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オタクになります
数日ぶりの更新です。

ちょっと訳あって、ブログは手つかずでした。
多分、しばらくブログは更新できない。というかしません。

理由はタイトルの通り、趣味の世界に没頭するからです(。-_-。)
今まで溜め撮ってきた、アニメをゆっくり鑑賞したり
漫画や小説をじっくり堪能したり
昔やり込んだゲームに、再トライしたいからです。

決して時間がないわけではありません。
時間はありますが、意識がブログにまで及ばないのです。

ブログを書く。
というのは、どうしても「アウトプットする」という作業になります。
これはこれで楽しいのですが、今、どうしてもやりたいことではない。

どちらかというと、今は何かを「インプット」したい。
吸収したい。夢中になりたい。没頭したい。自分だけの世界に浸りたい。

私の場合、たまーに、発作的にこういう状況になります。
今回も、いきなり「エネチャージしたいわ」という欲求にかられました。
気が済むまで、徹底的に感性を刺激して参ります。

自分は器用ではありません。
趣味の世界に浸ってる時は、他の事に気がまわらない。
インプットとアウトプットの同時進行が出来る人間ではないのです。

という事で、ブログは当面放置します。

ブログ村さんからは、撤退することにしました。
今まで、ポチ応援、コメント、ご訪問下さった皆様。
本当にありがとうございました<(_ _)>

コメント欄も一時閉鎖します(お返事が無理そうなので)


それではまた♪(/・ω・)/ ♪



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ブログの事 | 10:44:07
見当違いだった
前回の続きです。

このまま通院し続けても、効果はない。と気が付いていた。
にも関わらず、ひと言もアドバイスがなかった。

母 「驚いたよ。今までひとっことも、そんなこと言わなかったからね」
父 「あれだな。病院っていうのは、横のつながりがないものなのかな」

病院に、横のつながりがない事はない。
自分の手に負えないと判断した時は、提携先や大学病院へ紹介したりもする。
医者ってのは基本、自分の専門外の分野には疎い。

見当違いの科へ通院して薬を飲んだって、治癒などしない。
逆に、悪化してしまうケースだって、ごまんとある。
だからこそ「見極める能力」が、重要になってくると思う。
けどそれにしたって。

私 「なんでわかってて、言ってくんなかったの。おかしくない?」
母 「それがねえ。“ 聞かれなかったから言わなかった ”って言うんだよ」
私 「何、その小学生みたいな言い訳」

聞かれなかったから、言わなかった。
言われなかったから、やらなかった。

聞かれない事は、例えそれが「患者の有益になる」としても言わないって事か?
でもちょっと待てよ。あの医者、私が色々と聞いたら怒ったよな。
自分に都合の悪い事を聞かれたから、逆切れしたのか?

だとしたらあんまりだよな。
何年も悩み続けてきた母を見て、なにも思うことはなかったんだ。

しかも病院を移ると決めてから、
「実は、ウチでは治らないとわかってました」
なんて言い出す。どういう事よ。

あの医者に良心というものはないのか。
長年毎月通ってくれる「いいカモ」としか思っていなかったのか。

それか、本当は気がついてなかったのかもしれない。
見当違いの治療を誤魔化すために、言っただけかもしれないよな。
どちらにせよ〝 外れ医者 ″だったって事に変わりはない。


母は、今でも言います。
「あのまま、あの婦人科へ通い続けていたら、きっと私、今頃は死んでたわ」



実家のこと | 13:42:17 | コメント(4)
合わない薬の怖さ
前回の続きです。

結局、最後は本人がどう考えるかなんだよな。
けどなあ。その肝心のお母さんがこれじゃなあ。
あの調子だと、これから先も変わらないんだろうな。困ったもんだ。
そう思ってました。が、しかし。

この出来事は、母にちょっとした影響を与えたようです。
私を非難するドクターを見て、何か思うところがあったのか。

父と母は、大学病院へ行く決断をします。
かかりつけの婦人科には内緒で、自分達で探し、手続きをしたようです。

母達が選んだのは、某大学病院。最初は、神経内科を案内される。
そこで、まずは体全体を徹底的に調べ上げた。けど、器質的な異常は認められない。
最終的には、心療内科で診察を受けることとなった。結果。

不調の原因が、更年期ではなかった。と判明しました。

薄々そうじゃないかとは感じていた。
しかも。更にもうひとつ、驚くべき事実を告げられる。

数年に渡って、飲み続けてきたホルモン剤。
母の場合、婦人科で処方されたこの薬が、かなり良くない作用を及ぼしていた。
大学病院から、すぐに薬の服用を止めるよう言い渡されます。

そして薬を止めた。ここからは、劇的なほどの変化が起こります。
これまでの倦怠感や、焦燥感、不安感が解消された。
活動してる日中の間の不調は、かなり改善される。

ただ、夜眠れないのは相も変わらずだった。
そこで、軽めの精神安定剤を処方される。
と同時に、カウセリングをゆっくり時間をかけて行っていった。

1年も経たないうちに、みるみる様変わりしていく。
顔色も良くなり、以前のようによく喋る元気な母が、少しづつ戻ってきた。
やがては、精神安定剤も必要ないほどまでに回復した。

心療内科通院と同時に、婦人科の通院は止めてしまった。
良くなったのはいい事だ。けど。この経緯を聞き、私は憮然としてしまう。
今まで何年も通院した。効かないどころか、害になる薬を飲み続けてきた。

一体何だったんだ。この数年の苦労は。
婦人科で畑違いとはいえ、わからなかったものなのか。
と思っていたら、とんでもない話を聞いた。

母 「なんかねえ・・お医者様はわかってた。って言うんだよねえ」
私 「わかってたって何を?」
母 「私の症状は、婦人科へ通い続けても、良くはならないって事を」

は??何それ。治らないってわかってて、通わせてたってこと?


続きます。



実家のこと | 08:44:40
病院をチェンジ
前回の続きです。

母 「せっかく、ついてきてもらったのに、嫌な思いさせてごめんね」
私 「いや。それは別にいいよ。それより、何あれ。随分生意気な医者だね」
母 「びっくりしたよ。あんな事言う先生だったなんて・・・ちょっとひどいね」

ちょっとどころじゃないよ。偉そうになんだってのさ。
百歩譲って、性格に難有りでも、腕前がいいなら我慢もする。
けど「良くも悪くもなりません。様子見です」だと?

通院を初めてかれこれ5年。一体、何年様子見みりゃ気が済むんだ。
まさか一生様子を見て終わらせるつもりじゃないでしょうね。

私 「あのさ。病院を変える気はないの。ずっと通っても良くならないんでしょ」
母 「・・・わたし、あの先生の顔を見ると安心するから、替えられなくて」
私 「安心するだけでしょ。良くならないんでしょ。他を色々試すって事は考えないの?」

病院を変えてみなよ。婦人科への通院を止めなくてもいいからさ。
内緒で行けばいいじゃん。別の医者が診たら、違う結果になるかもしれないでしょう。
というのは、これまでもずっと言い続けてきた。けど。

母 「そんな、あちこち通う病院ばかり増えるのもちょっと・・・」
私 「イヤ、だからさ。ダメだったら、止めればいいだけの話じゃん。行くだけ行ってみれば?」
母 「でもねえ・・知らない先生に、一から説明するのも怖くて・・」

母の態度は煮え切らない。
病院をを変えるという選択肢は、頭の中にはないようだ。

私はいけすかないけど、母にとっては癒しであり、カウンセラーのような存在。
本人がそう言う以上、無理に替えても、いい結果にはならない。
メンタル面ってのは、最後はドクターとの相性が大切になる。

それならばもういい。私は何も言うまい。

私 「あ、そう。お母さんがそう思ってるなら、その方がいいね」
母 「病院、かえた方がいいのかね・・。どう思う?」
私 「それはお母さんが決める事だよ。でも、私はあの医者キライ。悪いけどもう付き添わない」

この日、私は【怒】モードでそのまま病院を後にしました。
直感だけど私は「あの医者にかかっても絶対良くならない」と確信していた。
腕前云々以前の問題で、まず人間性がアウト。お話にならない。

私からは、生かさぬよう殺さぬよう、漫然と通院させられてるだけに見える。
医者ってのは成功報酬じゃない。治癒しようがしまいが関係ない。
極端な話、治療が原因で死んでしまっても、患者側は払うものは払わなければならない。

ウチの母親のように他人任せで、医師の言葉を丸ごと信用する。疑問を持たない。
治らなくても大人しく、通院し続ける患者ってのは、商売上いいカモだよな。
私だったら、問答無用であんな医者、さっさと縁を切ってしまうんだけどな。

などと、世の中を斜めからの視点で見る私は考えてしまう。

続きます。

実家のこと | 08:02:00
いけすかない医者
前回の続きです。

一瞬、なぜ怒りだしたのかわからなかった。
こちらとしては、普通に質問してるだけのつもりだった。
ただ。私は思った事はハッキリ言う。そして、それをキツいと感じる人もいる。

この時、私は治療方針に疑問を抱き、ドクターに少なからず不信感を持っていた。
そんな私の態度が、ドクターの気に障ったようでした。

先生「お母さんは何年も前から、調子が悪かったんですよ。心配じゃなかったんですか」
私 「心配はしてました」
先生「本当に心配してたんですか?今まで放ったらかしだったじゃないですか」

さすがにこの言葉には、私もムッとしてしまった。
言ってくれるじゃないの。放ったらかしだと?

