スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
無事に帰還
前日の続きです。

自宅へ戻り、迷い犬はお巡りさんへ預けました。
ミニパトの後部座席乗せ、その後は犬種の確認をします。

警察「これは・・・小型犬ですか」
私 「中型犬ぽいですけど、どうでしょうね」
警察「小型犬っていうのは、あれですか。チワワみたいなのをいうんですか」

そうなのかな。小型だの大型といったカテゴリーって。
確か、体重何キロとか規定があったような気もする。
この子は抱いた感じ、7キロあるかないかの重さだった。どっちなんだろ。

そして。やはり肝心の犬種が、私達二人にわからなかった。

私 「うーん。テリア系っぽいけど、詳しくはわからないです」
警察「テリア?それは、ヨークシャーテリアの事ですか」

えーと。テリアも色々ありまして。
たくさん種類があるんです。ヨーキーだけがテリアじゃないんです。
しかもこの子は、ミニチュアシュナウザーに見えなくもない。

一生懸命、スマホを駆使して探した。
二人で、ミニパトの中の迷い犬を眺めながら相談した。
でも犬種については、結局最後までわからずじまいだった。

警察「オス。色は白とブラウン。長毛、体長50センチ、耳は立ってる・・と」

ここまで書類に記入するとお巡りさん。預かり書を渡してくれた。そして。
警察「では、お預かりします」
と言い、交番へ戻っていきました。

迷い犬はその間ずっと、ちょこんと待ってました。
吠えることも、暴れることもない。じっとお座りしていた。
大人しいなあ。お行儀もいい。躾がきちんとされてる感じ。

きっと、飼い主はすぐ見つかるだろうな。
と思ってたら、本当にすぐあらわれた。お昼近くの時間だった。

警察「見つかりました。家へ帰っていきましたよ」
と、教えて下さいました。良かった。これで一安心。
すぐ、ダンナと娘にも報告しました。

二人とも「良かった~」と言ってはいたものの。
娘はちょっぴり寂しそうだった。

娘 「見つかって良かった気持ちが一番だよ。でもね」
私 「もし、飼い主が出てこなかったら、飼いたかったんでしょ」
娘 「うん!」

気持ちはわかるけどね。でも、飼い主が一番だから仕方ない。


そして。この日、お隣のおばあちゃまから、こう聞かれました。
お隣「なんか、パトカー来てたけど、どうしたの?」
ここで、事の経緯を説明します。

お隣「あらまあ。そうだったの。いえね、泥棒でも入ったのかしらって話してたのよ」
ああ、そっちの心配か。だったら安心してください。
万が一泥棒が入っても、ウチに金目のものは、何もないから大丈夫です。




スポンサーサイト
日常のこと | 09:41:31
朝から大騒ぎ
つい先ほどのことです。

毎朝7時には、一緒に家を出ていくダンナと娘。
ところが今日は一旦家を出た後、10分も経たないうちに戻って来ました。
なんだ?忘れものか?と思ったら違った。

驚くことに、娘がちっちゃいワンコを抱っこしていた。

ダンナ「会社行く途中で犬拾った!」

どうやら信号待ちしてる時に、横の道路からピョコピョコ走ってきたらしい。
でも飼い主はどこにも見当たらない。首輪もしていない。
ちょうど通勤時間帯で、車が多く危ない。このままだと轢かれてしまう。
そこでつかまえ、ひとまずウチへ連れてきた。とのこと。

見ると、野良ではなくどこかの飼い犬っぽい。きっと迷い犬だ。
吠えないし、噛まないし、大人しく人懐っこい。こちらの顔をじっと見つめてくる。
毛並みもちゃんと手入れされてる感じ。

ダンナ「飼い主の人、探してると思うから警察届けてあげて」
私  「うん。わかった」
ダンナ「じゃ、俺ら出なきゃいけないから、あとよろしく!」
娘  「どうなったか、後でLINEで教えてね!」

そう言い、嵐のように再び家を出て行きました。
ちなみに、我が家には14才のコーギーがいます。
大人しい子なのでケンカはしないと思うけど、念の為、迷い犬はゲージへ。

とりあえず、ワンコ達にはお留守番しててもらうことにします。
私はすぐ、自転車で近所の交番へ届け出に行きました。
交番にいたのは、まだ20代くらいの若いお巡りさん。
迷い犬を拾った経緯を説明すると、まず最初にこう聞かれました。

警察「そのワンちゃん、お宅で飼いますか?」

いや。あの子は完全にどっかの飼い犬。ウチで飼うなんてとんでもない。
ちょっとしか見てない。でも、とっても可愛がってもらってる感じの子だった。
飼い主は、きっと今頃必死に探してるに違いない。そう言うと

警察「わかりました。では、動物一時預かり書を作成することになります」
私 「はい」
警察「ちょっと時間かかりますけど大丈夫ですか。これからお仕事では?」
私 「仕事はしてますが、午後からなので大丈夫です」

そう言うとお巡りさんは、安心したように、預かり書の作成を始めます。
住所・氏名・連絡先を伝え、拾った場所&日時をお伝え。
しかしその後、ちょっとした問題が発生。

この預かり書に、拾ったワンコの犬種や性別・大きさや毛色を事細かに記さねばならない。

警察「犬の事って、詳しいですか?種類とかわかりますか?」

ウチもワンコは好きだし飼ってる。でも犬種については、あまり詳しくない。
はて。あの子はどんな犬種だろう。考え込んでしまった。
ちなみに、こんな感じの子でした。かわいいの~

IMG_20170530_071704.jpg

考えてても埒が明かないので、写メを見せようとすると

警察「あ、これから私が引き取りに伺います」
私 「いいんですか?私がこちらへ連れてきてもいいですけど」
警察「大丈夫です。パトカーで行きます。ワンちゃんは車に乗せてきます」

はあ。そうっすか。
ということは、パトカーがウチの前に横付けされるという訳ですね。
ご近所さんの目が気になるとこだけど、まあいいか。

という訳で。
自転車に乗った私が、自宅へミニパトを誘導する。
という、滅多に出来ない経験をする事になりました。

続きます。



日常のこと | 10:08:56
履歴書を書くのって疲れるよ
これまで、多種多様な会社を転々としてきました。

一番多かった雇用形態は派遣です。
なぜ派遣かというと理由は単純。履歴書を書かなくて済むからです。

けど。「派遣35才寿命説」という都市伝説は本当だったのか。
40才近くになったあたりから、次第に紹介してもらえる案件が減ってきた。
仕事がないわけではない。あるにはある。

ただ、特別なスキルも能力もない私。
紹介してもらえるのは、ほとんどがコルセン系の案件ばかり。

コルセンでもいいけど、ネックは土日祝日勤務しなければいけないところ。
現場によっては、夜9時10時までなんてのもある。
当時娘はまだ小学生。できれば土日は休みたい。夜の勤務も避けたい。

そこで、派遣で働くことを諦め、パートで仕事を探すことにしました。
この時に、久しぶりに履歴書を書くようになるのです。
正直「パートだったらすぐ決まるだろ」と、考えていた。

でも甘かった。
パートとはいえ、1社だけの応募で雇ってもらえはしない。
採用が決まるまで、いくつもの会社へ履歴書を出しました。

履歴書ってのは、真剣に書こうとするとえらい時間がかかる。
集中して書くけど、途中どこかでミスってしまう。
特に、私にとっての難関は「職歴欄」。ここが一番嫌い。

年と月を間違えたり、前株と後株を書き間違える。
学歴の後の職歴見出しを入れず、そのまま記入していく。
なんてやらかしてしまう。

書き始めでのミスならまだいい。
一番こたえるのは、最後の志望動機あたりでの書き間違い。
「あともうちょっと」の段階でミスると脱力してしまう。

本当は余計なことを書かなければ、ミスもしないのだろうけど。
「履歴書は、埋めれるとこは全部埋める方がいい。空白は作らない方がいい」
と聞いたので、ありもしない特技やら、心にもない志望動機を書くハメになる。

履歴書のスタイルによっては「自覚してる性格」
なんてことまで書かなくてはいけない。これも困る。
「性格ってなんだよ。まじかよ。こんな事まで書かなきゃいけないのか」
と、うんうん悩みながら、絞り出すように書く始末です。

間違えたからといって、修正ペンは使えない。
1文字でもミスると、また一からやり直し。これがもう疲れるのなんの。
応募自体をやめてしまおうかと思ってしまうほど(笑)

なので求職活動をする際は、5~6枚ほど履歴書を書きためておきます。
これだったら、はい次。はい次。とすぐ応募できる。
でも、こうやって準備万端な時に限って、すぐ決まる。

一体なぜなんだ。不思議で仕方ありません。



仕事のこと | 09:03:02
順番は大事
ウチのダンナは、野球もサッカーも見るのが大好き。
テレビはもちろん、年に1度は必ず観戦に行きます。

対して、私は特に興味がない。娘も同様です。
誘われれば行くし、行ってしまえばそれなりに楽しむ。
けど、わざわざ自分から行こうとは思わない。

そんなダンナが、先週野球のチケットをもらってきた。
試合の日程は5月28日(今日)。午後2時からプレイボール。

しかし。チケットは2枚しかもらってない。
1人行けない人間が出てくる。追加で一枚買ってもいいけど、席が離れてしまう。
ダンナは当然行くので、私か娘のどちらかがあぶれてしまう。

どうすんのかな。
と思っていたら娘へ週末の予定を聞きにいきました。

ダンナ「お前さ。今度の日曜って、部活か?」
娘  「今度って28日?うん。その日は、夕方まで部活あるよ~」
ダンナ「そうか。じゃあ、その日パパとママ、野球行っても大丈夫だな」

何がどう大丈夫なのかわからないけど、さっさと結論を出すダンナ。
しかし。こう告げた瞬間、娘の顔色が若干、曇ってしまた。

娘  「え。何。2人で野球見に行くの?」
ダンナ「そう。チケットもらったんだけど、2枚しかないからさ」
娘  「ああ~・・・そうなんだ」
ダンナ「デーゲームだから夕方には帰るけど、一応家の鍵は持っていけよ」
娘  「・・・わかった」

あ。いじけたな。
行けないのはわかってるけど、誘うだけ誘ってほしかったんだ。
行く行かないは関係ない。最初から頭数に入れてもらえない。
というのは、ちょっと癪にさわるからな。

すると翌々日。
「ママ!6月に私も、友達と野球見に行くから(`・ω・´)」
と、娘がいきまいて学校から帰ってきた。

私 「なに。突然どうしたの?」
娘 「学校で、チケット招待券配ってくれるっていうから行くことにした!」
私 「ああそう。行っといで。けど、アンタ野球そんなに好きだっけ?」

ここで娘、本音をぽろり。
娘 「だってさ。パパ達だけで野球見に行くんでしょ。悔しいから私も行くことにした」
私 「やっぱいじけたんだ。そうかなとは思ったけど」
娘 「うん。行けないから仕方ないけど。でも、なんかカチンときちゃった」

なるほどね。物事ってのは、言う順番が大切なんだな。
「今度の日曜、部活か。じゃあ俺達野球行ってくるわ」じゃなく
「今度の日曜、野球見に行くけど、予定はどうだ?行けるか?」

