母から愚痴を聞かされる父は、うんざりしていたと思う。
2人でウチへ遊びに来た時に、こうぼやいた。

父 「俺まで、おかしくなってしまいそうだ」
母の調子の悪さに、父まで引っ張られてしまいそうだった。
これはいかん。このままだと、お父さんまで病気になってしまう。

この頃、私は出産を控えていた。そこで私はこんなことを考えた。

そうだ。出産後、少しの間ウチへ来てもらうのはどうだろう。
ひょっとすると、生活に変化が出て、少しは気持ちが晴れるかもしれない。
お父さんも少しの間、愚痴の聞き役から解放される。

そう思い、出産後は2週間ほど滞在してもらい、育児や家事を手伝ってもらった。
けど、思惑通り上手くはいかない。鬱鬱とした表情に変化はない。
夜も寝れていない様子で、顔色も良くなかった。

一番困ったのが、なんの前触れもなくいきなり泣き出すこと。
「孫の顔が見れて嬉しいはずなのに、ちっともそう思えない」

そう言い、横でさめざめ泣き始める。そして目の前では生後間もない娘が泣く。
こっちが泣きたい気分だ。勘弁してくれよ。とさえ思った。
結局、調子の悪さは治ることなく、実家へ戻っていった。
それから3年ほどは、この状態が続くこととなる。

私も心配ではあったけれど、ウチにはウチの生活がある。
母親の事だけ気にしてはいられない。自分の足元を固めるだけで精一杯。
そのうちに私は、仕事を始めた。慣れない子育てに格闘もしていた。

仕事と家事と育児と忙殺される日々を過ごす。
そんなある日のこと。父と母がやってきて、このような相談を私へしてきた。

母「私が通ってる病院の先生が、この間、妙なことを言ってきたんだよ」

当時、このメンタル不調の原因は更年期障害だと診断されていました。
月に一回、婦人科へ通院して、ホルモン補充療法を受けていた。

私 「妙って何が?何を言われたの?」
母 「私の頭がおかしい。変だ。って言ってきた」
私 「え。本当に?聞き間違いじゃないの」
母 「聞き間違いじゃない。私はハッキリ聞いた。おかしいって言われた」

その場にいない私には、どうしてそんな事を言ったのか。
本当に、そんな事を言ったのか。という判断のしようがない。
いつも一緒に病院へ行き、説明を受けていた父へ聞いてみるも。

父 「いや~・・俺、そのあたりの会話は、全く聞こえなかったんだ」
ウチの父は、左耳が聞こえません。かつ、右耳も聞こえが悪い。
なのでこの時、母と医者がどういうやりとりをしたのか、要領を得ない。

そして母はぐちぐち言い始める。
「やっぱり私は狂ってるんだ。おかしいんだ」
また始まったよ。と、聞いてる私、次第にイライラ。
ここでああだこうだ言っても、埒が明かない。そこでこう提案しました。

私 「わかった。今度の診察いつ?一緒に行って、私がその医者と話してみるよ」

こうして。母の通院先の婦人科へ、私も一緒に行く事になります。
続きます。

実家のこと | 08:14:32
心配の種を探す
前回の続きです。

50才の時に、メンタルを大きくを崩した母。
きっかけは、借金の完済に伴うライフスタイルの変化。
加えて、閉経の時期が重なったのも良くなかった。

最初は更年期障害を疑い、まず婦人科で診察を受けました。
病院で出た結論は、ホルモンバランスの崩れからくる精神的不調。
そこで、母はホルモン補充療法を始めることにします。

しかし。ここから長かった。述べ5年以上、通い詰めることとなる。
その間、ずっとホルモン剤を飲み続けるが、不調は改善されなかった。

この頃の母は、しょっちゅう電話をかけてきて、不満や愚痴をこぼしていた。
「みんな、私の事、頭がおかしいと思ってる」
「あの人、この間こんな事言った。きっと私の事が嫌いなんだ」

そんなことないよ。もし、そうだとしても気にしなけりゃいいじゃん。
と、私は何度も言うけど、聞く耳など持たない。
相手の態度や言葉を深読みし、被害妄想に取りつかれ、悲観する。