私 「私、平日は朝から晩まで仕事をしてます。こちらへ付き添う時間はありません」
先生「仕事?仕事がなんですか。あなたの親の事ですよ。仕事なんてどうでもいいことでしょう」

グウの音も出なかった。悔しいけど何も言い返せなかった。
このドクターの言う事は、正論かもしれない。

しかし。私には私の守るべき生活があり、事情がある。
「仕事なんかどうでもいい」とまで、言われる筋合いのものではない。
じゃあ何か。仕事そっちのけで心配してれば、病気が良くなるのか?違うだろ。

結果が出ない治療の論点を上手くぼかされた。
腕前の悪さをすり替えられてるような気がしてならない。
この頃の私は、まだまだ若く血の気が多かった。

受け流せばいいものを、真に受け、不愉快になってしまう。
一体なんなんだよこの医者。人の不幸を飯の種にしてるくせにしやがって。
ウチの生活にくちばし入れて何様なのさ。黙ってろよ、このヤブ医者め。

口をひらくと喧嘩になりそうだった。
自分の事ならいい。喧嘩してこんな病院など、二度と来やしないだけの話だ。
けど、相手は母のかかりつけ医。下手な事は言えない。

がまんがまんがまんがまん。
と、心の中で唱え、これ以降は口を閉ざす。
最後のあいさつも、軽く頭だけ下げ、早々に診察室を出てしまいました。

正直者の私。考えてることが、モロ顔に出ていたのでしょう。
大分後になってから、このように言われました。
「あの時は、すごい怖い顔だった。喧嘩するかと思ったよ」

そして。診察室を出てすぐ、母が駆け寄り謝ってきます。

続きます。



実家のこと | 08:28:24
結果の出ない治療
前回の続きです。

通院先の婦人科は、大層繁盛してる病院でした。
待合室には患者さんがいっぱい。出入りもひっきりなしだった。
予約をしていても、平気で2時間3時間待たされる。

病院&待たされるのが嫌いな私。
予約してんのに、なんでこんなに待つのさ。一体、なんの為の予約なのさ。
と、心の中で悪態をつきながら、待つ事3時間。

ようやく診察室へ入り、担当のドクターと顔を合わせた。
ドクターは、60代位のひょろっとした神経質そうなおじいさん。
あいさつの後、これまでの経緯について、説明を受けます。

お母さんの不調の原因は、ホルモンバランスの崩れが原因だと思われます。
そこで、今はホルモン補充療法で、様子見をしてる最中です。
症状は一進一退。良くも悪くもなっていません。そんな状況が5年ほど続いてます。
というものでした。

ここで、疑問がふつふつとわいてきます。
5年も通院して何も変わらない。そんなもんなのか?

悪化しないだけ、よしとしなければならないのか?
これって、意味のある事なのか。
私には、結果の出ない治療に、お金と時間を費やしてるとしか思えない。

しかもウチの母は、持病を抱え数種類の薬を飲んでいる。
それに加え、ホルモン剤まで飲み続ける。あんまり体に良くなさそうだよな。
当初は聞くつもりがなかったけど、思わず疑問をぶつけてしまった。

私 「ホルモン剤って、絶対に飲まなくちゃいけないものなんですか?」
先生「私は、そうした方がいいと思います」
私 「副作用が心配なんですけど、その辺ってどうなんでしょう」
先生「薬は、どんなものでも副作用があります。それを言ったら、何もできませんよ」

ほー。そうですか。そんなもんなんですね。
ちっとも良くなってないのに、ずいぶん自信満々だなあ。

私 「それにしても長いですね。更年期障害って、こんなに長引くものなんですか」
先生「個人差があります。平気な人もいます。なんとも言えません」
私 「では、母の症状がいつ良くなるかまでは、わからない。そういう事ですね」

これに対しての返事はなかった。ドクターは黙ってしまった。
この様子を見て私は、良くなるとも悪くなるとも、わからないんだな。と判断した。
まあいいや。治る治らないについては、とりあえず今は置いておこう。

むしろ本題はこっちだ。「おかしい」発言の真偽を確かめなければ。

私 「すいません。あともうひとつお聞きしたい事がありまして」
先生「なんでしょう」
私 「実は、母が先生から、気になる事を言われた。と言ってまして」
先生「というと?」

ここで、母が先生に「頭がおかしい云々」と言われた。
これは本当に言った言葉なのか。聞き間違いなのか。
言ったとしたら、どういう意味で言ったのか。という内容を問いただした。

するとドクターは、心外だ。というように言ってきた。
先生「私はそんな事言ってません。お母さんの勘違いです」
私 「そうですか。わかりました」

言った言わないという話は、しょせん水掛け論にしかならない。
もういいや。これ以上話しても、あんまり意味がなさそうだ。
私としては、ここで終了して帰るつもりだった。しかし。

先生「ちょっと待って下さい。あなた、一体なんなんですか?」
それまで穏やかだったドクターが、ここで豹変した。

先生「いきなりやって来て、勝手な事言って。失礼じゃないですか」
何やら、怒りだしてしまった。

続きます。

実家のこと | 08:20:25
更年期中のメンタル
前回の続きです。

母のメンタルが一番悪くなったのは、55才の頃。
常にに不安感に襲われる。体が重い。夜は1時間おきに目が覚める。
気の休まるときがない。会うたび、暗い顔で愚痴をこぼしていた。

毎日毎日、母から愚痴を聞かされる父は、うんざりしていたと思う。
2人でウチへ遊びに来た時に、こうぼやいた。

父 「俺まで、おかしくなってしまいそうだ」
母の調子の悪さに、父まで引っ張られてしまいそうだった。
これはいかん。このままだと、お父さんまで病気になってしまう。

この頃、私は出産を控えていた。そこで私はこんなことを考えた。

そうだ。出産後、少しの間ウチへ来てもらうのはどうだろう。
ひょっとすると、生活に変化が出て、少しは気持ちが晴れるかもしれない。
お父さんも少しの間、愚痴の聞き役から解放される。

そう思い、出産後は2週間ほど滞在してもらい、育児や家事を手伝ってもらった。
けど、思惑通り上手くはいかない。鬱鬱とした表情に変化はない。
夜も寝れていない様子で、顔色も良くなかった。

一番困ったのが、なんの前触れもなくいきなり泣き出すこと。
「孫の顔が見れて嬉しいはずなのに、ちっともそう思えない」

そう言い、横でさめざめ泣き始める。そして目の前では生後間もない娘が泣く。
こっちが泣きたい気分だ。勘弁してくれよ。とさえ思った。
結局、調子の悪さは治ることなく、実家へ戻っていった。
それから3年ほどは、この状態が続くこととなる。

私も心配ではあったけれど、ウチにはウチの生活がある。
母親の事だけ気にしてはいられない。自分の足元を固めるだけで精一杯。
そのうちに私は、仕事を始めた。慣れない子育てに格闘もしていた。

仕事と家事と育児と忙殺される日々を過ごす。
そんなある日のこと。父と母がやってきて、このような相談を私へしてきた。

母「私が通ってる病院の先生が、この間、妙なことを言ってきたんだよ」

当時、このメンタル不調の原因は更年期障害だと診断されていました。
月に一回、婦人科へ通院して、ホルモン補充療法を受けていた。

私 「妙って何が?何を言われたの?」
母 「私の頭がおかしい。変だ。って言ってきた」
私 「え。本当に?聞き間違いじゃないの」
母 「聞き間違いじゃない。私はハッキリ聞いた。おかしいって言われた」

その場にいない私には、どうしてそんな事を言ったのか。
本当に、そんな事を言ったのか。という判断のしようがない。
いつも一緒に病院へ行き、説明を受けていた父へ聞いてみるも。

父 「いや~・・俺、そのあたりの会話は、全く聞こえなかったんだ」
ウチの父は、左耳が聞こえません。かつ、右耳も聞こえが悪い。
なのでこの時、母と医者がどういうやりとりをしたのか、要領を得ない。

そして母はぐちぐち言い始める。
「やっぱり私は狂ってるんだ。おかしいんだ」
また始まったよ。と、聞いてる私、次第にイライラ。
ここでああだこうだ言っても、埒が明かない。そこでこう提案しました。

私 「わかった。今度の診察いつ?一緒に行って、私がその医者と話してみるよ」

こうして。母の通院先の婦人科へ、私も一緒に行く事になります。
続きます。

実家のこと | 08:14:32
心配の種を探す
前回の続きです。

50才の時に、メンタルを大きくを崩した母。
きっかけは、借金の完済に伴うライフスタイルの変化。
加えて、閉経の時期が重なったのも良くなかった。

最初は更年期障害を疑い、まず婦人科で診察を受けました。
病院で出た結論は、ホルモンバランスの崩れからくる精神的不調。
そこで、母はホルモン補充療法を始めることにします。