と聞いておけば、ヘソを曲げなかったのか。
けど「部活だけど、行きたい!」と言われても、それはそれで困っただろうし。
難しいなあ~。




日常のこと | 09:11:17
40肩は突然やってきた
3年ほど前のことです。

ある日突然、左の肩が上がらなくなりました。
前にはかろうじて上がる。
でも、横と後ろにはまったく上がらない。

しかも、ふとした拍子に激痛が走る。
余りの痛さに息もできず、うずくまってしまうほどです。

調べてみると、どうやら40肩らしい。
しかし。40肩というのは、これといった治療法がない。
痛みがひくのをひたすら待つよりほかない。

予兆はありました。左手を動かす時に違和感が出ていた。
けど「なんか、動かしづらいな」と、思いつつも放置。
この状態で重たいダンボールを運んだ。が、これが良くなかった。

直後から肩が上がらなくなってしまう。
最初、筋違いか筋肉痛かと思いました。
でも、何日経っても痛みが引かない。むしろ悪化していく。

病院は嫌いなので、整形外科へは行きませんでした。
接骨院で鍼を打ちながら様子見することにした。しかし。
鍼を打った直後は気持ちいいものの、治る気配は全くない。

発症して1ヶ月間ほどは、日常生活のあらゆる所へ影響が出てきた。
手が動かせないので、かぶりものの洋服は切れない。
シャンプーもドライヤーも、思うように使えない。

一番困ったのが夜間痛。寝返りが打てない。

寝てる間は、意識していないので動いてしまう。
すると、激痛が走り目が覚める。これが夜中に何度も来る。
この期間は、夜まともに寝ることができなかった。

この生活が一生続くのかな。どうしよう。
と、絶望的な気持ちになりかけた頃に、痛みが和らぎました。

40肩には急性期と慢性期があるらしいです。
急性期は、安静にして冷やす。
慢性期は、温めて軽い運動をするのがいいらしい。

ここでちゃんと動かしておかないと、可動域が狭くなるとのこと。
そこで、激痛が引いてからは、極力肩を動かすようにしてきました。

痛みはほとんどなくなった。けど、今も若干動きがぎこちない。
きっと運動不足なんだな。いや。年のせいか?
なんて思ってたら。今度は右肩が怪しくなってきた。

一定の方向へ動かすと、痛みが出る。
やばい。やばいよ。
もしかして今度は、右肩が40肩になっちゃうのか。

やだなあ。右手は勘弁だよ。
利き手に支障が出ると、包丁すら持てなくなってしまいそう。
でも中には、両肩一度に上がらなくなる人もいるらしい。

両肩いっぺんなんて、生活できないじゃないか。
そうはならないよう、今一生懸命ストレッチに励んでいます。




自分の事 | 09:53:57
娘とパパのおでかけ
我が家の人員の、平素のスケジュールはこのような感じです。

私→平日は午後の5時間だけ仕事。土日祝日休み。
ダンナ→平日7時から20時まで仕事。基本土日休み。
娘→平日7時から18半時まで学校。土曜は隔週で授業、日曜は部活。

高校生の娘が、一番家にいる時間が少ない。
土日も関係なく、ほとんど毎日学校へ行ってる。

そして年頃の子は何かと忙しい。週末、どこかへ出かけようと計画しても
「あ~無理。コンクール近いから、部活休めないんだよね」とか
「今度の休みは、遊びに行くから行けない」など

大体が、このような感じでお断りされてしまう。
おかげで最近は、3人で出かける機会がめっきり減った。

代わりに、ダンナ&私の2人で出かける頻度が増えた。
お出かけと言っても、買い物行ったり外食するくらい。

けど娘からするとこの「2人だけで」がちょっと面白くないようで。
特に外食について、いちゃもんをつけてくる。

ダンナ「この間食べに行った店、美味しくなかったよな」
私  「そうだね。イマイチだった。もう次はないね。」

なんて話をしてると、ぶすっとした顔でこう言ってくる。
娘  「え。なにそれ。私知らない。ずるい。2人だけで行ったの?」

ずるいも何も。
アンタ、その日は部活で家にいなかったでしょう。

娘  「私も行きたかったな(`・ω・´)。外食は私がいる時にしてよ」
私  「そんなに行きたかったら、部活休めばいいじゃん」
娘  「それはやだ。部活は行きたい」

じゃあ無理だよ。どっちか諦めないと。
けどまあ。要は、自分だけがのけ者にされてる感がある。
そう言いたいらしい。

だがしかし。
逆に私と娘の2人だけで、お出かけする事だってある。
ダンナが、出張やゴルフでいない時などがそう。
女2人で洋服買いに行って、スイーツなど食べて帰ってくる。

すると。
今度はダンナが、子供のような物言いをつけてくる。

ダンナ「何。お前ら、2人だけで楽しんできたんだ」
私  「自分はゴルフ行ってたでしょ。焼肉食べてきたんでしょ?」
ダンナ「俺を置いて、自分達だけで美味しいもの食ってきたんだ」

いやだからさ。アナタも出かけてたでしょ。「置いて」は行ってないって。
というか。どこへ行った、何を食べてきた。ではなく
「自分抜きで出かけたこと」が面白くないんだな。きっと。

ダンナと娘は、性格がよく似てる。1人だけ置いてかれるのが嫌い。

私からすると
「じゃあ、私がいない時に2人でどこか行ってくればいいじゃん」
と思うのだけれど。

ダンナと娘が2人だけで、お出かけする事がほとんどない。
せいぜい、近場のスーパーへ買い物にいくくらい。

ダンナは「娘と二人きりでのお出かけする」
というのが、できないというか苦手らしい。
思い起こせば、昔からそうだった。理由はわからない。

お父さんというのは、こんなものなのかな?不思議です。

日常のこと | 08:12:18
あの日、あの時、あの場所へ
前回の続きです。
この話はこれが最後になります。

お土産を持っていったあの日。家の中へ通されたあの時。
2人は私を囲むように、ちょこんと正座をした。
身を乗り出し、顔を覗き込みながら、話を聞いてくれた。

今ならわかる。
嫌いな孫に、こんなことしてくれるはずはないんだと。
じいちゃんばあちゃんは「好きだよ」というサインを出していた。
それなのに、私は見ようとしなかった。

母が入退院を繰り返していた時期。
祖母は毎日毎日、ウチへ来て面倒見てくれた。

家事が全くできない父の代わりに、掃除も洗濯もご飯支度も全部祖母がやってくれた。
自分の仕事があるのに、祖父はウチの畑仕事も手伝ってくれた。

確かに母が言うように、困った時「お金」で助けてはくれなかったかもしれない。
でも、自分たちの時間を、私たち家族のために費やしてくれた。


振り返って思う。
ちゃんと言ったことがあっただろうか。

ばあちゃん。ご飯おいしかったよ。ありがとう。
じいちゃん。忙しいのに、お手伝い来てくれてありがとう。
じいちゃんばあちゃん。大好きだよ。

感謝の言葉。好きだという気持ち。
大切なことをなにひとつ言って来なかった。
大きな忘れ物をしてきた。

与えてもらうことばかり考えていた。
困った時は、助けてくれて当然だと考えていた。
自分から何かを与えるとか、はたらきかけることをしてこなかった。

昔読んだ本で、こんな言葉があった。

おばあちゃんから1万円をもらったら君は大喜びするだろう。
でも、お姉ちゃんが2万円をもらったと知ったら、がっかりするのではないだろうか。

君が1万円をもらったことに、変わりはないのになぜだろう。


この「君」が考えてることは私と一緒だ。
自分が受けた愛情に変わりはないのに
他の孫(いとこ)と比較して、ひがんでいた自分だ。

私はこれまで、後悔するような生き方をしてきていない。
過去へ戻って、これまでの人生をやり直したい。
などと考えたこともなかった。

でもたったひとつだけ、悔やんでいることがある。
それは、じいちゃんばあちゃんへ、言うべき言葉を伝えなかったこと。

もしも。
一日だけ過去へ戻ることが出来るとしたら、どこへ戻りたいか。
こう聞かれたら、迷わずこう答える。

私が東京へ旅立つ日。
じいちゃんとばあちゃんが、励ましに来てくれたあの時に戻りたい。
そして言いたい。

じいちゃんとばあちゃん。
ひ孫の顔見せるから、絶対に長生きしてね。と。





過去のこと | 08:20:49
嫌いなはずなのに
前回の続きです。

高校で、修学旅行へ行った時のこと。
お土産を買う時に、何気なく祖父母の分も一緒に購入した。
買ったのは、10個入りのもみじまんじゅう。

嫌いだもん。
そう思っているはずなのに、無意識に買っていた。

家へ帰って、父から渡してもらうとすると
「それは、まどりんが直接じいさん達へ渡してこい」
と言うので、渋々祖父母の家へ渡しに行きました。

この時の私の気持ちは、ただただ
「ヤだなあ。顔合わせたくないなあ。さっさと帰ってこよう」
重い足取りながらも、祖父母の家へ到着します。すると。

祖母「まどりん?どうしたんだい?」
私 「はいこれ。修学旅行のおみやげ」
祖母「あら!まあまあ!」

驚いたかと思ったら、大きな声で祖父を呼びます。
祖母「あなた!まどりんが、おみやげ持ってきてくれたわよ!」

奥にいた祖父まで、玄関先まで来てくれた。そして。
祖父「おみやげ買ってきてくれたのか?」
祖母「どこに行ってきたの?あ、ほら上がって上がって」

玄関先でおいとまするつもりが、そのまま家の中へ通されます。
受け取った後は「ありがとう。じゃあね」で、ハイ終了。
そう思ってた私は、この反応に戸惑ってしまいました。

通されたあとは、質問攻め。
どこへ行ってきたの?何日間行ってきたの?
向こうの食べ物は美味しかったかい?楽しかったかい?