私は訳がわからなくなった。なんでこうなっちゃうの?
口にする言葉は、大変だった頃と変わらない。むしろ愚痴に拍車がかかってしまった。
もう借金無くなった。残りの人生、のんびり楽しくやればいいじゃん。と思い

私 「編み物やるとかさ。カルチャースクール行ってみるとかしてみれば?」

と言ってみるものの
母 「目が疲れるから、編み物はイヤだ。出かけて、人と話すのが怖い」
と、ことごとく却下されてしまう。もう打つ手なし。といった感じだった。

想像するに。
おそらく母は、急な環境の変化についていけなかった。
長年染み付いたネガティブ思考は、簡単に払拭できない。
私からすると、どこか「不幸になる種」を探してるように見えた。

それまでの母は、どちらかというと物事に対し後ろ向きな姿勢だった。
先の事を心配し、悲観し、不平不満を持つ。敵を作る。愚痴をこぼす。
逆境時にはそうすることによって、心のバランスを保ってきたともいえる。

そこへ突然ふってわいた、幸運な出来事。
何日も断食をした人間に、いきなりご馳走を食べさせたようなものだった。消化不良を起こした。
体同様、心にも変化に対する準備期間が必要だったんだ。

気をつけなくちゃいけないんだな。不運だろうが、幸運だろうが関係ない。

ベクトルの向きが違うだけで、本質的なものは一緒なんだ。
「物事が大きく変わる」時というのは、細心の注意を払わなければならないんだ。
数年間、悩み続けた母を見てそう感じた。

思いもよらない事態に、見かねた父がこんなことを言い出す始末。

父 「こんなふうになってしまうんだったら、借金があった方が良かった」


続きます。

実家のこと | 08:01:04
不幸体質が抜けきらない
前回の続きです。

農地を売り、借金を完済した父と母。

しかし。これ以降はしばらくの間、根も葉もない噂を囁かれるようになる。
農地を手放してからというもの、周囲の態度が微妙に変わったそうです。

田舎なので、こういう話はひろがるのが早い。
みんな刺激に飢えてる。変わった出来事があろうものならもう大変。
あっという間に、ご町内ほとんどの人間が知ることとなる。そして。

噂がひろがる途中で、尾ひれがくっつき、実態とはかけ離れた内容となってしまう。
「1億円で畑を売って左団扇になった」
「農地を売ったお金で、豪邸を建てたらしい」

農機具を交換する。車を買う。例えそれが、中古の安い品であっても
「お金たくさん貰った人は違うね~。いくらで売れたの?」
と、やっかみ半分で、痛くもない腹を探られる始末。

怖いよなあ。でも気持ちはわからなくもない。
だってこれは、汗水たらして働いて得たお金じゃない。
どちらかというと、宝くじに近い感覚。ラッキーの一言に尽きる。

「なんであそこんちなんだ。ウチに来てくれば良かったのに」
と、腹の底では思ってる。逆の立場だったら、私だってそう考える。
それでも人の噂も七十五日。やがては関心が薄れていく。

債務弁済という重荷から解放された。
これからは自分の為に働き、好きな事ができるようになる。
ちょうどこの頃、私は妊娠した。じきに、初孫の顔を見せる事もできる。
良かった良かった。と、私は単純に喜んだ。


けれども。そうは問屋がおろさなかった。

なんと、借金完済を境に、母がメンタルを大きく崩してしまう。
この時は、トラブルなどなかった。むしろ、いい事が続いていた。
それなのに、次第に様子がおかしくなっていく。

突然攻撃的になったり、泣き出したりする。
何を思ったのか、いきなりクワを持ち出し、父を追いかけまわした事もあったという。
母曰く 「自分でもわからない。きっと、頭がおかしくなってしまったんだ」

自分で自分の心を持て余している様子だった。
父も困り果てていた。原因がさっぱりわからなかった。ただ、この時。
農地買収の際、電力会社の人が発した「最後の言葉」を思い出す。