しかし。ここから長かった。述べ5年以上、通い詰めることとなる。
その間、ずっとホルモン剤を飲み続けるが、不調は改善されなかった。

この頃の母は、しょっちゅう電話をかけてきて、不満や愚痴をこぼしていた。
「みんな、私の事、頭がおかしいと思ってる」
「あの人、この間こんな事言った。きっと私の事が嫌いなんだ」

そんなことないよ。もし、そうだとしても気にしなけりゃいいじゃん。
と、私は何度も言うけど、聞く耳など持たない。
相手の態度や言葉を深読みし、被害妄想に取りつかれ、悲観する。

私は訳がわからなくなった。なんでこうなっちゃうの?
口にする言葉は、大変だった頃と変わらない。むしろ愚痴に拍車がかかってしまった。
もう借金無くなった。残りの人生、のんびり楽しくやればいいじゃん。と思い

私 「編み物やるとかさ。カルチャースクール行ってみるとかしてみれば?」

と言ってみるものの
母 「目が疲れるから、編み物はイヤだ。出かけて、人と話すのが怖い」
と、ことごとく却下されてしまう。もう打つ手なし。といった感じだった。

想像するに。
おそらく母は、急な環境の変化についていけなかった。
長年染み付いたネガティブ思考は、簡単に払拭できない。
私からすると、どこか「不幸になる種」を探してるように見えた。

それまでの母は、どちらかというと物事に対し後ろ向きな姿勢だった。
先の事を心配し、悲観し、不平不満を持つ。敵を作る。愚痴をこぼす。
逆境時にはそうすることによって、心のバランスを保ってきたともいえる。

そこへ突然ふってわいた、幸運な出来事。
何日も断食をした人間に、いきなりご馳走を食べさせたようなものだった。消化不良を起こした。
体同様、心にも変化に対する準備期間が必要だったんだ。

気をつけなくちゃいけないんだな。不運だろうが、幸運だろうが関係ない。

ベクトルの向きが違うだけで、本質的なものは一緒なんだ。
「物事が大きく変わる」時というのは、細心の注意を払わなければならないんだ。
数年間、悩み続けた母を見てそう感じた。

思いもよらない事態に、見かねた父がこんなことを言い出す始末。

父 「こんなふうになってしまうんだったら、借金があった方が良かった」


続きます。

実家のこと | 08:01:04
不幸体質が抜けきらない
前回の続きです。

農地を売り、借金を完済した父と母。

しかし。これ以降はしばらくの間、根も葉もない噂を囁かれるようになる。
農地を手放してからというもの、周囲の態度が微妙に変わったそうです。

田舎なので、こういう話はひろがるのが早い。
みんな刺激に飢えてる。変わった出来事があろうものならもう大変。
あっという間に、ご町内ほとんどの人間が知ることとなる。そして。

噂がひろがる途中で、尾ひれがくっつき、実態とはかけ離れた内容となってしまう。
「1億円で畑を売って左団扇になった」
「農地を売ったお金で、豪邸を建てたらしい」

農機具を交換する。車を買う。例えそれが、中古の安い品であっても
「お金たくさん貰った人は違うね~。いくらで売れたの?」
と、やっかみ半分で、痛くもない腹を探られる始末。

怖いよなあ。でも気持ちはわからなくもない。
だってこれは、汗水たらして働いて得たお金じゃない。
どちらかというと、宝くじに近い感覚。ラッキーの一言に尽きる。

「なんであそこんちなんだ。ウチに来てくれば良かったのに」
と、腹の底では思ってる。逆の立場だったら、私だってそう考える。
それでも人の噂も七十五日。やがては関心が薄れていく。

債務弁済という重荷から解放された。
これからは自分の為に働き、好きな事ができるようになる。
ちょうどこの頃、私は妊娠した。じきに、初孫の顔を見せる事もできる。
良かった良かった。と、私は単純に喜んだ。


けれども。そうは問屋がおろさなかった。

なんと、借金完済を境に、母がメンタルを大きく崩してしまう。
この時は、トラブルなどなかった。むしろ、いい事が続いていた。
それなのに、次第に様子がおかしくなっていく。

突然攻撃的になったり、泣き出したりする。
何を思ったのか、いきなりクワを持ち出し、父を追いかけまわした事もあったという。
母曰く 「自分でもわからない。きっと、頭がおかしくなってしまったんだ」

自分で自分の心を持て余している様子だった。
父も困り果てていた。原因がさっぱりわからなかった。ただ、この時。
農地買収の際、電力会社の人が発した「最後の言葉」を思い出す。


今までご苦労され、大変でしたね。でも、本当に大変なのはここからです。
中には、安心してガクッと来る人もいます。くれぐれも気をつけて下さいね


突然の大金を手にして、身を持ち崩す。自分を見失う。気が抜ける。
そうなってしまう人は、思いのほか多い。頭ではわかっていた。
けど、どこか人事のように感じていた。ウチは大丈夫、と。

甘かった。こういう事だったんだ。
先方はたくさんの事例を見てきている。その上での忠告だったに違いない。
張り詰めていたものが、急に無くなってしまった時の人間は脆い。

苦労を重ねてきた人は、逆境への耐性がついてる。
けど。突然の幸運に対してはどうだろう。

歯を食いしばり、じっと我慢し続ける。という、これまでの思考パターンから脱却する。

それは思ってるより、難しいものなのかもしれない。

続きます。




実家のこと | 08:16:09
何が幸いするかわからない
前回の続きです。

ある日突然、ふってわいたような農地の買収話。
最初聞いた時は、私も父同様に不思議さと胡散臭さを感じました。

どうして、あんなド田舎の農地を欲しがるのか?
他の場所ではなく、なぜ、実家の農地を選んだのか?

でも、話を詳しく聞いていくと、なるほどなあ。と思う事がたくさん出てきます。
この手の施設は、そこそこの大きい敷地面積を要する。
人口密度の多い場所を選択すると、交渉する人間の数も多くなり、経費もかさむ。

辺鄙な場所というのは、先方にとっても都合が良かった。
場所の目星をつけたら、あとは買収に応じてくれる地権者を探す。

但し。ここからは、かなり慎重にことを進めなければいけない。

父 「向こうは、ウチの内情を色々調べてから来たようだった」

先方はこちらの懐事情も、所有してる農地の広さも把握していたようです。
おそらくは、入念な下調べと調査の末、交渉へやってきた。
買い取る側からすれば、面倒な事を言わない地権者がいいに決まってる。

田舎の人間はお人好し。などと思ったら大間違いで、がめつい人間は多い。
この手の話を持ちかけられ、ここぞとばかりにふっかける輩もいる。
先方もその辺は重々承知している。なので地権者選びには、特に慎重になる。

ここで、自宅と本家の2か所に農地を持つ。という実家の特殊な事情が幸いした。
本家の農地は、元々ウチの土地ではない。
耕作する人間がいないので、仕方なくウチの親が管理してたに過ぎない。

本家の農地を売っても、自分達の農地は残る。元に戻るだけの話だった。
農地を売る事によって、収入が著しく減るとか、離農に追い込まれる事はない。

けど、普通の農家は違う。農地はお金を産む大切な資産。
農家にとって、農地を手放すのは、それが一部だとしても死活問題。
ましてや全部となると、それ相応の買収金・補償金を求めることになる。

父 「面白いんだよな。ちょうど、借金が無くなるような価格を持ちかけてきたんだ」

ここで先方の提示した金額が、高いのか安いのかはわからない。
こういった時の相場など、私達には知る由もなかった。

けど、先方の言い分としては。
借金を帳消しにできる分くらいは、お渡ししますよ。
どうですか。悪い条件ではないですよね。という事だった。

確かに悪い条件ではない。むしろいいくらいだと思う。
あんなド田舎の農地なんて、普通に売ったら二束三文にしかならない。
いや。そもそも、売れるかどうかだってあやしい。

父も同じように考えたらしく、この買収話に素直に応じました。
先方の言い値にケチをつけず、その後はトントン拍子に話が進んだ。

数年後。本家の農地は、電力会社が買い取ることとなります。
そしてウチの親が背負った借金は、この時点でキレイに無くなった。

70才近くまで支払い続けるつもりだった借金が、50才で完済できた。
予定の半分の期間で、重荷から解放される。想像もしていなかった。

結果的には、足かせとなっていた本家の農地が救ってくれた。
こんな事ってあるんだな。真面目に頑張り続けると、いい事があるんだな。と、思った。
父や母は、今でも笑ってこう言う。

「俺達は、電力会社に足を向けて寝られないんだ。本当に助かった」と。

今、本家の元農地には、立派な変電所が建っている。

続きます。

実家のこと | 09:31:56
真面目な人間は損なのか?
前回の続きです。

自分が作った借金ならともかく、きょうだいとはいえ、人が作った借金を返し続ける。
債務弁済当初、私は小学3年という事もあり、事情が理解できていなかった。
けど成長し、ことの経緯を知るにつれ、理不尽さを感じるようになる。

借金主であった叔父。その後は新しい仕事を順調に続けていた。
やがて結婚して、可愛いたくさんの子宝にも恵まれる。
生活に余裕はなさそうだったけれど、とても幸せそうに見えた。

