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言ってはいけない一言
隠したかった素性の続きです。

この一件以降、社長が口癖のように言う言葉がありました。
「どうせ、心の底では“○○人”だってバカにされてる」

私は「○○人」と知っても、特に何も思いませんでした。
もちろん最初に知った時、驚きはしました。
けど、私は正直「ああ。そうなんだ」としか感じなかった。

社長の母国については、「良い」も「悪い」も何もわからない。
どちらかというと無関心に近いものがあった。
ですから、このように思う理由がわからなかった。

社長「今迄、散々差別されてきた。たくさん悔しい思いもしてきた」
私 「国籍が違うだけで?どうしてですか」
社長「みんな、そういうふうに考えてくれたらいいんだけどな」

そう言い、これまであった事を話し始めます。
日本人ではない故に、就ける仕事に制限があったこと。
その為、貯めたお金と同国人からの援助を元手に起業したこと。

社長には若い頃、結婚を約束した日本人女性がいたこと。
お互い「この人しかいない」と愛し合い、将来を誓った。
けど。先方の親族から猛反対され結婚を諦めた。

理由は徳川社長が「○○人」だったから。
生木を裂かれるように、別れさせられた。
おそらく、この出来事が一番のトラウマになっている様子だった。

社長「俺達は指紋を取られるんだぞ。まるで犯罪者扱いだ」
今はもう廃止された指紋押捺制度。けどまだ当時は残っていた。

国民年金には加入できない。支給も勿論されない(当時は)
本当の身分を明かすと、蔑称で呼ばれバカにされる。

聞きながら「本当にそんな事あるんだろうか」と思ってしまった。
自分が育った環境に、そういう人はいなかった。

話すうちに感情が高ぶってきたのか、今度は私へ怒りをぶつけてきます。
社長「日本人は冷たい。日本は差別だらけのひどい国だ」
私もさすがにこの言葉には、ムッとしました。

確かに、差別をする人はいる。冷たい人もいる。
けど事実を知っても、こだわりなく接してくれる人達だっている。
現に私やY社の社員、知人の人達だって態度を変えてない。

そこまで言われる筋合いのものだろうか。
そう思い、私は言いました。

私 「じゃあ、自分の国へ帰った方がいいんじゃないですか」

何気なく言った一言。
でもこの言葉は、徳川社長へ一番言ってはいけない言葉だった。
次の瞬間、人が変わったようにまくしたてられた。

「簡単に言うけどな!俺は日本で生まれ育って日本語しか喋れないんだ」
「俺達は、来たくて日本に来たわけじゃない!」
「帰って俺にどんな仕事ができるって言うんだ」

他にも色々言ってましたが、よく聞き取れませんでした。
それほど取り乱してしまった。そして最後に。

「帰ったらもっと差別される。日本で育って帰ったら人間扱いされないんだ」

続きます。

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過去の事(怖かった編) | 07:31:30 | トラックバック(0) | コメント(2)
隠したかった素性
本当の姿の続きです。

酔っ払って暴行傷害事件を起こしてしまった社長。
Y社にはこのような時、対応できる人間が誰もいなかった。
その後諸々の手続きは、社長の知人や弁護士が行いました。

普段ほとんど仕事にノータッチとはいえ、そこはやはり「社長」
長期不在にされた途端、色んな方面に影響が出てきた。

支払いの準備まではできても、実際に資金を動かすのは社長しかできない。
おかげでこの間、大口の支払はストップしてしまった。
取引先へは、社長の知人が支払い期日延長の交渉をしてくれたものの。

大丈夫かな。会社、潰れちゃわないかな。
今月、まだ給料もらってないんだけどな。
どきどきしながら、社長が戻る日を待っていた。

そして10日ほど経った後。
とりあえず拘留期間を終え、社長は略式起訴で戻る事が出来ました。

弁護士さんへお任せしてたので、詳しくはわかりませんが、
罰金を支払い、相手方にもそれなりの見舞金を支払ったようです。
久しぶりに会った社長の顔は、少し痩せていました。