今までご苦労され、大変でしたね。でも、本当に大変なのはここからです。
中には、安心してガクッと来る人もいます。くれぐれも気をつけて下さいね


突然の大金を手にして、身を持ち崩す。自分を見失う。気が抜ける。
そうなってしまう人は、思いのほか多い。頭ではわかっていた。
けど、どこか人事のように感じていた。ウチは大丈夫、と。

甘かった。こういう事だったんだ。
先方はたくさんの事例を見てきている。その上での忠告だったに違いない。
張り詰めていたものが、急に無くなってしまった時の人間は脆い。

苦労を重ねてきた人は、逆境への耐性がついてる。
けど。突然の幸運に対してはどうだろう。

歯を食いしばり、じっと我慢し続ける。という、これまでの思考パターンから脱却する。

それは思ってるより、難しいものなのかもしれない。

続きます。




実家のこと | 08:16:09
何が幸いするかわからない
前回の続きです。

ある日突然、ふってわいたような農地の買収話。
最初聞いた時は、私も父同様に不思議さと胡散臭さを感じました。

どうして、あんなド田舎の農地を欲しがるのか?
他の場所ではなく、なぜ、実家の農地を選んだのか?

でも、話を詳しく聞いていくと、なるほどなあ。と思う事がたくさん出てきます。
この手の施設は、そこそこの大きい敷地面積を要する。
人口密度の多い場所を選択すると、交渉する人間の数も多くなり、経費もかさむ。

辺鄙な場所というのは、先方にとっても都合が良かった。
場所の目星をつけたら、あとは買収に応じてくれる地権者を探す。

但し。ここからは、かなり慎重にことを進めなければいけない。

父 「向こうは、ウチの内情を色々調べてから来たようだった」

先方はこちらの懐事情も、所有してる農地の広さも把握していたようです。
おそらくは、入念な下調べと調査の末、交渉へやってきた。
買い取る側からすれば、面倒な事を言わない地権者がいいに決まってる。

田舎の人間はお人好し。などと思ったら大間違いで、がめつい人間は多い。
この手の話を持ちかけられ、ここぞとばかりにふっかける輩もいる。
先方もその辺は重々承知している。なので地権者選びには、特に慎重になる。

ここで、自宅と本家の2か所に農地を持つ。という実家の特殊な事情が幸いした。
本家の農地は、元々ウチの土地ではない。
耕作する人間がいないので、仕方なくウチの親が管理してたに過ぎない。

本家の農地を売っても、自分達の農地は残る。元に戻るだけの話だった。
農地を売る事によって、収入が著しく減るとか、離農に追い込まれる事はない。

けど、普通の農家は違う。農地はお金を産む大切な資産。
農家にとって、農地を手放すのは、それが一部だとしても死活問題。
ましてや全部となると、それ相応の買収金・補償金を求めることになる。

父 「面白いんだよな。ちょうど、借金が無くなるような価格を持ちかけてきたんだ」

ここで先方の提示した金額が、高いのか安いのかはわからない。
こういった時の相場など、私達には知る由もなかった。

けど、先方の言い分としては。
借金を帳消しにできる分くらいは、お渡ししますよ。
どうですか。悪い条件ではないですよね。という事だった。

確かに悪い条件ではない。むしろいいくらいだと思う。
あんなド田舎の農地なんて、普通に売ったら二束三文にしかならない。
いや。そもそも、売れるかどうかだってあやしい。

父も同じように考えたらしく、この買収話に素直に応じました。
先方の言い値にケチをつけず、その後はトントン拍子に話が進んだ。

数年後。本家の農地は、電力会社が買い取ることとなります。
そしてウチの親が背負った借金は、この時点でキレイに無くなった。

70才近くまで支払い続けるつもりだった借金が、50才で完済できた。
予定の半分の期間で、重荷から解放される。想像もしていなかった。

結果的には、足かせとなっていた本家の農地が救ってくれた。
こんな事ってあるんだな。真面目に頑張り続けると、いい事があるんだな。と、思った。
父や母は、今でも笑ってこう言う。

「俺達は、電力会社に足を向けて寝られないんだ。本当に助かった」と。

今、本家の元農地には、立派な変電所が建っている。

続きます。

実家のこと | 09:31:56
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