そんな姿を見て、私は不満をつのらせていく。
なんなのこの人。あんたのせいで、ウチの親は大変な思いをしてるんだよ。
それなのに、なんであんたは人並みの幸せを掴んでるのさ。

馬鹿みたい。真面目な人間が報われるなんて嘘だよな。
借金を押し付けるような人間が、普通の生活を送ってるじゃない。
世の中って、真面目な人間が損するように出来てるんだな。とも思った。

父が、一度だけ何かの拍子に呟いた言葉が忘れられない。
「俺達の人生ってなんだろうな。他人の借金返して一生を終えるのかな」

借金が終わる頃には、もう70才にもなってしまう。
あとはもう、死を待つだけの余生を送る。自分達はこういう運命なんだ。
楽しい老後も、明るい未来も想像できない。

悲観的で、鬱鬱とした思いを抱えながら生活していた。

しかし。世の中捨てたもんじゃなかった。
借金を抱えてから15年目の事です。
ある日突然。ウチの親の元へ、思いもよらない話が舞い込んできました。

「お宅様の農地を、弊社へ売っていただけませんでしょうか」

ウチの農地を買い取りたい。という企業が現れたのです。
しかも買収を希望しているのは、本家の農地でした。
10ヘクタール分、全ての農地を買い取りたいと言ってきた。

そして話を持ちかけてきた相手先企業は、電力会社でした。
先方は、変電所を増設するための用地を探していた。

最初ウチの父は、なんでこんなド田舎の農地を欲しがるんだ?
と訝しんだそうです。当然かもしれません。
実際、本家の土地家屋は普通に売り出しても、買い手などつきそうになかった。

本家の農地はウチの実家以上、不便な場所にありました。
買い物する場所も、病院も何もない。公共の交通手段はバスしかない。
けど、そのバスでさえ、一日数本しか走らない。

住宅もまばらに点在するだけ。周りはみんな農家ばかり。
隣の家へ行くまで、1キロも2キロも歩くような僻地でした。

多分ですが。
この本家の農地は、電力会社が買い取ってくれなかったとしたら。
今も、買い手がつかなかったと思われます。


続きます。

実家のこと | 08:18:50
潰された花畑
前回の続きです。

この借金を抱えるまで、ウチの実家は「出面さん」を雇っていました。
出面さんというのは、農作業をしてもらうパートさんのようなものです。
春秋の農繁期には、いつも2~3人の方に来てもらっていた。

けど借金してからは、この出面さん達の出入りがぱたりと消える。
人を雇うためのお金が惜しい。出来る事は自分達だけでやっていく。
そして一日も早く借金を返済したい。そう考えた。

よって、20ヘクタールの畑を全部、父と母の2人で管理するようになる。
土地の広さは倍だけど、仕事量は倍どころじゃない。
しかも遠隔地なので、農機具やトラクターの運搬もある。
取り扱う作物を厳選しなければ、仕事がとても追いつかない。

それまでウチは、いろんな作物を作っていました。
穀物の他に、スイカやメロン、ホワイトアスパラなど多種多様だった。
まだ小さかった私だけど、この頃のことはよく覚えています。

収穫したスイカを一緒に磨いたり、シールを貼るお手伝いが楽しみだった。
メロンやスイカの赤ちゃんを飽きることなく、じーっと見つめていた。
こんもりした土の中から、ホワイトアスパラを探すのが面白かった。

そして何より。
活き活きと畑仕事をしている、父と母の姿を見るのが大好きだった。

けれども、こういった手間ひまのかかる作物は、全て一掃してしまう。
その後は主に、じゃがいもや小麦、スイートコーンやてん菜を作付けするようになる。

少々、手荒に扱っても傷がつかない作物。人の手を煩わせない作物。
機械で植えて、機械で収穫できる。そういった作物へどんどん転換した。
そこに「自分の好きな作物を育てて、収穫する楽しみ」はない。

変わったのは、畑だけじゃない。
身の回りのちょっとした事も、気が回せなくなっていった。

当時、ウチの家の前には、大きな花畑がありました。
手毬肝木やライラック、ツツジやユキヤナギ。他にもたくさんの花があった。
咲き誇る時期は、それはもう見事でした。毎年、開花を楽しみにしていた。

けれども。この花畑は、ある日突然無くなってしまう。
木は全部引き抜かれ、花達は土の中へ埋められてしまった。
父 「これからもう、手入れする時間がないから花畑は潰した」

後にはトラクターでならされた、何もない更地だけが残った。
昨日まであったはずの花畑を眺め、茫然とした記憶があります。
仕方がなかった。でもこの変化を見て、子供ごごろに悲しくなった。

でもそう思っていたのは、私だけではないはず。だって。
今、実家の家の周りは、たくさんの花が植えられている。
借金が無くなり、ゆとりができた頃から、再び花を愛でるようになった。

たまに実家へ行き、このたくさんの花を見て、今更ながら思います。
あの時、どんな気持ちで花畑を潰したんだろう。と。


続きます。

実家のこと | 08:08:37
借金肩代わりで一変した生活
前回の続きです。

連帯保証人なんて、断ればよかったじゃないか。そう思われるでしょう。
しかし当時の農家は、融資を受ける際に、担保と保証人をつけるのが主流だった。
ここで出てくるのが「相保証(あいほしょう)」という、仕組みです。

保証人。特に連帯となると、そうそう成り手がいない。
そこで借金する農家同士が、お互いの連帯保証人となる。それが慣習となっていた。
保証人を断ると、自分の保証人も引き受けてもらえない。これは非常に困ります。

高額なもの。特に農機具を購入する時など、キャッシュで支払うのは難しい。
運転資金だって必要。どうしても、借入れを起こすようになってしまいます。
ウチの親も、自分達の事業資金の融資を受ける際、叔父に連帯保証をお願いしていた。

このような経緯があって、叔父の連帯保証人を引き受けざるをえなかった。
そして。その叔父はパンクしてしまった。返済する能力も気力もない。
おかげで連帯保証人として、借金を肩代わりするハメになってしまったウチの親。

だがしかし。残ったのは借金だけではない。
本家の新しい家と農地は、叔父名義のまま残っている。
これを処分して、どうにかできないものか。借金の足しにできないだろうか。

そこで家と農地を売っぱらって、借金を返そう。と考えるが。
ド田舎の土地家屋なので、買い手がつかない。よしんば売れたとしても二束三文に等しい。
哀しいかな。借金を返済できるほどの値には、ほど遠い。

しかも融資の際、土地家屋は担保に取られていました。
借金を完済しないうちは、第三者へ売買ができない。
できるのは、叔父とウチの親との間の所有権移転だけ。そう取り決めをしていました。

なので本家の資産を処分して、借金に充当する。という選択ができませんでした。

そして。叔父はこの失敗で懲りてしまったのか、農業をやめると言い出します。
新しい仕事を見つけ、一からのやり直しを決意する。けれども。
ここで困ったのが農地の問題。畑を耕作する人間がいなくなってしまう。

畑というのは人の手が入らないと、途端に荒れ放題になっていきます。
荒れたままにしておくと、いざ農地を売る・貸す。をしたい時にできなくなる。

農地は残る。でも、働き手となるべく叔父は、もう農業をやらないと言う。
かといって、残された70才近い祖父母だけで、経営するのは無理でした。
経営を叔父へ引き継いだ後は、隠居生活をしてるようなものだった。

考えた末、ウチの親は借金肩代わりと同時に、叔父の農地を取得することにした。
そうして。その取得した叔父の農地を、自分達で耕作する決断をします。

叔父の農地は、広さにして約10ヘクタール(東京ドーム2個分ほど)。
ウチの親も約10ヘクタールの農地を所有していた。
合計20ヘクタールの畑。単純に、これまでの倍の仕事量となってしまう。

しかも本家の農地は、ウチから車で20分以上もかかる場所にあった。
離れた畑を同時に管理する。かなり骨が折れたと思います。そして。

これを機に、ウチの家の中の空気が一変していく。
父はいつもピリピリして難しい顔をしていたし、母は泣き事や愚痴が多くなった。
常に何かに追われているような、気を張り詰めた生活となります。

続きます。



実家のこと | 09:08:19
連帯保証という人柱
ウチの親は30代半ばで、3千万の借金を抱えました。
しかしこれは、自分達が作った借金ではない。住宅ローンといったものでもない。
借金の主は、母の弟(私の叔父)。内訳は事業資金だった。

この叔父は、いわゆる「本家の跡取り息子」です。
母方の本家は、農業を営んでいました。叔父はそれを引き継いだ。
けど、甘やかされ蝶よ花よ(男だけど)で育てられたこのボンボン。

後を継いだ途端、新しい車が欲しいだの、ボロ屋じゃなく新築がいいとほざいた。
そして、新車を購入し、新しい家を建て、祖父母の預金を使い果たしてしまった。
叔父は人柄は悪くない。どちらかというとお人よし。
でも所詮は「人がいいだけ」の、ぼんくら男。