何年ぶりだろう。こんなに喋るのは。
じいちゃんちに上がるのも、すごい久しぶりだな。
すぐ裏に住んでるのに、ずっと避けてきた。

なつかしいな。ちっちゃい頃は、この家へよく遊びに来てた。
まとわりついて、畑仕事の邪魔もしてたっけ。
そんなことを思いながら話をしていたら

祖父「そういえば、まどりんへ小遣い渡してなかったよな」
そう言うと三千円渡してきました。再びの驚き。これはすぐお断りしました。
そんなつもりで買ってきたわけじゃない。

私 「小遣いは、お父さんから貰ったから大丈夫」
祖母「それはそれ。これは私達からだよ」
私 「でも、貰ったらお父さんに怒られる」
祖父「じゃあ内緒にしておきなさい。いいから取っておきなさい」

そうして、お札を握り渡されます。
こうしてくれる祖父母の気持ちが、当時の私にはわかりませんでした。

なんでだろ。そんなにもみじまんじゅうが好きだったのかな。
だったら、もっといっぱい入ったやつ買ってくれば良かった。
そんな風にしか考えられなかった。

でも違った。祖父母は品物が嬉しかったんじゃなかった。
旅先で、自分達のことを一瞬でも思い出し、こうして買ってきた。
その気持ちをとても喜んでくれたんだった。

続きます。

過去のこと | 08:36:31
見えなかった愛情
前回の続きです。

寝たきりになってから5年後。
私が娘を産んですぐ。入れ違うように祖父は逝ってしまいました。
そして、この間に色々な事実を知ることとなります。

祖父と叔父の諍いの原因。それは私にあった。
叔父には、私より1つ年下の息子(トシくんとします)がいる。
トシくんは、高校卒業後に専門学校へ進学するつもりだった。

けど、浪費家の叔父に、学費を工面できるような蓄えはない。
そこでいつものように、祖父へ援助を求めにやってくる。
しかし。祖父はこのお願いを突っぱねた。そして、こうも言ったという。

祖父「女のまどりんでさえ、遠くで働きながら頑張ってるんだ。
   トシだって、自分のことは自分でできるだろう」

今までとは違う対応に、叔父はかなり怒ったらしいです。
それまで、叔父一家は祖父の家へよく遊びにきていた。
けど、この出来事以降、ぱったりと来なくなってしまった。

苦労人の祖父と、甘い考えの叔父に隔たりもあった。
これが発端となり、最終的に祖父と叔父は絶縁にまで至ってしまう。

そして。
祖父が亡くなってから一年後のこと。
父から思いもよらない事実を告げられます。

父 「じいさん達が、まどりんに預金を残してたぞ」
私 「え?どういうこと」
父 「出てきたんだ。お前名義の通帳が」

まさか。そんな事をしてくれてるとは、思ってもいなかった。

父 「いやな。実は、お前が東京へ行くときに言われたんだ」
私 「なにを?」
父 「何で相談しなかったんだ。学費くらい出してやったのに。って」

初耳でした。私の事など関心がない。
学校など高校までで充分だ。さっさと自立しろ。
そう考えてるとばかり思っていた。
喜びよりも、驚きの方が大きい。戸惑ってしまった。

父 「俺が持ってるわけにもいかないから、渡しておくぞ」
私 「いや、いい。それは受け取れない」
父 「じいさん達の気持ちだ。せっかく残してくれたんだ。持ってけ」

これまで私は、祖父母へ冷たい態度を取ってきた。
今更「はい、そうですか。ありがとう」と受け取るなんてできない。

私 「持ってると使っちゃうから、お父さんが持ってて」
そう言うのがやっとだった。

自分は嫌われてる。愛されていない。
そうずっと思い続けてきた。
今になって「それは違う」と、知っても簡単に受け入れることができなかった。

祖父母はちゃんと愛情をそそいでくれていた。
そう気がついたのは、大分後になってからでした。

続きます。

過去のこと | 09:43:59
しなる事を知らない枝
前回の続きです。

幸いな事に、発見が早かったので一命はとりとめました。
ただ、命は助かったものの。意識はない。体も動かない。
祖母同様、寝たきりの入院生活を送ることとなってしまいます。

なぜ?どうして?
あれほど意志が強く、逆境をバネにして生きてきた人なのに。
私には、祖父が自ら死を選ぶ理由が、全くわかりませんでした。

ただ。
私が実家を離れてから、色々なトラブルがあったようです。
これまで、叔父へ多額の援助をしてきた祖父。
借りるのはいいけど、返済を一円もしてこなかった。

それどころか、また祖父からお金を引っ張ろうとした。
そんなだらしのない態度に、業を煮やし諍いになった。
最後は、親子の縁まで切ってしまう。叔父を勘当してしまう。

叔父を勘当した後は、次男坊の父へこう宣言する。
「これから、俺の財産や墓守は、お前に任せる」と。

しかし、これに納得いかないのがウチの母。
「今頃になって、そんな事されても嬉しくない」

まあ、母の言い分はわかる。
何十年にも渡った恨みは、そうそう簡単に氷解するものではない。

けど当時の祖父は、祖母を亡くし1人暮らしだった。
いくらしっかりしてる祖父とはいえ、もう80近い高齢。
ウチの実家で、一緒に住んだ方がいいんじゃないの?と、聞いてみました。
しかし。この提案には、母ではなく祖父が拒絶反応を示した。

祖父「俺は、子供達に面倒見てもらうつもりはない!!」

このセリフは、私も昔から常々聞いてきました。
とにかく、自分の弱みを見せるとか、頼るという行為をよしとしない。
意地っ張りで頑固者。そんな性格が災いした。

これまで、自分の力で運命を切り開いてきた。
助けることはあっても、助けられるのはごめんだ。
俺は、1人でもちゃんと生きていける。

最後の最後まで、そうやって意地を貫き通した。
周囲の人間も、そんな強がりを真に受けてしまった。

若い頃はそれでよかったかもしれない。
でも、やっぱり高齢になると状況は変わる。体はどんどん衰えてくる。
晩年は緑内障を患い、農作業もできなかった。

ド田舎の一軒家なので、近所付き合いはない。
気のおける友人も祖父にはいない。たまに父が様子を見に行くだけ。
1人で過ごす日々が続く。本人「気楽でいいぞ」と言ってたものの。

きっと強がっていたんだろうな。

「誰にも頼らず生きてきた。死ぬまで俺はそうする」
と言ってきた手前、今更他人を頼ることができなかった。
いや。頼る術を知らなかったのかもしれない。

自ら死を選んだその瞬間。
じいちゃんは、一体なにを思っていたんだろう。

続きます。






過去のこと | 09:05:02
間違った判断
前回の続きです。

この、不満だらけの生活に終止符を打ちたい。
家を離れ、誰も知ってる人がいない場所で、一からスタートしたい。

そう考え、高校卒業後は、地元を離れ東京へ行くことにした。
新聞配達をしながら専門学校へ通う。という選択をします。

このことを知った祖父母は、東京へ旅立つ前日。
家まで来て、私を励ましてくれました。

祖父「えらいなあ。苦労しても後でちゃんと返ってくるから頑張れよ」
祖母「体には気をつけるんだよ」
祖父「俺の孫だから大丈夫だ。しっかりやってけるぞ」

せっかく頑張れと言いに来てくれたのに、私はというと。
俺の孫?こういう時だけ、孫扱いするんだな。
普段はほったらかしのくせに。と、斜にかまえ、おざなりな対応をした。
照れくささも加わり、ちゃんとお礼も言わずにさよならしてしまう。

そして。
祖母と喋った、元気な姿を見たのは、これが最後となる。

私が上京した年の秋。
祖母は家の階段から落ち、腰を強打。
打ちどころが悪く、寝たきりになりそのまま亡くなってしまった。

上京後の私は、正直言って故郷のことを忘れかけていた。
日々の生活は忙しく大変ではあった。けれども充実して楽しい。
祖母の死は、どこか他人事のように感じていた。

そうして、祖母の死から5年後。
私は、ダンナと結婚することが決まった。
入籍の前に、実家へダンナと2人で報告へ行きます。

突然「結婚する」と、帰省した私達に驚きはしたものの、快く承諾してくれる。
そしてウチの親から「式はどうするのか」と聞かれた。けど。

私は元々、結婚式を挙げるつもりはなかった。
写真だけ撮って、あとは顔合わせして終わらせるつもりでした。
この時、私達は引越やら転職やらでバタバタしていた。

とりあえず、親だけには報告を済ませる。
今回の帰省は、それだけが目的でした。
すると、帰り間際に父からこう聞かれます。

父「じいさんに、結婚するって言いに行かなくていいか?」

当時、祖父は祖母に先だたれ一人暮らし
頑固で強がりな人だけど、きっとさびしい生活なんだろうな。
結婚するって知ったら、喜んでくれるかな。驚くかな。と思ったものの。
私はちょっと迷って、こう返事します。

私 「うーん。いいかな。お父さんから言っといてよ」
父 「俺から言っとくのか」
私 「うん。後で、落ち着いてから挨拶行くから、今回はいいや」

けれども。
この判断をしたことを後々、後悔することとなる。
私の口から、もう二度と祖父へ報告することはできなくなってしまった。

なぜなら。
3ヶ月後に、祖父は農薬を飲んで自殺を図ってしまうから。

続きます。

過去のこと | 09:14:33
悪者をつくる
前回の続きです。

今となっては、祖父母がそう言った理由がわかります。

一昔前の貧しい農村だったら、堕胎など当たり前。
子供を間引きしたり、里子へ出すこともよくあった。

そして、父がお金を借りに行った理由もわかる。
当時祖父母は、叔父(父の兄)へ、たくさん援助をしていた。
事業を起こす・撤退する。その度に、祖父がお金を渡していた。

だったら、うちの出産費用くらい、面倒みてくれるだろう。
父がそう考えるのも、無理はなかったと思います。
けれども、いざ蓋を開けてみると「自分で何とかしろ」

この件について、父から一切なにも教えてもらってません。
全て父のいない場で、母からこっそり教わった内容です。

父は、愚痴や不満をあまり口に出さない人です。
自分の胸に秘めて、淡々と消化していく気質。

対して母は、思った事はそのまま口に出したい気質。
喋る事でストレスを発散するタイプ。
けれども、母には話の合う友人らしい友人がいなかった。

当時の母にとって、愚痴を話せる相手。それは私だった。
今思えば「これ、子供に話すような内容じゃないよな」
というような事も、どんどん打ち明け相談してきた。

母からすると、困った時に助けてもらえなかった。
体調を崩して入院しても、心配してもらえなかった。
孫(私達姉弟)へお年玉も、入学祝もくれたことがない。

相当、不満がたまっていたようです。
加えて、当時の実家は借金を抱え、弟の知的障害まで発覚。
父はいつもピリピリしていたし、家の空気も暗かった。

周りを見渡せば、みんな普通の生活をしている。
なのにウチだけは、いい事が何ひとつない。誰も助けてくれない。
どうして、こんなに苦労しなければいけないのか。

自分以外の人間は、みな幸せそうに見えた。

半ばやつあたり気味に、祖父母への態度が冷たくなっていく。
祖父母を悪者にすることで、精神のバランスを保とうとしていた。
敵をつくる・悪者をつくることで、不満を解消しようとしていた。

悲観して諦める。くよくよ泣いて過ごす。
それよりは「こんちくちょう」と、憎しみをエネルギーにする。
その方が、前へ進む力になるといえばなる。

目先だけを見たら、この方法は有効かもしれない。
けど長い目で見ると、結局は自分へ跳ね返ってくる。
自らが出した毒で、じわじわと自分自身が侵され行く。

自分から距離を置いたくせに、他の孫(いとこ)を可愛がるのを見ては
「やっぱりね。どうせ私のことは嫌いなんだ」
と1人でひがんでいた。妬んでいた。

反抗期も重なって、かなりささくれだっていました。


続きます。

過去のこと | 10:17:07
いじけ虫
前回の続きです。

私が産まれた当時の実家は、とても貧しかった。
結婚した当初は、食べるのがやっと。貯蓄もできない。
そんな時に、母が私を身ごもる。しかし、出産費用も捻出できない状況だった。