事務所の自分の席に座り、みんなの顔を見まわします。
社長「みんな。迷惑かけたな。これから酒はもう飲まない」
深々と頭を下げました。そして。

社長「今回の事でバレちゃったな。軽蔑するだろ。俺が○○人だってこと」
バツが悪そうに、小さな声で言いました。
そんな社長を見て、男性社員のみんなは励まします。

豊臣さん「そんなの関係ない。社長は社長だ」
織田さん「そうだ。どこの国の人間でも俺は社長についてく」
社員③「言ってくれればよかったのに。どうして隠してたの」

社長は、うっすら涙を浮かべていました。

社長「ありがとう。ありがとう。みんな優しいな。こわかったんだ。
   本当の事を知ったら、バカにされるんじゃないかとずっと思ってた」

徳川社長は日本人ではない。
この事は私達へは勿論、自分の友人知人にも打ち明けていませんでした。
私をY社へ紹介してくれた知人の方も、今回初めて知った。と言っていた。

徳川社長は、今回のように逮捕されなければ。
隠し通せるものであれば。
一生、隠し通すつもりだったようです。

なんで?どうして隠すの。
教えてくれればよかったのに。
別に恥ずかしい事なんかないじゃない。

当時の私は、本当に無知でした。

日本で生まれ、日本語を喋り、日本人と同じ顔をしている。
見ただけでは、決してわからない。
でも唯一、決定的に違うもの。それは国籍だった。そして。

本当の名前や国籍を隠しながら生きていく
徳川社長と同じような人達がたくさん存在する。

そういった事を何も知らないまま、社会人になっていた。

この一件で、自分の生い立ちをカミングアウトした徳川社長。
これまであった事を少しづつ話すようになります。

続きます。

過去の事(怖かった編) | 07:42:41 | トラックバック(0) | コメント(0)
本当の姿
ふたつの名前の続きです。

当時の私にとって「外国人」とは、いわゆる金髪碧眼。
そういう人しか、イメージできなかった。
日本人と同じ顔をして、日本語を話す外国人。

全くピンとこなかった。
次から次へと、思いもよらない事を告げられ私はパニック。

どういう事?外国人は、名前を二つ持ってるって事なの?
わからない事だらけです。

警察「免許証見たらわかりますよ。本籍は◯◯国ですから」

本籍なんて意識したことがなかった。
免許証には色んな情報がある事すら、わかってなかった。
(現在の免許証は、本籍が伏せられてます)

徳川社長は日本人ではない。某国の国籍を持つ人だった。
(察しの良い方は、どの国の方かわかるでしょうが、ここでは伏せます)

本名と日本人名、ふたつの名前を持っていた。
だけど普段は、本名ではなく日本人名で生活をしていた。

それだけはかろうじて理解できた。
というかせざるをえなかった。

これ以降はどのようなやりとりをしたか、ハッキリと覚えてはいません。
これまで警察のお世話になった事などない。
勾留だの、被害届だの、留置場だの言われて困ってしまった。

それでも、
今日明日すぐに釈放される可能性は低い事。
そして起訴され公判請求(裁判)になってしまうと。
最悪の場合は実刑をくらってしまう事。あとは。

・弁護士さんをつけるのか
・面会や差し入れについて

これからどう対応するのか聞かれました。しかし。
男性社員はアテにならない。徳川社長には、頼りになる身内もいない。
私もまだ小娘で、何をどうすればいいかわからなかった。