身の丈に合わせ、大人しく畑仕事だけしてりゃいいものを。
なにを思ったのか、次は事業拡張をもくろんだ。
けど事業に必要な資金は使い果たし、手元には残っていない。

そこで、ウチの親を連帯保証人にして、事業資金を借り入れた。

しかし。この叔父に、事業拡張するような才覚も器もなかった。
甘ったれた人間が、甘い考えと、甘い見通しで行う事業。
当然のことながら、その後わずか3年でギブアップすることとなる。

叔父「借金が返せない。俺には無理だった。事業はもうやめた」
となり、全ての債務を肩代わりする羽目になった。

当時の私は、まだ小学3年生。けど、今でも覚えてます。
この借金肩代わりが決まった時の、ウチの親の絶望的な顔。

弁済決定後は、一括か分割かの返済方法の選択を迫られます。
けど、残債を一括返済できる余裕などない。

農業を営んでいたウチの親も、農家特有の借金を抱えていた。
農家というのは、設備投資だ機材代だと、非常にコストがかかる職業です。

無借金経営が一番だけど、これが中々難しい。農機具ってのは元値が高い。
トラクターなんて、新品で買ったら1千万。中古でも数百万する。
作物運搬用のトラックも必要だし、資材や肥料代もかかる。

常に何かしら、借入をしている状況だった。
そんな自分達の借金と、叔父の借金。これらを2重で返済しなければいけない。

専業農家は、動かすお金が大きい割に、儲けは少ない職業です。
農作物なので、天候による豊作不作、市場価格の影響をモロに受ける。
「今年はこれだけ収入がある」という、保証はどこにもない。

そこでウチの親は、無理のない・確実に返済できる方法を選択した。
それが30年での分割返済。70才近くになるまで支払いが続く。

この借金は住宅ローンと違い、繰り上げ返済といったシステムがなかった。
総支払額は、最初の時点で既に決定されている。

つまり “ 10年後・20年後に、途中で一括返済する ”

が仮に出来たとしても、30年分の利子を支払らうことになるのです。


続きます。

過去のこと | 09:51:27
着たきりスズメな私
今勤めてるパート先の会社は、制服がありません。
そして私が今の会社に入る際、一番困ったのがこの洋服問題。
これまで勤めてきた、大体の会社には制服があった。

ファッションセンスが無い・手持ち洋服が少ない私にとって、制服は超楽でした。
何も考えなくていい。今日何着て行こうかな。などと迷うこともなかった。
大体が、ジーンズ&Tシャツだのカットソーで事が足りた。

だって。どうせ、会社に着いたら制服に着替えるからね。
よっぽど汚らしいとか、ヘンテコな服装でなければ、自分の好きな格好ができる。

しかし。私服勤務だと、さすがにそうはいかない。
そしてウチの会社には、ドレスコードというものが存在する。
けどこのコードの線引きが、かなり曖昧で非常に戸惑ってしまう。

絶対にダメなのはジーンズ。
けど。それさえ守れば、あとは何を着て行っても、比較的自由です。
なので皆さん、結構ファッショナブルに決めていらっしゃる。

一体、何着洋服持ってるんだ。
と聞きたくなるくらい、日替わりで色んなコーディネートをしてくる。
対して手持ち服の少ない私は、いつも同じものを着回す。

ちなみに会社へは、以下のものを組み合わせて行ってます。

IMG_20170612_081551.jpgIMG_20170612_082141.jpg

これ以外の服を持ってないわけではない。
でも他は、ヨレてたり、毛玉がついてたり、毛羽立ってたりする。
家の中で着る分には、支障ないけど会社へ着てくのはちょっと憚られる。

さすがに、二日続けて同じものは着ていかない。
けど、月曜に着た服を、その週の金曜に再び着ていく。
くらいの事はしてる。それほどまでに洋服を持っていない(´;ω;`)

しかも家計が厳しいので、イイ物ではなく安物しか買えない。
安物なので、一年も着てるとすぐ穴が開いたり、ほつれたりしてしまう。
着れなくなってから、慌てて買いに走り補充する。というパターンを繰り返す。

結果、いつまで経っても手持ちの洋服が増えない。という悪循環に陥る。
なので「洋服で、タンスがパンパンなの。少し捨てなくちゃ」
という、話を聞くと素直にこう思ってしまいます。

いいなあ。羨ましい。私には捨てるほどの洋服がないよ。
みんな、余裕があるんだな。だって、被服費にお金をかけられるんだもん。
生活厳しい厳しい言ってるけど、ウチほどじゃないんだな。と。

これほど服を持ってないにも関わらず、日々会社へ着ていくコーデに迷う私(なぜ?)。
最近は、考えるのが面倒になってきた。いっその事、自分で安い制服を購入してしまおうか。
そして「なんちゃって制服」で仕事しようか。などと考えています(。-_-。)


日常のこと | 08:47:03
若さをとるかスタイルをとるか
人ってある程度の年齢になると、痩せすぎは貧相に見える。
若い頃は、気がつかなかった事でした。
むしろ、若い頃は痩せてなんぼ、の意識だった。

実際、私の周りで実年齢より若く見える人。
というのは、大体がぽっちゃりから太目さんが多い。

単純だけど、太ってると皺が少ない(目立たない)
顔も手もぷくぷくしてて、若々しい。
気のせいか、お肌もつやつやに見える。

ウチのダンナは、太ってるおかげか若く見えます。
私より白髪は少ないし、皺なんか全然ない。
老眼はかなり進んでるけど、見た目は実年齢よりかなり若い。

いいな。羨ましいな。しかし。
あそこまで(96㌔)太っちゃうと、逆に健康へ害が及ぶので、
ちょっと実行しようとは思いません。いや、できない。

食べた物の全てを消化吸収して、蓄えなければいけない。
胃腸が丈夫じゃないと不可能。多分、お腹を壊してしまう。
体質的にそこまで太る前に、死んでしまいそうな気もする。

閉経後は少しずつ、でも着実に体重が増えつつある私。
今はベスト体重から、プラス3キロあたりをうろちょろしてます。
これ位だったら、かろうじてまだ許容範囲。

でもこれ以上太ると、今度は洋服のサイズが合わなくなる。
そうなると、今度は新しいサイズの洋服を買わなくてはいけない。
なんて不経済なんだ。断じて、それだけは阻止したい。

食事の量なんか、以前と比べるとかなり減ってる。
それなのに、痩せるどころか太ってきた。
やっぱり、新陳代謝が落ちてきてるんだな。

ただ、少し太ったおかげか、頬のあたりのコケ具合が緩和された。
若干、アンパンマンのようなフェースラインが気になるけど・・・。

そして、体重が増え、良くなったことが一つだけある。
一番痩せてた頃に比べ、風邪をひく回数が減った。
丈夫になったんだろうか。

ある程度の脂肪は蓄えておいた方が、からだにはいいのかな。
などと、お腹の贅肉を眺めつつ、自分に言い訳をしています。

日常のこと | 09:50:28
説明しない自由
前回の続きです。

なんで?今まで、こういう質問する人がいなかったのか。
答えを待つものの、ずっとだんまり。
仕方なく、本題に入ることにした。

私 「先の事はわからないです。でも月々45,000円は、支払えないと思うんですよね」
外交員「そうですか」
私 「なので、保険を見直そうと考えているんです」

すると。外交員は、こう提案してきた。
外交員「更新ではなく、全期型(均等)にする事もできます。そうしますか?」
私  「それだと、保険料っていくらになるんでしょう」

先方の提示した金額は、月々30,000円ほど。
これを60歳まで払い込むという事だった。
でも聞いた瞬間、高いな。と思ってしまった。均等にするとここまで上がるのか。

加入時は「保険料が安い」と思い、このプランにした。
けどそれは、更新型だから、そう見えただけなんだな。
実際は均等だと、ちっとも安くない。もっとよく考えときゃ良かった。

当時のウチの家計は、今以上に厳しかった。
月30,000円の保険料でさえ、捻出するのはかなり難しい。
加えて家購入の際、住宅ローンの団信にも加入した。

死亡や高度障害保障について、高額なものは必要ない。
それより今は、毎月の固定費を減らしたい。そう考え、こう聞いてみた。
私 「最低限の保障でいいから、保険料が安いプランにしたいんです」

しかし、外交員の反応はかなり鈍い。その上、

外交員「保険料が安いものは、あんまりお勧めしません」

と、今加入してるものより、高いプランのものを提案してきた。
私に保険の知識はない。それでも、この提案の仕方に違和感を感じた。

こちらの最優先事項は「安い保険料」と、ハッキリ言った。
けど、どこをどう見ても、希望は反映されていない
疑問に感じ、この部分を追究するも、のらりくらりはぐらかされる。

ここで私はもう、騙されてる気分になってしまった。
自分が売りたいものだけ勧めて、客の要望には応えない。
ちゃんとした説明もない。論点をすり替えてくる。

これで私達が納得する。と本気で思ってるんだろうか。
だとしたら。
ずいぶんと舐められたもんだよな。

一旦こう思ってしまうと、もうダメ。あとは不信感しかなくなってしまう。
この場は、そのままお引き取りいただき、ダンナと家族会議。
話し合いの末、最後にたどり着いたのは、保険ではなく共済。