そこで父が祖父へ
「分娩費用のお金を借りたい。ちゃんと返すから」
と、お願いに行ったそうです。すると。

「お金がない?だったら、堕ろしてしまいなさい」
「そこまでして産まなくてもいい」
このように言われたそうです。

困った父と母は、その後どうしたかというと。
身重の母を残し、父1人で出稼ぎへ行く決断をするのです。
この決断のおかげで、私は無事生まれることができました。

私がこの話を聞いたのは、まだ高校生になるかならないかの頃です。
とてもショックを受けた。自分自身を全否定されたようだった。
言いようのない感情が押し寄せてくる。

そして母は母で、日頃からこのように私へ言っていた。

「他の孫(私にとっていとこ)は、可愛がるけどウチの子には冷たい」
「他の孫には色々買ってやってるけど、ウチの子には何もしてくれない」

それまでは漠然とだけど
「私は、じいちゃんばあちゃんに好かれてないのかな」
と思っていた。けれども。

この「堕ろしてしまいなさい」という言葉で確信に変わる。
そうか。そうだったんだ。
生まれる前から、私の存在は拒否されていたんだ。

じいちゃんばあちゃんは、私なんかいなくてもよかったんだ。
嫌いだったんだ。どうでもよかったんだ。
死んでもよかったんだ。可愛くなかったんだ。

別にいいよ。どうせ私だって、好きじゃない。
嫌いだもん。

短絡的にそう考えた。
そして、勝手に自分で憎しみを増幅させた。
私は、祖父母と完全に距離を置くようになりました。

家へ遊びに行く事はなくなり、顔を合わせても喋らなくなる。
挨拶は頭を少し下げるだけ。一切言葉を交わさない。
姿を見かけたら、逃げるように走り去る。とにかく避けるようになった。

『私は嫌われている』
完全に、ひとりよがりな思い込みをして、ひとりでふてくされていた。

祖父母はというと。
突然、よそよそしくなった孫(私)の態度に、戸惑っていたかもしれません。

続きます。

過去のこと | 08:16:36
嫁舅問題が与えた影響
前回の続きです。

何をやっても、いつも失敗に終わる叔父。

一度目の失敗で懲りて、大人しく家業を継げばいいものを。
それでもやっぱり、農家だけは嫌だったようです。
絶対に家業を継ぐとは言わない。

そこで祖父は、仕方なく次男坊である父に家業を継がせた。
自分が持ってた畑半分と、古い家を父へ明け渡した。
ほどなくして、お見合いをして母と結婚します。

そして1年後、私が産まれました。
祖父の家は、私の実家のすぐ近く。300mほど後ろにあります。
小さい頃の私は、よく祖父の家へ遊びに行ってました。

畑仕事をしてる祖父母へ駆け寄って、まとわりついてもいた。
しかし、段々とそういう交流が無くなってきます。
なぜなら、母がいい顔をしなかった。嫌がるふしがあったから。

母と父方の祖父母の関係は、あまり芳しくなかった。
元々、体が丈夫ではない私の母。
30代から40代にかけて、何度か入退院を繰り返してきました。

その度、祖父母へ家事をお願いしたり、畑仕事を手伝ってもらっていた。
私は直接聞いたことありませんが、母はこのように言われたそうです。

「なんでウチの嫁さんだけ、こうも体が弱いんだろうね」
「俺らは、病気になるヒマなんてなかったけどな」
「病は気から、って言うでしょう。気持ちを強くしなくちゃ」

多分ですが。祖父母の気質上、たいして深く考えず言ったと思われます。
思い付いたことをそのまま言葉にする。相手がどう思うかまで配慮しない。
けど、言われた方は、そうはならない。

ウチの母は、言われた言葉を気にするし、とても根に持つ。
「私だって、なりたくて病気になってるわけじゃないのに」
と、かなり憤慨して不満や愚痴をこぼしていました。

そして、適当に聞き流せばいいものを
「お義父さんだって、いつ病気になるかわからないんですよ。
 それに年を取って、寝たきりにならないとも限らないでしょう」
と、やり返したらしいです。すると祖父は

「俺は、絶対に病気にならん!年を取っても子供達の世話にはならん!」
と豪快に言い放ったそうです。

祖父はとても頑固者です。自分は裸一貫から這い上がってきた。
誰のちからも借りずにここまでやってきた。
そういった自負もあり、他人の言葉を素直に聞き入れることができない。

祖父母は、どちらもちょっと無神経なところがあった。
母は母で、言葉を悪い方へ受け取り、くよくよ悩むところがあった。
今だったら、お互いの気質の違いが見えます。

双方の言い分もわかる。どっちもどっち。
片方だけが悪いわけではない。
けど、まだ子供だった私にとっては、母親の言葉が全てだった。

祖父母への不満を口にする母を見て
「お母さん可哀想。じいちゃんやばあちゃん、なんで優しくしてくれないんだろう」
と、次第に祖父母への気持ちが悪化していきます。

心理的にも、物理的にも、祖父母との距離を置くようになっていきました。
そんな矢先、母から思いもよらぬ事実を告げられます。

続きます。

過去のこと | 08:20:48
ダメ人間の作り方
次男坊で、何かと不遇を強いられてきた祖父。
祖父はその考え方が嫌で、生家と絶縁したはずでした。

しかし。
いざ自分が親の立場になると、その考えが変わったのか。
長男を猫可愛がりするようになった。
全てにおいて、長男と次男の扱いに差をつけるようになった。

父は3人きょうだい(兄・父・妹)の2番目です。
そして、この中でなぜか父だけが、高校へ進学していない。
長男だけが進学した、ならわかる。けど、妹も進学させた。

中学の同級生は、みな進学し高校で学校生活を送る。
家からもまた、毎日兄や妹が高校へ通う。
それを横目で見つつ、自分ひとりだけが畑仕事を手伝う日々。

祖父がなぜ、そのようにしたのか理由はわかりません。
自分自身、次男坊の冷や飯食いを経験してきた。不満を持っていた。
それなのに、同じ次男である父への態度は厳しかった。

父は穏やかな気質なので、あからさまに祖父を悪く言う事はありません。
けれども、これだけは今でも言います。
「金や家なんかいらないけど、高校にだけは行きたかった」と。

本当は、叔父が高校卒業後に家業を継ぐはずだった。
しかし「農家は嫌だ」と言い、家を出て自分で起業した。

この叔父は、コツコツ働くことのできない人です。
楽して銭儲けしたい。濡れ手で粟。一攫千金を狙う。
今もそうですが、真面目に働く人間をどこか小馬鹿にするところがある。

人に使われて仕事するなんてまっぴらごめん。
人に頭を下げるものごめんだ。俺はそんな人間じゃない。
そう言い、次から次へと色んな事業を起こします。

最初はパチンコ店。その次はタクシー会社。
次は喫茶店経営。様々な事業に手を出しました。が。
全て最後は、借金をこさえて撤退することとなります。

その度、祖父へ泣きつき援助してもらってきた。
祖父も祖父で、突っぱねればいいものをいつもハイハイと援助してきた。
けど、働くこと自体が嫌いな人間に、商才などあるわけがない。

農家だろうが、一般の事業だろうが関係ない。
成功してる人は、見えないところで人一倍の努力をしてる。
そんな事もわからない叔父へ、いくら援助したって無駄なのに。
なんというか。余りにも甘すぎる。

ちなみに。この叔父は、とてもだらしのない人です。
祖父ばかりか、私の父からもかなりの額、お金を引っ張ってます。
しかも身内だけならともかく、友人知人からも借金をしまくってる。

そして、その全てを返済してません。今も。
こんな調子なので、資産らしい資産は何一つ持ってません。
おまけに国民年金や保険も、一切掛けてきていないという話。

私から見ると本当に「コイツ、人間のクズだわ」としか言いようがない。
と同時に。子供をダメ人間にしたければ、とことん甘やかせばいい。
欲しいものはどんどん買い与え、やりたい事を考えなしにやらせればいい。

祖父と叔父の関係を見て、そう思いました。

続きます。


過去のこと | 08:52:02
二男坊の冷や飯食い
私の家系は、由緒正しいというわけではありません。

ただ、父方母方の家は、どちらも農業を営んでいた。
そのせいかどうか、戦前で言う「家長制度」のようなものが存在してました。

長男が家督を継ぎ、全てにおいて優遇される。
家の財産も権利も、全部長男が引き継ぐ。
一昔前は、みなこんなものだったのでしょう。
でも、私にはわからない考え方です。

父は3人きょうだいの次男。母は8人きょうだいの6番目。
そして、当時はどちらの生家もとても貧しかった。
なので、子供時代の扱いは雑だった。と口をそろえて言います。

長男は高校まで行かせてもらえる。
けど他の子供達は、みな義務教育で終わり。
ですから、父も母も高校へは進学してません。中卒です。

その義務教育期間中も、きちんと学校へ通っていない。
農繁期になると、学校を休んで畑仕事を手伝っていた。
下のきょうだいをおぶりながら、仕事することが日常だった。

話を聞いて、おしんのような世界だなあ。などと私は思ってました。
父と母でこれなので、祖父母の代はもっと過酷だった。
父方の祖父は5人きょうだいの二男坊。家督を継ぐものは既に存在する。

そして、この時代は戦中という事もあり、本当に貧しい。
食べるものにも事欠く状態。間引かれた子供もいた。
口減らしの意味もあって、祖父は子供のうちから丁稚奉公へ出された。

奉公先ではいじめられ、かなりつらい思いをしたようです。
朝から晩まで仕事。学校など通わせてもらえない。
ご飯もロクに食べられない。いつもお腹をすかせていた。

それでも耐え、歯を食いしばり、コツコツ小金を貯め続けた。
やがて、その貯めたお金を元に自分で農業を営むまでになります。

ただ。この過程で、生家とひと悶着あったようでした。
長男だけを優遇する親の態度。
ひいては、家長制度へ不満を持っていた。

長男は家でぬくぬくと暮らしている。
なのに、他のきょうだいは奉公先で苦労しなければいけない。
俺達は、まったく人間扱いされていないじゃないか。

この点を問いただし、親とやりあったそうです。
経緯はよくわかりませんが、最終的に祖父は勘当されてしまいました。
きょうだい達とは親交が続いたものの、親とは絶縁したそうです。

その後は、荒れた土地と小さな家を購入した。
そして、痩せて耕作に向かない土地を開拓し改良を重ねた。
やがて結婚をして、子供も授かった。

祖父は、自分の体以外の資本を何ひとつ持っていなかった。
文字通り、裸一貫から這い上がってきたのです。

ただ。
厳しい時代に厳しい境遇を生き抜く。そして成功する。
こういう経験をすると、自分のものさしで物事を計るようになるのか。
他人に対する要求も厳しくなってしまうのか。

私の母との関係。
つまり嫁舅問題は、あまり上手くいっていないようでした。

続きます。

過去のこと | 09:39:05
がん保険の比較
次に癌になったのも、ダンナの会社の人でした。
(Kさんとします)

Kさんは42才の独身男性。
彼もまた、体調を崩し病院へ行ったら癌が発覚した。
病名は、前立腺がん。この時点での、進行度合いは不明。

ただ、Kさんは糖尿病の持病があった。
これが治療へ、どのような影響を与えたのかわからない。
けれど治療開始・入院して1ヶ月で亡くなってしまった。

経緯は不明だけど、合計3度の手術を行ったそうです。
最初は癌の措置。その後、別な臓器に不具合が出る。
不具合の出た個所の治療の為、再びメスを入れる。

そんな事を繰り返すうち、あっという間に容体が悪化してしまった。
Kさんの本当の死因が、癌によるものなのか。
それとも、癌云々以前に、体が悲鳴をあげていたのか。

周囲の人はみな、手術後は復帰できるものだと思っていた。
なので、亡くなった時の衝撃はとても大きかったです。

ダンナとKさんは、業務上で直接の関わりはなかった。
それでも、立て続けに社内の人間が癌で亡くなる。
しかも自分よりまだ若い、40代前半の働き盛り。

Sさんの時ほどのダメージではない。
けれども、やはりショックを受けた様子でした。
葬儀へ行って、子供に先立たれた親御さんの姿を見てきた。
「やりきれないよな」とも言っていた。