警察からの電話を終え、すぐ紹介してくれた知人の方へ連絡を取りました。

知人の方も驚いていました。
すぐ、弁護士さんの手配を進めてくれます。

別れた(見捨てた?)とはいえ、奥さんや子供がいたはずの社長。
けど、こんな時でも家族とは連絡をとろうとしなかった。

その後、相手方との示談交渉や面会には、私も同席しました。
これらの出来事は、全て夢のように感じました。

ただ、警察署へ面会へ行った時のこと。
あの中では、一切「徳川家康」とは呼ばれなかった。

「沙悟浄」の名前で面会の手続きをした。
変な感覚でした。

これから面会するのは、本当に徳川社長なのか。
知らない人と面会する。そんな気分になった。

続きます。


過去の事(怖かった編) | 09:02:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
ふたつの名前
しあわせの基準の続きです。

朝いつものように出勤すると、社長の姿が見えない。
朝は大体2階から降りて、待機してる事が多い。

けど今日はまだ降りてきていなかった。
酔っ払って寝てるのかと思い、2階へ行くがもぬけの空。
どこかへ出かけてる、といった書き置きもなかった。

なんだ。どこ行ってんだろう。
またどこかの飲み屋で酔い潰れて居座ってるのか。
それとも、急きょゴルフの予定でも入ったのか。

徳川社長はゴルフ好きでした。
早朝からゴルフへ行く事もよくあった。
そんな時は、勿論朝から出掛けてしまってる。

けどこの日は、ゴルフバックを置いたまま。
という事はゴルフではない。まあいいや。そのうち連絡くるだろう。
そう思いながら仕事を始めます。

やがて、一本の電話がかかってきました。
それは驚く事に、警察からの連絡だった。

私 「はい。Y社でございます」
警察「こちら、◯◯警察署です」
私 「……はい?」

最初は、いたずら電話か間違い電話かと思った。

警察「そちらに沙 悟浄(さ ごじょう)という人は働いてますか」

しかも、見も知らぬ人間の名前を尋ねられる。
そんな人いません。そう答えようとしたその時。
思いもよらない一言を言われます。

警察「ひょっとすると、徳川家康と名乗ってるかもしれません」
今度は社長の名前が出てくる。
一体なんなんだ?訳がわからなくなってきた。

私 「徳川はウチの社長ですが、何かあったんですか」
これ以降の話は、私の理解の範疇をはるかに越えます。

警察「徳川家康こと沙 悟浄を昨夜逮捕しました」
私 「え?」
警察「酔っ払って、暴行を働いたんです。今留置場にいます」

正直なところ。これまでの暴れ方を見てたら
「いつかはこうなるよな」
と、心のどこかでは思ってた。

逮捕に驚きはしたけど、意外ではない。ただ。

それより気になるのは、何度か出て来た変な名前。
私「すいません、その沙ナントかさんって誰ですか?」

すると警察の方から、衝撃的事実を告げられます。

警察「徳川家康の本名です。徳川家康と沙悟浄は同じ人間です」
私 「え??」
警察「従業員の皆さんは、知らなかったんですか?」

知らない。銀行口座は徳川家康で開設してる。
預金も小切手も全部、徳川家康名義になってる。
沙 悟浄なんて名前、見た事も聞いた事もない。

警察「徳川家康こと沙悟浄は、日本人じゃないんです」
私 「え?」
警察「外国人です」

続きます。

過去の事(怖かった編) | 22:33:29 | トラックバック(0) | コメント(0)
しあわせの基準
10万だろうが100万だろうがの続きです。

泥棒されてもされても懲りずに雇い続ける。

百歩譲って、一度ならまだ出来心という事もある。
けど豊臣さんはこれで3回目。ダメじゃん。
彼の手癖の悪さは一生治らない。そんな気がする。

豊臣さんだけじゃない。
社員②の織田さんも、過去このY社のお金を持ち逃げした事がある。
しかも、豊臣さんとはケタが違う。100万以上ものお金を使い込んだ。

その時は警察へ突き出された。
織田さんは、若い頃から手癖が悪かった。
これまでも何度か警察のお世話になっていた。
悪質だった事、初犯ではなかった事もあり、実刑判決も受けた。