夫婦二人で月1万円の払い込み。掛け捨ての全期型。というものを選んだ。
保障内容は、今加入してる保険となんら遜色はない。
その後、生命保険は解約して、共済1本だけで今に至ります。

そして。
この解約から数年後、色んな保険会社の不払い問題が発覚した。
マスコミで大いに取り上げられ、叩かれていました。
けど、上記のようなやりとりを経験した身としては。

「ああやっぱりね。それくらいやってそうだよね」
と、いうのが率直な感想でした。




家計のこと | 12:48:08
生命保険の払込総額
ウチは結婚当初、住友生命の生命保険に加入していました。
当時はまだ、「保険のおばちゃん」が全盛の頃。
ダンナの会社にも、足しげく通ってくる外交員のおばちゃんがいた。

入る気がなくても、毎日のように顔を合わせ、何度も勧誘されるうちに気が変わる。
「そうだよな。入っておいた方がいいよな」
と、夫婦型の「アンサンブル」という保険へ加入することします。

この頃はまだ若かった。という事もあり、保険など全く興味がなかった。
契約内容もよく精査しなかった。自分で調べる事もしなかった。
外交員に言われるがまま、勧められるままに契約する事となる。

加入して最初のうちは、何の疑問も持ちませんでした。
でも、娘の出産を機に、色々と考えるようになってきた。

この「アンサンブル」という商品のメリットは、加入時の保険料が安い事。
当時夫婦2人で、支払う保険料は月17,000円ほどでした。
かといって、保障に遜色はない。至って普通の内容です。

ただ、どちらかが死亡・高度障害保険金を受け取った場合、契約が終了してしまう。
残された方は、新たな保険へ入り直さなければいけない。
しかも、更新型なので年を取ると、グンと保険料が跳ね上がる。

20代30代では、月々17,000円で済む保険料が、
40代になると、月々30,000円ほどになり、
50代にもなると、月々45,000円も支払わなくてはいけなくなる。

試しに、60歳までずっと払い続けたら、どの位になるのか計算してみた。
すると驚く事に。なんと、約1,200万円も払いこむ結果となった。
なんか勿体ないな~。いくら「安心料」とはいえ、こんなに支払うんだ。

しかも50代になってからの、払い込み料がハンパない。
月々45,000円の支払いなんて、できる気がしない。みんな、そんなに支払ってるんだろうか。
と不思議に思い、外交員のおばちゃんへ聞いてみました。

私 「どうして、こんな保険料になるんですか?50歳からは月45,000円とか、すごいですね」
外交員「給料昇給分を見越して、そのような設定になっているんです」

要するに古き良き時代の
「年功序列・終身雇用を元に保険料を算出してる」
と言いたいらしい。だがちょっと待ってよ。今はそんな時代ではない。

高度経済成長は終わり、バブルもはじけ、終身雇用はないに等しい。
給料が上がり続ける保証なんて、どこにもない。

私 「え。じゃあ、給料が大して上がらない人は、どうすればいいんですか?」

単純にそう思い聞いてみた。すると。
外交員のおばちゃんは、黙りこんでしまった。

続きます。

家計のこと | 08:24:18
普通でいいんだよ。普通で
前回の続きです。

総務 「そのまさかです。数は少ないですけど、本当にいますよ」
私  「まじですか。そんなの都市伝説かと思ってました」
総務 「すごいですよ。満面の笑顔と、しかもピースまでしたプリクラを貼ってくるんです」

驚きを通り越して笑ってしまった。想像するとなんかおかしい。

他にも、スーツやジャケット着用ではなく、普段着のまま写したものとか
スーツは着用してるけど、コートをはおったまま写ってるとか
見るからに、ケータイで「自撮り」した。とわかる写真を添付してくる人までいるらしい。

色んな人がいるんだなあ~。
履歴書ひとつとっても、その人となりが見えて面白い。
総務のお姉さん曰く。履歴書を見ただけで、雑な人は一発でわかるという。

やっつけ仕事のように、なぐり書きをしてくる人。
間違えても、書きなおすことなく修正テープを使う・上からかぶせて誤魔化す人。
正社員希望なのに、志望動機を「自宅から近いから」とだけしか書いてこない人。

聞いてて一番ぶっとんだのが、この内容。
パートの募集なのに、本人希望欄へ「職種は管理職・年収550万円以上希望」と書いてくる人。
なんだそれ。パートだよ。応募する先を間違えてんじゃないの?

私  「あれですかね。募集要項をきちんと読んでないんでしょうか」
総務 「そう思います。多分、あちこち手当たり次第に履歴書出してるんでしょうね」

本当に。世の中には、想像もつかない人間がたくさんいるんだな。
募集要項をくまなく見るとか、自分の条件がマッチングするとか考えないのか。
履歴書の書き方、写真の撮り方だって、事前に調べたりしないものなのかな。

無知って、ある意味最強だわ。
いや待てよ。案外、こういう人間が将来大物になったりして。
けどなあ。ウチの会社に、スケールの大きい人間の需要はないようだ。

「普通の人でいいんだよ。普通で」と、社員さんは口を揃えてみんな言う。
あいさつができて、一般常識がある人。能力もそこそこでいい。
特別優秀でなくてもいいんだよ。ごく普通の人に来てもらいたいんだよね~。と。

でもふと思った。「普通」ってどこからどこまでを指すんだろう。
普段、何気なく使ってるけど、この定義ってどうなってるんだろう。
ひょっとすると。その人によって、時代によって、変化していくものなのかもな。

今はこうやって笑ってるけど、何年か後には
「プリクラで履歴書用の写真を撮影する」のが常識。
なんて、変わってるかもしれないよな~。

笑えないわ。果たして自分はこの先、時代についていけるんだろうか?

仕事のこと | 08:46:17
証明写真をプリクラで撮る
前々日、応募書類郵送時のミスについて、記事にしました。

この話題の時に、総務のお姉さんからこれ以外にも
「トンデモ応募者」
のお話が聞けて、とても面白かったです。

総務 「皆さん、意外と「様」と「御中」の使い分けが出来てないんですよね」
私  「というと、人の名前に御中つけるとかですか?」
総務 「そうです。結構、逆に書いて来る人が多いんですよ」

へー。ざっくり言うと「様」は人宛で、「御中」は法人宛だよね。
宛名のパターンはいくつかあるとは思う。
ウチの場合は、総務課の谷課長が採用担当になってる。ということは。

○○社 総務課 課長 谷様
○○社 総務課 採用ご担当者様
○○社 総務課御中

のうちの、どれかになると思うんだけど。これ以外何かあるのか。

総務 「“ 総務課 谷様御中 ”って書いてきた、面白い人がいましたよ」
ぉいおい。様と御中をワンセットにしちゃったんだ。

総務 「あとは“ ○○社 総務課御中 谷 ”だけで寄越した人もいましたね」
今度は呼び捨て。すごいな。自分で書いてて、おかしいと思わないのか?

こういうのって、学校や親から教わるものではない。
普段の日常生活で、自分で宛名を書いて企業へ書類を郵送する。
という機会もほとんどない。だから知識がないのは仕方がない。けどなあ。

私 「調べないんですかね。こういう時の宛名はこう書く、とかって」
総務「あ、それ谷さんも言ってました。ちょっと調べたら分かる事をしてこない人は、それだけでもうダメだって」

あー。やっぱりね。ちゃんと準備をしない人への対応は厳しいんだな。

総務 「でもこれは、まだいい方です。もっとヒドい人もいますもん」
私  「へえ。まさか、証明写真にプリクラを貼ってくる。とかじゃないですよね」

私としては、冗談で聞いたつもりだった。
今は便利な時代なので、写真屋やスピード写真機以外の撮影方法はたくさんある。
履歴書アプリ、証明写真アプリ。こういうものを使う人がいるのも聞いた事がある。

けど、私は古い人間なので、自分の証明写真は絶対に写真屋で撮る。
少々お高いけど、目の下のクマや、肌色がいい感じに修正される。
画像データをくれるし、添付サイズにカットまでしてくれ、至れり尽くせり。

スピード写真と、写真屋で撮った写真。
両方を同時に比較すると、その違いは一目瞭然。
出来に関しては、圧倒的に後者の方に軍配があがる。

企業によっては、スピード写真すら嫌うとこもある。
「パートアルバイトはともかく、正社員の応募でスピード写真はちょっとね~」
と思ってる採用担当も中にはいる(もちろん、それが理由で不採用とはならないけど)。

だからさすがに、マジもんのプリクラ写真。
これを応募書類の証明写真として使うなどという。
そこまで非常識な人はいないだろう。とは思っていた。

しかしそうではなかった。
プリクラを証明写真として、履歴書に貼ってくる人間は、実在するらしい。


続きます。

仕事のこと | 09:09:55
あるブログを読んで思い出したこと
どちらかというと、ブログは書くより読む方が好きな私。
なので、日々色んなブログへ訪問して楽しんでます。

先週ですが、そんな中でちょっと目をひいた記事がありました。
内容は、ダンナ様と2人で旅行へ行った。というものです。
この記事のブログ主様は、私と同じ40代主婦の方。