この1年の間に、身近な人が癌に侵されるのを3回も見てきた。
なので、自分自身思うところがあったのか。いきなり
「俺もがん保険に入っておいた方がいいよな」

と言い出した。調べておいてよ。
と、頼まれたので、会社で色々聞きまわりました。

がん保険も種類がたくさんあって、選ぶのが大変。
率直にそう感じました。

入院なのか、先進医療なのか、手術費用なのか。
どの部分に重点を置きたいのか。
まずは、そこから考えなくてはいけない。

全てをカバーするとなると、保険料もバカにならない。
ウチは既に医療保険(ウチは共済だけど)は入ってる。
なので、その辺との兼ね合いも考えなくてはいけない。

先進医療も、1,000万から億まで補償の幅が広い。
そして、今は保険が適用されなくても、将来的には適用される治療法もある。
医療技術は日々進歩してる。

なので保険もそれに合わせ、入り直すケースが出てくるとも聞いた。
ただ、入るなら持病がない今のうちがいいかもね、ともアドバイスされた。

ダンナは100キロ近い体重だけど、幸いな事に持病は一切ない。
これが、糖尿病だの高血圧だのとなると、途端に条件が変わってしまう。
入りたくても、入れない。そんな状況すら出てきてしまう。

という事で、今色々と物色中です。
保険会社も補償内容もたくさんありすぎて、かなり食傷気味なのでした。

日常のこと | 08:44:43
憎まれっ子はたくましい
前回の続きです。

バレンタインだけじゃない。一事が万事その調子。
雑談する。ランチを食べる。飲みに行く。ゴルフへ行く。
Yさんは業務以外の付き合い・お誘いを一切されない。

私はYさんと、直接顔を合わせた事がない。
なので彼の人間性はわからないけど、ダンナ曰く
「すごいケチ。絶対に、自分の財布を出さない」

身銭を切る。という事をしない人らしい。
誰とどこへ行っても、どんな少額でも関係ない。
支払は必ず会社名義のカードで支払うとの話。

Yさんは取締役なので、かなり報酬は貰ってる。
年収で1千万以上は固い。

自宅は分譲マンションを所有。お子さんは独立してる。
これから先、大きな出費の予定もない。
しかも貯蓄は億を超えるらしい。億ですよ億。

素晴らしい。と思う反面。
今回、癌を発症した。幸い、軽い措置で復帰できた。
でも、まだ自分の足で動けるうちに、やってみたい事はないのか。
それとも、昭和の男にありがちな

「仕事が趣味で楽しみで生きがい」
という価値観なのか。だとしたら。
私とは余りにも違うので、まったく理解ができない。

Yさんが家庭で、どのように思われてるかわからない。
でも、少なくとも会社では「もう二度と戻ってくるな」とまで思われてる。
70才超えて尚、会社で怒鳴り散らす毎日は、イヤにならないんだろうか。

癌を取り除くため入院した時も、みな嫌々お見舞いへ行っていた。
年齢が年齢だけに、このまま引退するのかな、と思いきや。
手術後は、今まで以上にパワーアップして、会社へ戻ってきた。

ダンナ「アイツ、本当に癌だったのか。いや、アイツ自身が癌かも」
などとダンナは手厳しい。

復帰後は、さすがに今迄の生活習慣を改めた様子でした。
大好きなタバコをやめ、お酒も控えるようになった。
ただ、逆にパワハラは今までにない位、ひどくなっていった。

年のせいなのか、今言った言葉すら忘れてしまう事も出てきたという。
最近は「もう、ボケて脳が萎縮してるんじゃないのか」
とまで、社員達から陰口をたたかれる始末。

そんなYさんに対し、ダンナや会社の人間はこうも言う。
「Sじゃなくて、アイツが死ねば良かったのに」

ダンナは普段「死ね」などという言葉は絶対に使わない。
今まで、どんなに憎たらしい人を前にしても
「考えたら負け。相手にしないのが一番」

と、淡々と対応してきた。
でも今回は、同じようなタイミングでSさんの件が重なってしまった。
Sさんへの思いが強い分、Yさんへの憎しみが増幅する。

こんなものかもしれないな。
いい人に限って早く逝ってしまう。
憎たらしい人間は、それこそ「もういいだろう」というほど永らえる。

それでも。どんなに疎まれても、やっぱり生きてる者勝ちなのか。
私は、この答えがまだ見つからないままでいる。

日常のこと | 08:50:14
いつのまにか孤立
前回の続きです。

ダンナの会社は、今もバレンタインのチョコを渡す風習があります。

ただ、全女性社員から全男性社員へ配る。
という渡し方ではない(私はこの方式しか経験ないけど)
個人的に女性社員有志が、それぞれ渡すというやり方。

つまりは。
当日、貰える人とそうでない人とが出てくる。
ダンナは幸い、毎年いくつか袋をぶらさげて帰ってくる。
くれるのは、同じ所属の社員やパートさん達です。

几帳面なA型人間だから、きっと普段から気を遣ってるに違いない。
実際、自腹で食事や飲み会に連れてく。
不満や愚痴を聞くくらいのことはしていた。

チョコは、それに対するお礼のようなものだと思ってる。
対して、Yさんはというと、毎年誰からも貰えてないという話。

Yさんは、男女関係なく正社員へパワハラする。
けど、パートさんには怒鳴ったりしない。むしろ優しいと聞いていた。
なので社員はともかく、パートさんからは貰ってると思っていたので驚き。

私 「え。なんで?パートさんには優しいんでしょ?」
ダンナ「けど、目の前で俺ら社員が、怒鳴られるのを毎日見てるからさ」
私 「ああ・・嫌になってくるってことか」

怒鳴る姿を毎日見せつけられる。
例えそれが、他人へ向けられたものだとしても。
不思議なことに、自分も怒鳴られてる気持ちになってしまう。

ダンナ「まさか俺からあげろ、って言うわけにもいかないし」
私 「本当に、誰もあげないんだ?」
ダンナ「多分ね。ヤツにあげたって聞いたり、見たことないから」

しかも、チョコは手渡しではなく、各個人のデスクへ置いてくらしい。
バレンタイン当日は、貰う人と貰えない人とが一目了然でバレバレ。
なんだかなあ。貰えない人にとっては酷なんじゃないの。

ダンナ「出勤するだろ。そしたら俺や周りの机に、もうチョコの袋が乗ってる」
私 「Yさんは?」
ダンナ「俺が見る限り、乗ってるのも貰ってるのも見た事がない」

それはちょっと。貰った方も、手放しで喜べない。
あげるのはいいけど、もうちょっと工夫できないものなのか。

私 「せめて、こそっと見えないとこで渡すとかできないの?」
ダンナ「みんな、勤務時間バラバラだから難しいんだよな」

そうだった。ダンナの会社は、24時間365日のシフト制。
早番遅番夜勤とパターンがいくつもある。
そうなると、直接手渡しする方が難しいのか。

ダンナ「俺だってヤだからさ。見つからないよう、急いでロッカーへ隠しに行った」
私 「うんうん」
ダンナ「でも途中でバッタリ会って、すんげえ焦った。多分バレてるだろうけど」

なんだか罰ゲームみたい。
いっそ、そんな風習やめてしまえばいいのに。

ダンナ「でもヤツは、チョコ食べないって言ってるし。いいんじゃないの」

それは違うと思う。こういうのは、気持ちの問題だもの。
自分が食べなくても、奥さんにあげる事だってできる。
何より、周りの人は貰って、自分だけが貰えないなんて淋しい。

でも仕方ないのかな。
自業自得。身から出た錆なのか。
ダンナが言うとおり、そういう事を気にしない人かもしれない。

続きます。

日常のこと | 08:05:06
憎まれ役
2人目に癌に蝕まれたのは、ダンナの会社の上司(Yさんとします)。

会社の定期検診で、異常が見つかった。
精密検査の結果、大腸がんと診断されます。
ただ、幸いな事にまだ初期の段階でした。

自覚症状がまったくなかった。
そのため、本人はこの結果にとてもうろたえたそうです。

そしてこのYさん、とてもパワハラがひどい人だそうで。
怒鳴り散らす。人間性を全否定する。罵倒する。なんてのは日常茶飯事。
なので、病気を知った社内の人は口を揃えてこう言ったそうです。

「ざまあ見ろ。このまま死んでしまえ」

Sさんの時は、みな悲しみ一日も早い回復を願った。
普段の行いが行いだけに、仕方ないとはいえ、なんだろうこの違い。
さすがに「死ね」は可哀相じゃない。と思ったものの。

ダンナ「あいつは、そう言われるだけの事をやってきたんだ」

ダンナは今の会社に勤めて10年経ちます。
その間、このYさんのせいで、二桁近い人が辞めてしまった。
しかも有能ないい人に限って、病んで退職に追い込まれていく。

辞めた人は口々に
「アイツの顔も、会社のことも二度と思いだしたくない」
とまで言う始末。それほどまでに嫌われ、憎まれていた。

確かにそう言いたくなる気持ちが、わからないではない。
でも悪いとこばかりじゃない。いいとこだってある。と思う。

ダンナの会社は、ずっと万年赤字続きだった。
そこへYさんが、取締役として就任してきた。

就任後は待ってましたとばかりに、徹底的に大ナタを振るう。
作業工程・取引先や人事を見直し、一から配置を考えた。
無駄を省き、ギリギリまでコストカットに努めた。

そうして、就任してすぐその年。
今まで、誰も実現する事ができなかった黒字を達成する。
何十年も続いた赤字経営が、わずか1年で黒字転換した。

その後も今に至るまで、ずっと黒字経営を保ってきてる。
この手腕に関しては、お見事としか言いようがない。
ダンナもその部分だけは、認めている。

Yさんが行ってきた事は、誰にでも出来る事ではない。
親会社から理不尽な要求や、厳しい目標を突き付けられた事もあった。
時には、憎まれ役になって人員や物事を切り捨てる。

その甲斐あってか、社員の給料やボーナスは上がり続けてきた。
けれども陰では泣いて病んで、犠牲になった人間が大勢いるのも事実。

実際、ダンナも現在「会社を辞めたい」という葛藤と戦っている。
いつ切り捨てられても、ある日突然「会社辞める」と言ってきてもおかしくない。
私も密かに覚悟している、そんな綱渡りな日々を過ごしてる。

ただ、それを差し引いてもYさんの功績は大きい。
Yさんの手腕があって、社員達の努力が実を結び今の状況がある。
ダンナや私達家族が、その恩恵を受けてきたのも厳然たる事実。

しかし。特出した秀でる能力があるという事は。
反面、何か欠落した部分もあるという事でもあるのか。
周囲の人達は、Yさんの扱いに困っている様子だった。

そんな彼を周りの人間がいかに嫌っているか。
ダンナから、エピソードをいくつか教えてもらった。

続きます。


日常のこと | 08:30:52 | トラックバック(0) | コメント(0)
残されて想う
前回の続きです。

穏やかな日常が、余命宣告でガラリと一転する。
残された時間は、余りにも少なすぎた。

彼は身を粉にして、仕事一筋に打ち込んできた。気が付いたら40才。
それでも。ちょっと遅くなったけど、よき伴侶を見つける事が出来た。
ほどなくして、お子さんにも恵まれた。

これまでの貢献も認められ、取締役に抜擢された。
本当にこれからだった。これから仕事以外の人生を楽しめる。
そう思っていた矢先、病に倒れてしまった。

残されたお子さんはまだ1才の男の子。
お酒が大好きだったSさんは、こんな事を言っていた。

「楽しみだな。大きくなったら、一緒に酒飲みてえな」

私は余命宣告をされた事がない。
だから、Sさんの気持ちはわからない。
でも、見届けたい事はいっぱいあっただろうな。と想像してしまう。

ダンナは葬儀の最初から最後まで、ずっと泣き通しだと言っていた。
残された奥さん。小さなお子さん。子供に先立たれた親御さん。
棺の中の、亡骸となってしまったSさんの顔。

全てが哀しい。涙が止まらない。
真っ赤な目をして帰ってきた。
帰ってきてから、しばらく黙り考えこんでいました。

布団に入ってからも、小さくすすり泣いていた。
この日は、ほとんど寝る事ができなかった。

余命宣告された時点で、覚悟はできていた。
けど、いざ亡くなってしまうと、やはり衝撃は大きい。
二度と逢う事ができないこの喪失感。

ダンナも私もお互い、口には出さない。
でも、きっと2人とも同じことを考えていたと思う。

もし。もしも自分だったら。もし、自分の家族だったら。
その時、自分はどう振舞うことができるだろう。

考えたくはない。でもどんな人にも最後の瞬間は来る。
この生活は、未来永劫続くものではない。
そんな事を思っていたら、ダンナが呟いた。

「人間って、はかないんだな」

そうだね。はかないね。あっという間だね。
人の一生は、自分が思うよりずっとずっと短い。
そして尊い。

この季節。
桜が咲く時期になると、切ない気持ちになる。
若い頃は、桜を見てもなんとも思わなかった。
でも、ここ数年は桜と人の生き様を重ねるようになった。

自分にできるだろうか。この桜のように。
ちからいっぱい咲き誇り、惜しむことなく散っていく。
そんなふうに、人生を閉じることができるだろうか。

そして。
私の大切な人達が
「今日も無事に一日が終わった。明日も頑張ろう」
と思う事ができる。

そんな日常を支えることができているだろうか。と。

日常のこと | 07:55:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
44才で去る
ウチは、私もダンナも生命保険ではなく、共済に入ってます。
掛け金は2人合わせて、月に1万円。
年に一回、割戻金も戻ってくる。掛け捨てタイプのものです。

肝心の補償内容はというと。
死亡保障が500万~1,000万。手術が5万から10万。
入院は1日目から半年位までで、15,000円。

お世辞にも手厚いとは言えない。
本当に、必要最低限のものだけをカバーしてる内容です。

ただ、ダンナは住宅ローンの団体信用生命保険に加入してる。
死亡もしくは高度障害になった時は、ローンが弁済される仕組み。
なので死亡保障に関しては、これ以上どうこうするつもりはなかった。

若い頃はさして興味がなかった生命保険。
でも40才を過ぎ、衰えていく自分の体に不安を感じはじめたのか。
先月ダンナが、突然こんな事を言いだしました。

「俺もそろそろ、がん保険に入った方がいいよな」

ダンナがこう言う理由はわかります。
今年に入って身近な人が立て続けに3人も、癌で亡くなる・入院した。

1人目は、働き盛りでまだまだ若い44才の同僚男性Sさん。
最近、食欲がない。体重も落ちてきた。なんか調子がおかしい。
と気付き病院へ行った時にはもう遅かった。

病名は肝臓がん。
この時点で余命3ヶ月と宣告されてしまった。
いわゆる末期状態。そのまま、入院し治療に入る。

その後、病巣を取ろうと手術へ踏み切るものの。
もう手の施しようがなかった。病巣にメスを入れる事が出来ない。
そのまま閉じてしまったという話だった。

家族はSさんに、病名や余命について直接告知しなかった。
でも、本人は気がついていたと思う。

自分はもう、会社に復帰することはできないだろう。
そう考え、なにがあっても困らぬよう、仕事を部下へ全て引き継いだ。

それからは早かった。
100キロ近くあった体が、みるみるやせ細っていく。
顔色もどんどんどす黒くなり、訳のわからない文言を呟くようになる。

それでも、最後の方で少し持ち直したかに見えた。
「ここんとこ、ちょっと調子いいんだ」と、本人も言っていた。
しかし喜んだのもつかの間。その数日後に訃報が届く。

本当にあっという間だった。
そして亡くなった時の、ダンナの落ち込みよう。
見ていられないほどだった。

Sさんには、入社時からずっとお世話になっていた。
付き合いは仕事だけじゃない。
ゴルフ行ったり飲みに行ったり、とても仲が良かった。

有能だったSさん。取締役に昇進したばかりだった。
少し遅くなったけど、よき伴侶もみつけた。
まだ小さいお子さんの成長も、とても楽しみにしていた。

毎日仕事して、愚痴って飲んで、たまにゴルフで憂さ晴らしする。
順風満帆、とまではいかないにしても。
2人とも、これからも、ずっとそんな淡々とした生活が続くと思ってた。


続きます。



家計のこと | 09:11:21 | トラックバック(0) | コメント(0)
薬が飲めない高2娘
前回の続きです。

どうしても、薬が飲みこめず砕いて飲みたいという娘。

砕くと薬効がどう変化するのかわからない。
一緒に飲みこもうとしてたゼリーは、どんどん減る。
そして、薬だけが残るという悲惨な状況。

しかも、飲みこむのに何度も失敗してる。
錠剤の表面コーティングは無くなり、原型をとどめてない。
若干小さく、ギザギザな形状へ変化してる。

一回目で飲んでいれば、するっといくのにな。
こうなると、逆に喉につっかえると思うんだけど。

私 「これ、苦くないの?」
娘 「メチャ苦い。噛みたい(;д;)」
私 「・・・頑張れ」

その後、かなり苦労しながらごっくんしました。
でもほとんど、口の中で溶かしてから飲みこんだという話。
これだったら、砕いて飲んでも変わりなかったかも(。-_-。)

でもまだ薬は残ってる。さてどうしたものか。
私 「まだ2種類残ってるけど、飲めそう?」
娘 「無理。絶対無理。・・・どうしても飲まなくちゃダメ?」

処方され薬は、総合感冒薬・抗生剤・鼻水止め・熱さましの4種類。
そのうちいま飲んだのは、総合感冒薬。
これには、解熱鎮痛作用と鼻に効く成分が入ってる。

薬剤師さんからは
「熱さましと、鼻水止めは症状に応じて飲んで下さいね」
と言われていた。絶対に飲まなきゃいけない性質のものでもない。

ええい。もう仕方ないな。
熱さましと鼻水止めはスキップしてしまえ。
(本当は良くないんだろうけど)

けど問題は抗生剤だな。どうしよう。
抗生剤は、今飲んだ薬よりも大きい。
この様子だとまた飲みこむのに時間がかかる。

私 「いいよ。明日になって、良くなってなかったらもう一度病院行くから」
娘 「うん」
私 「その時に、先生にお願いして粉薬にしてもらおう」
娘 「うん!!」

高校生にもなって、こんなことで苦労するとは思わなかった。
これが、溶連菌とか副鼻腔炎とかだったら困るんだよ。
きっちり、決められた量を飲みきらなきゃいけない病気になったらどうする。

私 「あのさ。フリスクとかラムネで、ごっくんする練習したら?」
娘 「無理無理。なんか私、丸飲みって出来ないんだよね~」
私 「え。今まで、給食で嫌いなものが出てきても、ちゃんと噛んでたの?」
娘 「もちろん。そのまま飲みこんだりしないよ」

へえ。えらいなあ。私なんかさ。
嫌いなものが出てきたら丸飲みしてたけどな。

私 「アナタ、そこまで薬飲めなかったら、病気になれないよ」
娘 「ならない!もう気を付ける。夜更かしもしない!」

はいはい。良い心がけです。
そして薬のおかげか、ほとんど寝てたからか、若く回復力が早いからか。

この日の夕方には熱も下がり、翌日にはケロッと治った。
インフルではなかったようで、ひとまずは安心。
その後、元気に学校へ行きました。

お薬は念のため、朝だけ飲んでもらいました。
それも昨日同様、飲みこめずやはり溶かしつつ流し込んでいた。
今回、たくさん薬を貰ったものの、結局1種2錠しか飲んでない。

こりゃダメだ。次回、お薬を処方してもらう時は粉薬にしてもらわなくちゃな。

こんなのは、ウチの娘だけなんだろうか・・・・。

ムスメのこと | 07:42:38 | トラックバック(0) | コメント(2)
久しぶりの発熱
我が家の娘は、健康優良児です。
小学5年から今まで約6年間、ずっと皆勤を貫き通してきました。

そんな娘が、先週38.5度の熱を出しました。
ここまで本格的に発熱したのは、かなり久しぶり。
学校を休むのも6年ぶり。なので最初は

娘 「学校へ行くだけ行く。ダメだったら帰ってくる(`・ω・´)」

気合いを入れ、身支度を始めようとします。
しかし明らかにふらついてた。顔色も芳しくなかった。
とても家から出せる様子じゃなかったので、半強制的に休ませました。

症状は、熱・頭痛・鼻水。咳はない。食欲もイマイチ。
聞くと、少し前に学校でインフルエンザで欠席した子がいるとの話。
もしインフルだったら大変。そこで、近所の病院へ連れて行きました。

ただ。行ったはいいものの、インフルは症状が出てすぐだと判断がつかない。
そこで、風邪薬を何点か処方してもらい、様子見となりました。

処方された薬は、総合感冒薬・抗生剤・鼻水止め・解熱剤。全て錠剤。
「お薬飲んでも、熱が下がらない・苦しいようだったらまた来てくださいね」

と、看護師さんに言われ病院を後にしました。

家へ帰り、すきっ腹に薬はよくないので、軽く食事を取ってもらいました。
そして、いざ薬を飲もうとしたその時です。
薬を見た娘が、絶望的な声を出します。

娘 「どうしよう。飲めないかもしれない」
私 「え?なにが?」
娘 「薬が大きすぎて、飲み込める自信がない・・・」
私 「うそでしょ?昔、インフルなった時、飲めてたじゃない」
娘 「うん・・・でも、飲み方忘れちゃったかも」

うっかりしてました。
確かに。言われてみれば、薬を飲む機会がここ数年なかった。
昨年、ぶっ倒れて病院へ行ったけど、薬は処方されてない。
生理痛がない体質なので、痛み止めを飲むこともなかった。

今回、処方された薬はどれも大粒の錠剤でした。
バファリンをちょっと小さくした位のサイズ。
失敗したな。「お薬飲めたね」も一緒に買っておくべきだったのか。

私 「ゼリーと一緒に飲んでも、無理そうかい?」
娘 「うーーん・・・。チャレンジしてみる」

そう言い、ゼリーの間へ薬をはさみトライしてみるものの。

娘 「ダメ。薬だけ残っちゃう」
と吐き出した。その後も何度かチャレンジしてみるものの。

娘 「ママ~。どうしよう(´;ω;`)。本当に飲めない。砕いちゃダメ?」

見ると、娘の手には溶けて小さくなった薬が乗っていた。
ゼリーと一緒でもダメなのか。アイスの方が良かったのかな。
どうすりゃいいんだ。薬って砕いて飲んでもいいものなのか??