日々の生活、スポーツネタ、更年期etc.・・・。
などなど、バリエーションに富んだ記事を書かれる。
この方の記事を読んで、私がいつも思うことがひとつある。それは。

ご主人と仲いいよなあ。そして、お互いが相手を気遣ってる。
(喧嘩もたまにしているみたいだけど)

今回ご主人は、奥様の行きたい場所をチョイスしてくれた模様。
しかも、奥様のすぐれない体調を考慮し、工程も工夫されていた。
いいな。こういうダンナさんと一緒だったら、穏やかに楽しめそう。

ウチの場合だと、私とダンナは良くも悪くも感性が間逆。
行きたい場所も、見たいところも、食べたいものも、全て一致しない(。-_-。)
加えて、ウチのダンナはかんしゃく玉。何がイヤってこれが一番イヤ。

何かの拍子で、不機嫌スイッチが発動するともう大変。
あの手この手で、ご機嫌取りをするハメとなる。最近はほっとくけどね

ドライブ中の居眠りなども、すごく嫌う。
私とて、運転してる横で寝るつもりはない。けど、意識が飛ぶことは多々ある。

ダンナ「疲れてても運転してるのに、寝られるとむかつく
私  「じゃあ私が代わりに運転するよ。だったら寝ないから
ダンナ「それをすると、一生寝る事になるからお断り」

なにそれ。私の運転はそこまで信用ならないって事っすか。
ホンマ、失礼なやっちゃなでも、じーっと座ってるだけってのも疲れるんだよ。

件のブログ主様のご主人などは、「横になってなよ」とお優しいのにな。
私、今までドライブしてて、こんな言葉言われたことあったかしら。
などと思いながら、ふたたび道中記を読んでいった。

旅行期間中は、天候の良くない日も続き、ハプニングも続出だった様子。
それでも「後で笑い話になる。楽しかった」と、締めくくり記事は終わっていた。

読み終えて思った。
物事って不思議と、ハプニングやトラブルのほうを後から思い出す。
意外と「楽しい!良かった~」という記憶は、いつまでも残らないように感じる。

ブログ主様の言うように、きっと後で
「散々だったよね~。でも面白かったかも」
と、笑い話になるに違いない。いや。なりますように。

ちなみに、自分の旅行で一番覚えているのは、新婚旅行で行ったバリ島。

忘れもしない。最終日前日、カードでホテル代を清算しようとした時のこと。
何度スキャンしても、カードが通らない。
フロントから「このカードは使えません。他のカードはありますか?」と突っ返される。

カードが使えない原因は、磁気不良。けどこれは帰国してからわかったこと。

この時、私はカードを持ってなかった。ダンナも1枚しか持って行ってなかった。
それまで、現金で買い物したり飲み食いしてたので、カードが使えないのに気付かなかった。
大慌てで、手元の現金をかき集め、なんとかホテル代を支払うものの。

支払い以降は、現金が全く残らず、ご飯すら食べることができなかった。
2人ですきっ腹をかかえ、大変にひもじい思いをしました。
帰りの飛行機の中で、一日ぶりに食べた食事の美味しかったこと。

「バリ旅行での食事は、機内食が一番おいしかったよね」
と、今では笑い話になっている。

あの時はお土産も買えず、手ぶらで帰ってきた。もう散々だった。
20年以上経った今も、旅行と言えば、この出来事を真っ先に思い出す。
色んなトコ行ったし、景色も綺麗だった。楽しい事もたくさんあった。

・・・はずなのに、そっちの方はあまり覚えていない。おかしいなあ(´・ω・`)








ブログの事 | 08:37:33
うっかりミス?いいえ重大ミス
前回の続きです。

総務 「ああ~それきっと、切手が貼ってなかったやつだと思います」
私  「え。まじですか。そんな人いるんですね」

率直にそう思った。なんだそれ。不注意が過ぎるだろう。
ポストへ入れる前に、確認しないのか?応募書類だよ。

総務 「結構いますよ。今回は2人、切手貼ってこなかった人いましたもん」
私 「そういう時って、どうしてるんですか?」
総務 「名前だけ控えて、受取拒否するんです」

なるほど。そういう事だったのか。
あの応募者は、切手を貼ってないことに気がついてなかった。
そして受取拒否された理由もわからず、ウチへ電話してきた。
きっと、受取拒否の文言しか、目に入らなかったんだな。

総務 「受け取ると、ウチが切手代を負担しなくちゃいけないんですよね」
私  「そっか。そうですね。それは受け取れないですよね」

しかし。出す前に、気がつかないものなんだろうか。
戻ってきた封筒を見て、なにも違和感を感じないのか。
一度ならず二度までもスルーしてる。随分、注意力散漫な人なんだなあ。

総務 「そうですよね。友達に出す手紙と違うんだから、確認するべきですよね」

そして、切手の貼り忘れと同様に、料金不足で届くケースもよくあるとの話でした。
郵便の料金改定を忘れ、手元にある80円切手だけで寄越す人。
もしくは、重量オーバーで82円切手では足りない人。

ウチの会社は、料金不足も貼り忘れ同様、受取拒否をする(応募書類に限ります)

加えて、驚くことがもうひとつ。
一度戻された後、切手を貼って再度送ってくる人が多いという事実。
へえチャレンジャーだな。私は無理。戻ってきた時点で、もう諦める。

切手を貼らずに応募書類を出した。
なんてことをやらかした会社へ、もういちど応募する気になどなれない。
この考えは、あながち間違ってはいないと思う。

それが証拠に、総務のお姉さんは、爽やかにキッパリ言い切った。

総務 「こういうミスをする人は、再度送ってきても中を見ることはないんですよ」
私  「受取拒否の段階で、選考から外れてるということですか?」
総務 「そうです。最初の時点で不採用決定です。その為に、名前を控えてるんです」

ひえー。シビアだ。でも、当然と言えば当然か。
総務 「履歴書1通すらまともに送れない人に、大切な仕事をお任せできないですからね」

ハイ。おっしゃる通りです。ほんのちょっとの事なんだけどな。
一番いいのは、窓口へ行って出す方法。
そうすれば、貼り忘れも料金不足も防げる。

実際、私も履歴書はポストじゃなく窓口から出すようにしてる。
窓口へ行けない時は、勿体ないけど余分に切手を貼ってポストに投函する。

だってさ。たかだか、数十円の切手を貼り忘れた・料金が不足した。
そんなことの為に、選考の対象にすらならない、だなんて。泣くに泣けないわ。




仕事のこと | 08:13:53
受取拒否された履歴書
先週、会社でこんな電話を受けました。

「すいません。履歴書送ったんですけど、戻ってきました」

ウチの会社は、決してブラックではありません。ただ。
職種も人員も多いせいか、常にどこかしらの部署で募集をかけています。
どうやらこの電話の主も、応募者の1人のよう。

しかし普通は
「履歴書が戻ってくる」ってのは、どう考えても不採用フラグ。
どうした。自分がダメだったって、わからないのか。

このまま人事に代わってもらおう。と思ったものの。
人事担当は出張に行ってしまって、社内にはいない。どうしよう。

などと考えながら、話を聞いて行くと、どうやらそうではなかった。

応募者「送った封書が、そのまま戻ってきたんです」
私  「封を開けた形跡がない、と云う事でございますか?」
応募者「はい。出した封書に、受取拒否の判子が押されて戻ってきました」

受取拒否?なんだろう。ウチでそんな事するとは思えない。
もしかして、住所を書き間違えたんじゃないのか。
違うとこに応募書類が届いたんじゃないのか。そう思い聞いてみました。

私  「弊社の住所は、△△区1条1丁目でございます。お間違えないでしょうか?」
応募者「はい。今の住所に、間違いなく送りました。どうして戻ってきたんでしょうか」

そう言われても、現物は見えないし、原因がわからない。
こういう時に、窓口となる人事担当もいない。どうしたものか。
困って、近くの社員さんへ相談すると

社員「なんでだろうね。いいよ。もう一回送れって言っといてよ」
との指示が出ます。はあ。そうですか。わかりました(´・ω・`)

私 「恐れ入ります。なぜそのようになったのか、私どもの方では理由がわかりかねます」
応募者「・・・そうですか」
私 「お手数ではございますが、もう一度ご送付頂いてよろしいですか」
応募者「わかりました。もう一度送ってみます」

この場は、これで終わりました。
私としても、これ以外に言いようがなかった。
でもなんだか気持ち悪いので、後日、総務のお姉さんへ聞いてみました。

すると、意外な事実が判明します。


続きます。



仕事のこと | 10:06:30
平成っ子が歌う懐メロ
我が家ではたまーに、家族3人でカラオケに行きます。

娘などは、お友達と行った方が楽しめるんじゃないの?と思うけど。
「歌ヘタだから、友達の前で歌うなんて無理。だったら1人カラオケの方がいい」
との事。ふーん。そんなもんかね。

私が若い頃なんて、よく友達とカラオケボックスでオールした。
どうせみんな、人の歌なんて真面目に聞いちゃいない。私だけか?