まさか、高校生にもなって
「薬が飲めない」
などと言われようとは、思ってもみなかった。

続きます。

ムスメのこと | 06:40:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
ダンナと娘。お弁当への本音を語る
現在、娘とダンナ2人分のお弁当を毎朝こさえてます。

毎日の事なので、習慣化してるとはいえやはりしんどい。
最初こそメニューに気を遣ったものの、段々とマンネリ化してくる。

主婦業を20年以上やってきたけど、料理下手は改善されない。
かといって弁当の中身をオール冷食にするのは、さすがに気が引ける。

私がお弁当作りで気をつけてるのは、衛生面。あとは彩り。
どんな時でも、赤・黄色・緑色だけは欠かさないように配置します。
ただ、これもパターン化してて赤=プチトマト・黄色=卵焼・緑=野菜。

野菜嫌いな娘は、たまにこう言ってきます。
娘 「お弁当ってさ。茶色が多い方が美味しいよね」

茶色って事は、肉類をもっと多くすれということですね。
確かに育ち盛りの子は、茶色いおかずが大好きに違いない。
でも栄養バランスを考えたら、ぜひとも野菜を食べてほしい。

などと、試行錯誤しながら毎日のお弁当を作ってきました。
ただ、私が作るお弁当に、ダンナも娘も100%満足はしてないだろうな。
と思っていたら、つい先日2人の本音を聞く事ができました。

まず一発目。
ダンナ「ママさ。エビフライとかコロッケの時、ソースを下に入れるじゃん」

これはつまりこういう事です。カップの下へソースを敷くのです。
で、その上からおかずを入れる。すると右図のようになる。


IMG_20170504_124706.jpg    IMG_20170504_124627.jpg


私、醤油は入れ物に入れて渡します。
しかし、ソースはおかずにかけちゃう派です。
理由は醤油と違って、入れ物が洗いづらくて手間だから。深い意味はない。

私 「うん。入れる」
それがどうした。と思ってたら意外な事を言い出した。

ダンナ「あれさ、下にあるのわかんないから、いつも上から醤油かけちゃうんだよね」
私 「え!?なんで?」
ダンナ「なんでって、俺の方が聞きたいよ。どうして上じゃなくて下にソース入れるの?」

ここで娘が助け舟。
娘 「あれじゃない。漏れちゃわないように、下にしてるんじゃないの」
そうだよ。そうなんだよ。漏れると、お弁当袋が汚れちゃうからさ。だからなんだよ。

ダンナ「おかげで俺、醤油とソース味のフライ食べてるんだよね」

悪いと思いつつ、大爆笑してしまった(゚∀゚)
そういや、言わなくてもわかると思って、伝えてなかったなー。

私 「なんか、しょっぱそうだね」
ダンナ「血圧上がりそうだよ。おかげで最近は、ちゃんとめくって確認するようになった」

いやーすんません。それはそれは大変失礼いたしました。

私 「私、上じゃなくて下に入れるから、覚えといてよ」
ダンナ「わかった。それはいいとして、じゃあなんで醤油をつけるの?」
私 「ないより、あった方がいいと思って」

これは理由がある。たまに入れ忘れて、
ダンナ「今日、醤油入ってなかった(´・ω・`)味のないエビフライおいしかったよ(皮肉)」
と、言われて以降、メニューに関わらず毎日入れるようにしてる。

これも、ダンナにとっては摩訶不思議な行動らしく。
ダンナ「あるから、使うおかず探すじゃん。でも使うのないじゃん」
娘 「うん!わかる。醤油が入ってる意味を考えちゃうよね」

細かいなあ。なかったら使わなきゃいいだけの話じゃん。

そして2発目。これは2人共通のご意見。
ご飯が進むおかずの時と、そうじゃない時との差が激しすぎる。

娘 「焼きたらことキンピラと佃煮の時は、ご飯足りなくて最後おかずだけ食べた」
ダンナ「かと思えば、野菜ばっかでちっともご飯進まない時もあるし」
私 「あら。ごめんね。そういう時ってどうしてんの?」
ダンナ「最後、余ったご飯に醤油かけて食べてる」

すいませんね。今度から気をつけます。
というか、もっと早く言ってよ。鈍感だから、自分では気がつかないんだよ。
などとちょっぴり反省していたら。

ダンナ&娘 「でも、いつも作ってくれてありがとう。感謝してるよ」

リクエストをした後はフォローも怠らないお2人さん。
最後はA型らしい気遣いで締めくくりました。



日常のこと | 07:58:40 | トラックバック(0) | コメント(0)
心は熱く、頭はクールに
前回の続きです。

この時は、全国の18才以上の人を対象にした聴き取りだった。
シナリオはちゃんと準備されてる。
オペレーターは、それを読み上げるだけ。

話す内容は長いけど、重要なのは冒頭の言葉。
今回電話をかけた目的を明確に伝える。
ここでモタモタすると「なんか怪しい」と、すぐ切られてしまう。

①お忙しいところ失礼します。私、A社のまどりんと申します。
②現在、全国の18才以上の方へ簡単な調査を行ってます。
③数分で済みます。是非、ご協力をお願い致します。

ここまで言うけど、ほとんどの人に断られる。
③まで喋りきらないうちに「結構です」「忙しい」と言われ、ガチャ切りされる。
でもガチャ切りや、断られるのは想定内。

何の断りもなく、ズムーズに承諾してくれるのは10人に1人いるかどうか。

電話を切らない・こちらの話を聞いてくれる。
それだけでもありがたい。まずは第一関門突破。
そしてここから、気合いを入れもうひと押し行く。

明らかに忙しそうな人、ケンカ腰の人はさっさと切ってしまう。
けど話は聞いてくれるものの、そういうのは嫌いだ・結構だ。
という人には、女優(?)になりきり、猛アタックを開始する。

私 「只今、みなさまのお声が大変不足してます!どうかご協力下さい(。>ω<。)」
相手「いや、難しい事とか聞かれても答えられないから、よそ当たって」
私 「中々、協力して下さる方がいなくて困ってるんです(´;ω;`)どうかお願いします!」

こういう時のアプローチ法は、人によってまちまち。
淡々と説得する人もいれば、理詰めで説得に走る人もいる。
私はというと「理屈」ではなく、とにかく相手の「感情」へ訴える手法を取る。

他の誰でもない、「あなた」でなくてはいけないんです
私は、あなたの意見を伺いたいんです(`・ω・´)キリッ
今、あなたの協力がどうしても必要なんです。

といった感じで気持ちを込め、熱く語りかける。
聞いてる方は、女版修造みたいで、さぞかしうっとうしいだろうな~と思う。
でもごめんなさいね。私も仕事だから、件数獲得しなくちゃいけないんだ。

するとよくしたもので、アタックした中の5人に1人くらいは
「わかりました。早く終わらせて下さいね」
と、半分諦めたように承知してくれる人が出てくる。ありがたやありがたや<(_ _)>

私の場合、獲得件数の約1割はこうやってプッシュして取ったもの。
無論、ここまでゴリ押ししなくても、そこそこ件数は稼げる。
でもやるからには、1件でも多く獲得したい。
なので玉砕覚悟でぶつかり続けます。

ただ、セールスだとこうはいかない。
今回は調査系の発信だから、獲得できた。
けどこれが「なんか売れ」となったら、出来る気が全くしない。

4月の週末。
あなたのお宅・携帯へアンケート調査のお電話はありませんでしたか。
それは、やたら図々しくしつこいオバちゃんではありませんでしたか。

もしかすると、それは私がかけた電話かもしれません(笑)

仕事のこと | 18:22:02 | トラックバック(0) | コメント(0)
数打ちゃ当たるさ
前回の続きです。

会社の方も、それは充分わかってる。
あの手この手で、オペレーターのモチベを上げようと対策を立てます。
特に、獲得件数に悩んで苦しそうな新人バイトさんには、気を遣ってる。

断られてしょんぼりしてたら
「○○さんは全然悪くないですよ!」と声をかける。

断られた時の、スマートな切り返し方法をアドバイスする。
新人を上手い人や、ベテラン、威勢のいいオバちゃんの横へ席を移動させたりもする。

多分私は「威勢のいいオバちゃん」と思われてた様子。
先週は、お昼休憩の後、隣にいきなり新人の女の子が移動してきた。

上司「この辺の人は、みんなベテランさんだから話し方とかよく聞いてみて」
新人「はい」
上司「いいな、と思ったものはどんどん真似してっていいからね」

見るとまだ学生っぽい、可愛らしい女の子。
顔も声もはかなげで優しい雰囲気。強い押しはできなさそう。
お互い挨拶を交わした後、業務の悩みを打ち明けてきた。

新人「私、上手く切り返せなくて・・・すぐ、電話切られちゃうんです」
私 「あ、私もそうだよ。ほとんどガチャ切り。そんなもんだよ」
新人「でも、みなさんお上手だし、声もきれいですごいです」

わかる~。テレオペ10年級の人なんて、アナウンサーみたいだ。
電話業務ってのは、見た目はともかく、ほれぼれする声の持ち主ばかり。

新人「もっと、元気よく声を出そうと思うんですけど、なかなか出なくて」
私 「大丈夫。あなたのように、落ち着いた喋りかたが好きな人もいるよ」
新人「でも、みなさんたくさん件数取ってますよね。私全然ダメで・・・」

自分が上手くいってない時って、他の人は順調だと思っちゃうんだよな。

私 「取れないって言っても、ゼロじゃないでしょ?何件?」
新人「午前中で7件しか取れませんでした」

確かに多くはない。この時点で、私の獲得件数は11件。
けどちょっと待てよ。と思い、電話をかけた件数を聞いてみた。
すると、この4件の差の原因がすぐわかった。

単純に、発信した件数の違い。それだけだった。
午前中の4時間で、私は160件の発信。それに対し、新人さんは110件。
獲得件数に開きはあるけど、獲得率に換算すると同じ位になる。

たくさんかけた人が、たくさん獲得できる。
たくさん獲得するには、たくさん断られるのはつきもの。
非常にシンプルだけど、こういう構図になっている。

私 「なんだ。大して変わんないじゃん。とにかく数をこなせばいけるよ」
新人「そうですか」
私 「うん。数打ちゃ絶対当たる。だから大丈夫」

そうなんだ。もうダメだ、と諦めかけた頃にそういう人に巡り合うもの。
だから、いつでもアタックできる心の準備だけはしておかなくちゃいけない。

私 「ダメな人は何言ってもダメだから、そういう時はさっさと切っちゃお」
新人「はい」
私 「その代わりいける!っていう人に当たったら、全力でいこ」

この業務。粘りと同様に、スパッと切り替えるメリハリも大切。
変に長時間説教される。関係のない世間話をうだうだされる。
なんてのが、ガチャ切りよりもタチが悪い。

だったらとっとと見切って、次に獲得できる人を探す方がいい。

続きます。

仕事のこと | 08:23:59 | トラックバック(0) | コメント(0)
断られても諦めない
単発バイトネタの続きです。

単発という性質上、働く人の属性は様々でした。
上は年金を貰ってる高齢者から、下は娘のような年齢の学生までと幅広い。
金髪の人もいれば、つるんと禿げあがった頭の人もいる。

普段の行動範囲では、決して出逢う事のない方達とお話できて面白かった。
ほとんどの人は本職持ってたり、次の仕事への繋ぎとして来てる感じ。
時給も悪くはないので、ちょっとした小遣い稼ぎに適してます。

そして電話業務の経験者と未経験者の割合は、半々といったところ。
最初こそ未経験者は、トークや切り返しがとてもぎこちない。
でも半日も経つうちに、経験者と同じように滑らかに喋れるようになります。

こうなると次に気になるのは、自分が獲得できた数字。
トークに慣れ周りの状況が見えてくると、途端に不安になる。
周囲の人が、たくさん獲得できてるように見える。

「みんな、いっぱい件数を獲得してる。自分は全然ダメだ。頑張らなくちゃ」

と、焦りも出てくる。この業務、1人1人の獲得ノルマはない。
オペレーター全員の力で「今日は500件獲得しよう!」という感じ。
そして私同様、みんなも、やる以上は結果を残したい。と思ってる。

結論から言うと、アンケート・調査系の発信業務はセールスと違う。
初心者だろうが、下手っぴなトークだろうがゼロで終わる事はない。
なのでどんな人も最終的に、同じような獲得件数に落ち着きます。

今回初めて、アンケート系の発信をしてみて思った。
ぶっちゃけこの業務に関しては、上手い下手は獲得件数と余り関係ない。
確かに、トークが上手いに越したことは無い。

でも中には、シドロモドロでも一生懸命な姿勢に同情して、協力してくれる人もいる。
かと思えば、アナウンサーのような喋り方が好きな人もいる。
淡々と喋る声が好きな人。逆に感情的な声が好きな人もいて、十人十色だ。

こればかりは、実際に話してみないとわからない。
最初からいきなり「こんな時間に電話してくるなんて、失礼でしょ!」
と怒られる事もしょっちゅう。

たが、心から謝罪する。きちんと目的を説明する。真剣にお願いする。
そうすると、協力してくれる人が少ないながらもいる。
電話を切られさえしなければ、チャンスはまだ残ってる。

怒ってる相手に切りこんでいくのは、かなりエネルギーを要する。
でも逆に「怒ってる」というのは、自分は相手にされている。そういう事。
何を言っても無反応より、答えてもらえないよりは断然いい。

最初は怒ってる人が、ひとたび納得する。
すると不思議な事に、その後はとても優しく協力的になっていく。
マイナスだった感情が、そのままプラスへと方向転換される。

オセロでいうと、最初は黒が優勢。
でも、ポイントとなる一手で、あっという間に白へとひっくり返る。そんな感じ。

という事は、つまりは。
諦めずに、どれだけ件数をこなせるか。
最後の最後はそこが勝負となる。

続きます。

仕事のこと | 08:45:40 | トラックバック(0) | コメント(0)
図々しさも時には必要
先週週末、3回目の単発バイトへ行って参りました。
3週目ともなると、業務自体は慣れてくる。
しかし、体の方は反比例して、疲れが溜まり抜けきらない。

今週はGWで、明日から5連休取れる。本職も単発バイトも休む予定です。
大型連休でも、ダンナは仕事で娘は部活で不在。
なので、久しぶりに1人でゆっくり家でゴロゴロします( ^ω^ )

これまでやってきた単発バイトは、電話の発信業務。
1人何件取れ!というノルマはないけど、全体でのノルマはあります。
数字が届かないと、居残り(任意)とか休憩時間が短縮されたりと結構厳しい。

業務内容は、いわゆるセールス系ではありません。
色んな人から、簡単なアンケート聴取する。
質問は10問程度。時間にしておよそ5分から10分ほど。

何かを買ってくれ!という話ではない。
なので簡単だろうな。と最初は思ったけど、いざやると中々難しい。
電話発信の仕事をした人ならわかるでしょうが、相手はまともに話を聞いてくれない。

私 「夜分すいません。ワタクシA社のまどりんと申します。」
相手「はい」
私 「只今、18歳以上の方へアンケートのご協力をお願いしております」
相手「お断りします」ガチャ

これはまだいい。話を聞いてくれるだけマシな方。
中には、話の途中でぶった切ってしまう人もいる。

私 「お忙しい所失礼します。私、A社の・・・」 ガチャ

電話に出た人の8割はこんな感じ。
そりゃそうだよね。いきなり知らない番号からかかってくるんだから。
振り込め詐欺なんてものが出てきたせいで、仕事がやりにくいったらありゃしない。

私は過去テレアポをやってたので、冷たい対応には慣れてる。
慣れてはいるけど、やっぱりいい気分ではない。でも仕方ない。
ガチャ切りされて当たり前。むしろ話が出来たらラッキーくらいの気持ちでいる。

でも同じバイトの中には、発信はこれが初めてとか。
まだ学生でバイト自体、これが初めて。という超初心者も数多くいる。
1件2件ならともかく、このガチャ切りが10件とか続くと表情が曇ってくる。

「全然、ダメです。喋り方が変なのでしょうか」
「私、この仕事向いてないですね」
「上手に説得することできないです」
などと、どんどんネガティブな言葉が飛び出してくる。

こうなると、もう負のループ。電話口で喋る声も弱々しくおどおどしてくる。
せっかく、話してくれるような心優しい人に当たっても

「お・・・・お忙しいところ本当にすいません。私、○○社の○○と申します」

と、自信なげなトークをやってしまうので、相手から
「本当にちゃんとした会社なの?怪しいから切りますね」
とお断りされてしまう事となる。そしてまた更に落ち込む。

電話発信で、数字を取るにはちょっとしたコツがある。
①とにかく数多く電話をかけまくる。下手でも数打ちゃあたる戦法。
②多少相手が迷惑そうでも、自分の目的をハッキリ伝える。
③会話が成り立つ相手なら、断られても最後は情熱で押す。

①はともかく、②と③は結構勇気がいる。
見ず知らずの、聞く気のない・興味の無い相手に、話を続ける・お願いする。
実生活の人間関係では、まずやらないであろう事を実践しなければいけない。

私とて、リアルな人間関係では去る者追わず主義。
頭を下げて「お願いします!」なんてのも絶対やることはない。
けどこれは仕事。報酬を頂いている以上、結果は是非とも残したい。

自分の主義主張はさておき、図々しさ満開で業務へ挑みます。
「あんた、しつこい!」とまで、言われガチャ切りされることもよくある。
でも中には「協力しますよ」と言ってくれる人も、数は少ないけど確実にいる。

お願いしても断られる方が断然多い。でも諦めずにアタックし続ける。
自分でお願いしてなんだけど、OKしてくれる人がいると、とても驚く。そして思う。

「ああ。言ってみなきゃわかんないもんだな。ダメ元でも言ってみるもんだな」と。


仕事のこと | 08:42:24 | トラックバック(0) | コメント(0)
辞めちゃった
前回の続きです。

出社したら、カズさんの姿が見えない。
スケジュール表を見ても、特に外回りへ行く予定は入ってなかった。

私 「今日、カズさんは休み?」
ケイ「遅刻。午後から出社するって言ってた。体調不良だって」

昨日の様子からすると、体調よりマインドの方がやられてる感じだよな。
なんて思ってたら、お昼近くになって今度は

営業「カズさん、今日来ないって。休むってよ」
ハナさんは、聞いた瞬間呆れたように「へえ」と呟いた。
やっぱ休むんだ。というか、これはきっと辞めるな。

会社で誰かとトラブる・イヤな事がある。で、その後すぐ、1日でも休んでしまう。
すると、今度は本格的に行きたくなってしまう。少なくとも私はそう。
まあ、1週間ずる休みしても、ひょうひょうとしてる強者もいるけどね(ヤジさんみたいに)

彼が辞めても、特に私への支障はない。
でも1ヶ月間つきっきりで教育してきた、先輩営業さん達はがっかりだろうな。

どうせ辞めるなら、いっそ1日2日で決断してくれる方がありがたい。
全くの未経験から、なんとか1人で得意先へ出せそうな所まで仕上げた。
あとは、現場で経験を積んで一人前になっていくのを待つだけだったのに。

今回の正社員営業職の募集に当たっては、かなりの人員と時間とお金を費やしてきた。
複数の求人誌に募集を乗せ、30人以上もの応募者が来た。
その中から10人弱まで絞って、営業さん達が時間をさいて面接。

この、たくさんの応募者の中から選ばれたのが、カズさん。
採用後は、先輩営業さん達が手取り足取り教えてきた。
そのこれまでの労力が、全てパアになる。

外回りへ同行してるうちに、自分には出来ないと考えたのかもしれない。
慣れない電話応対に「こんなのやってられん」と嫌気がさしたのかもしれない。

でも昨日のあの流れから、ハナさんとのやりとりが原因だと思われても仕方がない。
他の人がどう思ってるかは、わからない。
けど私はハナさんとの1件が原因。もしくは引き金になったんだろうな、と思った。

するとハナさん。唐突にこう言い出してきた。

ハナ「電話応対を嫌がってるようじゃ、営業なんて出来ないよね」
ケイ「ですよね。色々対応しなくちゃいけないですからね」
ハナ「でしょ。だから教えたのに、これだもの」

その後もくだくだ言ってたけど、私は仕事に集中するフリをしてスルー。
確かに、ハナさんが言ってる事は正論。でもねえ。
私も同じようにネチっこく注意された事があるから、カズさんの気持ちはわかる。

ハナさんは頭がいい。仕事も早いし出来る人だ。
だからかな。要領が悪い、出来ない人の気持ちがイマイチわかってない。
自分が出来る故に、他人への要求も厳しい。

しかも彼女は、ふとした拍子に態度が豹変する。そうなると、非常に冷たくなる。
普段優しいだけに、この態度の違いに戸惑うこともしばし。
2年近くの付き合いになるけど、未だにこの「豹変スイッチ」がどこにあるのか探せない(。-_-。)

そして。
カズさんの欠勤は、その後も続きます。
先週金曜の段階で、退職するとの報告がありました。

辞めちゃうのかあ。勿体ないなあ。
ウチの会社の営業は、特殊だけどノルマがないからとっても楽なのにな。
覚える事はたくさんあるけど、クセのある取引先はない。

慣れてしまったら、自分のペースで好きに仕事できる。
有給もきっちり消化できるし、残業だってほとんどない。
ムカついたかもしれないけど、辞めるほどの事じゃなかったのにな。ホント勿体ないよ。




仕事のこと | 09:33:23 | トラックバック(0) | コメント(2)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。