おのおのが、自分の好きな曲を歌って満足。音痴だろうが気にしない。
まあ、この辺の考え方は、性格の違いってやつかな。

当然の事ながら、私やダンナと娘とでは、チョイスする歌がちがう。
最近の曲がほとんどわからない、私とダンナはもっぱら昔の歌。
対する娘は、ボカロだの星野源だの今流行りの歌。

お互い「何それ。聞いたことないんだけど」などと言い合っている。
私もダンナも、歌のレパートリーは決まってる。
最近は新規開拓することなく、いつも似たような曲を歌ってる。

ちなみに私がよく歌うのは、80年90年代の曲。アニソンも歌う。
なんていうか。上手く言えないけど「起承転結」のある曲が好き。
そしてダンナは、70年80年代の演歌やコミックソングが好き。

最初は発声練習代わりに、歌いやすく静かめの曲からスタート。
「異邦人」「蠍座の女」「迷い道」「夢芝居」などなど。
その後は、一気にテンションを上げていく。

「星降る街角」「お久しぶりね」「六本木心中」「2億4千万の瞳」
という、ベタな曲で大声を張り上げつつ、ストレス解消。ちゃんと合いの手入れます!

私とダンナが歌う、数々の懐メロ。
最初は「へえ~。昔の曲って面白いね」などと笑って聞いてた娘。
でも。次第にそんな中から、琴線に触れる歌が2曲ほど出てきた。

1曲目は村下孝蔵さんの初恋。
「五月雨は緑色」から始まる、あの美しい言葉の響きと、独特の旋律。
これは一度聞いただけで、かなり印象に残った様子。

娘 「メロディーも歌詞もいいね~。この曲好きかも」
と感激。そして原曲の、村下さんの声を聞いて、更にノックダウン。
娘 「なにこれ。すごい!!聞いてて泣きそうになっちゃう」

わかる。当時も今も、この曲を聞くとなぜか切ない気持ちになる。
彼の歌を聞くと、日本語っていいよな。としみじみ思う。
特に2番の“風に舞った花びらが水面をゆらすように~”のくだりなど、もう神。

2曲目は、ブルーハーツのTRAIN-TRAIN。
これに至っては、娘も毎回歌うほど好きな曲になった。
アップテンポな乗りの良さはもちろん、歌詞もいたくお気に入り。

娘が一番大好きなのは、このフレーズ。
あなたが生きている今日は、どんなに意味があるだろう

娘 「もう、ここ最高!大好き

うんうん。いいよね。私もそこは大好き。
世代が違っても、心に触れる部分が似てる。というのはちょっと嬉しいな。
やっぱりいい曲っていうのは、いつ誰が聞いても心を打つものなんだね。



日常のこと | 09:09:35
書ききれない職務経歴
今まで、二桁以上の会社で仕事をしてきたワタクシ。

直採用された会社では、長く勤めてきました(それでも5~6年くらい)。
けど派遣で働いてた時期は、コロコロ職場を変えてきた。
長くて2年。短いとこだと、半年ほどしか勤務していない会社もある。

派遣社員として働いてた期間は、10年ほど。
この10年の間に、述べ8社ほどの会社で勤務していた。

こうなると、履歴書の経歴欄に書く分量も多くなってしまう。
どの会社にいつからいつまで勤めたか。所属や職種は何か。
正直、これを書くのが非常にめんどい。

直近のものは覚えてても、何年も前ともなると
「はて。ここって何月に入社したっけ」
と、曖昧な記憶と、社会保険の入脱退日を頼りに書いていく事となる。

履歴書を書いてて困るのが、この職歴問題。
市販のものだと、せいぜい5~6社分しか空きスペースがない。
当然の事ながら、職場を転々としてきた私は全てを書ききれない。

仕方がないので、一度試しに学歴をすっとばして、いきなり職歴だけを並べてみた。
短期を省いて、1年以上勤務した会社だけをピックアップしてみたりもした。
けどやっぱりダメ。どう頑張っても、経歴欄からはみ出てしまう。

さてどうしよう。どっか適当に、端折ってしまおうか。
いや待てよ。抜いてしまうと、仕事をしてない期間だと思われてしまうか。
などと悶々と考え、友人のアキちゃんへ相談したのが10年前。

彼女も私同様、これまで派遣で様々な会社を転々としてきた。
なんかいい知恵があるだろう。
そう思って聞くと、イイ事を教えてくれた。

アキ「そういう時は、職務経歴書の方に書けばいいんだよ」
私 「職務経歴書?へーそんなのあるんだ。職歴だけ書くってこと?」
アキ「そうそう。便利だよ。市販のやつに書いてもいいし、自分でPCで作ってもいいし」

そうか。そっちに詳細を並べておけばいいのか。
しかもPCだから、ミスっても訂正できる。これはいいかも。
この方式を教わって以降は、履歴書に長々と書くのを止めました。

履歴書には、直雇用で勤務した会社だけを書く事にした。
その代わり、派遣勤務をした期間は、全て職務経歴書に並べてみる。
おかげで記入する量も減り、仕上がりもスッキリしたものになった。

こうすることによって、全部データで残るのも良かった。
数年経って、また求職活動をする際はこれを見ながら履歴書を書けばよい。
と思っていたら。

5年前、PCが突然クラッシュしてしまった。
ウンともスンとも言わない。そこで仕方なく、初期化することに。
当たり前だけど、中のデータはパア。なにひとつ残らない。

この職歴データはハードディスクにしか保存してなかった。
しまった、と思ったものの後の祭り。

再び記憶を辿り、社会保険の加入歴を眺めつつ。
一から、職歴データを復元するハメとなったのでした(´;ω;`)

仕事のこと | 08:58:26
「私なんて~」の本音
「学校祭のステージ発表、私も出る事になった!」

と、昨日娘がウキウキしながら帰ってきました。
発表の演目は、ディズニーを元にしたミュージカル。
美女と野獣やら、シンデレラをちゃんぽんして、自分達でシナリオを作ったらしいです。

私 「ふーん。何の役?」
娘 「悪い魔女役。出番はちょこっとしかないけどね」
私 「面白そうだね。でもあなた、クラス発表の代表もやってるよね。忙しくないの?」

娘の高校の学校祭は、クラス発表・ステージ発表・芸術発表の3部門がある。
娘はクラス発表の責任者。今回はお化け屋敷を企画してると言っていた。
準備はもちろん、当日も忙しいはずだけど大丈夫なのか。

娘 「忙しいよ。でも、誰もやるって言わないから、私が手あげた」
私 「へ~。あなたのクラスって、本当にとことん消極的な子ばかりだね」

新しいクラスになって3ヶ月目。
最初から薄々思ってはいたけど、能動的な子が少ない。
娘が話してくれる、クラスの様子を聞いてきてそう思った。

何を決めるにしても、意見を言う人間がとにかく少ない。
代表だの責任者なんてのは、絶対に誰も手を上げない。
言われたら動きはするけど、自ら率先して動ける子は少数派。

「みんな、視野が狭すぎる。もっともっと、色んなことに興味を持って」
と、担任の先生からも指摘される始末。

今回、ステージ発表のキャストも、なかなか決まらなかったらしい。ただ。

娘 「でもね~、お姫様役を決める時は、面白かったんだ」
私 「お姫様役なんて、可愛くていいじゃん。それすら誰もやりたがらないの?」
娘 「ううん。やりたいけど、みんな自分で言うのは恥ずかしいって感じ」

あ~。あるあるだね。誰かが自分を指名してくれるのを待ってるのか。

「○○ちゃん、やりなよ~。可愛いから似合うと思うよ♡」
「え~私でいいの?きっと無理だよ~。誰かいないの?やる人」
「大丈夫だよ~○○ちゃんしかいないって!やってみなよ」

などという不毛な会話を想像してしまった。すると案の定。

娘 「1人、指名された子がいたんだけどね。それがもう笑っちゃうんだ」
私 「なんかあったの?」
娘 「“え~やってもいいけど。私なんか、相手役の男の子が可哀想だよ~”だって(。-_-。)」

出た。自分を落とすフリして美味しいとこを持ってこうとするヤツ。
やってもいいなら、最初から「はいやります」でいいじゃん。
と思うけど、これは性格なんだろうな。それとも、思春期特有の照れくささ?

娘 「やってもいいけど。じゃなくて、やる気満々だったよ。素直に喜べばいいのにね」

ウチの娘は、こういう所は正直。もしそう言われたら
「うん!やるやる。やりたかったんだ~。嬉しい
と、純粋に喜ぶタイプ。なので、こういうまどろっこしい態度を嫌います。

実際、クラス発表の責任者でなければ、立候補したかったと言っていた。
娘 「お姫様のドレス、超可愛いんだよ。着てみたかったな」

そうして。
結局、お姫様役はこの「私なんか~」ちゃんに決まったそう。
しかも決まるまで、以下のやりとりを数回ループしたそうです。

「○○ちゃん、やってみなよ~
「え~私なんかで大丈夫かな~
「○○ちゃんなら大丈夫だよ。やってよ~」

いやあ。女の子の扱いって大変ですね。



出来事 | 09:09:34

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