1年近く、北海道の刑務所で服役してたという話だった。
出所後はどこも雇ってくれる会社がない。
織田さんは妻子持ち。しかもお子さんが5人もいた。

そして、この織田さんの奥様はちょっと変わった人でした。
普通の感覚、私だったらこんな男とは即離婚する。そもそも選ばない

でも彼女は違った。
服役してる夫を「それでも愛してる」と、健気に待ちつづける。
出所後も温かく迎え入れたらしい。

奥様とは、私も何度か話をした事があります。
性格はとにかく明るくポジティブ。いつもニコニコしてた。
子供を5人も抱え生活は苦しい。しかも夫は前科者。

けど、そんな境遇を感じさせないほど、幸せそうな顔だった。
奥様だけじゃない。お子さん達も屈託なく明るかった。

最初は「無理してるのかな」と思った。でもどうやら違う。
物事をあまり深く考えない。超楽天的思考。そんな人だった。
彼女を見て私はなんとなく悟りました。

ああ。幸せって、環境や条件じゃなくて自分の中にあるんだな。って。

ただ、奥様やお子さんの優しい対応とは裏腹に
実家や親族とは、服役が決まった時点で絶縁されていた。
身内の援助はあてにできない。かといって、貯蓄などあるはずもなく。

最後は徳川社長に泣きつき、再度雇われた。という話でした。

徳川社長の考えてる事がわからない。
私は良くも悪くも凡人。一般的なものの考え方しかできない。
きっと、社長には社長なりの理論があるんだろう。
でも私には、どう逆立ちしても理解できない。

ただそれでも、腑に落ちない点がひとつだけ。
織田さんは警察に突き出したのに、何故豊臣さんはお咎め無しなのか?
単純に、被害にあった金額の大小の違いなのか。

この2人の扱いの違いについては、ずっと疑問に思ってました。
これは後々、理由がわかる事となります。

そうして、社長の予言通り。
本当に豊臣さんは、1ヶ月も経たないうちに戻ってきました。
朝出社したら、会社の玄関前にぽつんと立ってた。

豊臣さん「迷惑かけてすまなかった。社長いる?」
私  「いるけど何の用ですか」
豊臣さん「もう許してもらえないかもしれないけど、謝りに来た」

本当だよ。謝って済むなら警察はいらないよね。
私 「よく平気で戻って来ましたね」
思わずそう言ってしまった。

それから社長と面会した豊臣さん。がっつり叱られはしましたが。
その後は何事もなかったかのように働き始めた。

使い込んだ10万は、今後の給料から分割で返済する事になりました。
さすがに集金業務からは外れたものの。
泥棒がなんのお咎めもなく、のうのうと日常生活を送る。

これでいいの?みんなおかしいと思わないの?
そんな事を思いながら仕事を続けてきたある日の事。

私の想像を絶する出来事が起こりました。

続きます。

過去の事(怖かった編) | 07:58:56 | トラックバック(0) | コメント(2)
10万だろうが100万だろうが
酒癖の悪い男の続きです。

Y社の仕事の流れはこのような感じ。
お客さんと契約をする→商品を提供する→代金を集金する。
ここまでは、現場で働く男性社員達のお仕事。

ただ、手癖の悪い織田さんだけは集金業務から外されていた。
その為、織田さんの担当分を私達でフォローしていました。

私はこの一部の集金以外、ほぼ内勤業務。
当時は全ての業務がアナログ。
PCもワープロも使わず、ひたすら書く書く書く。

顧客名簿のも請求書・領収書発行も台帳作成も全て手作業。
あとは、集金を預り集計。最後に経費を振分ける。
ここまでが私の担当業務でした。

Y社へ入って半年後の事です。
ある日突然、社員①の豊臣さんが、姿をくらましました。

会社へ出社しない。家へ行っても姿が見えない。
と思ったらなんと豊臣さん。
会社のお金を持ち逃げしてたのです。その額10万円ほど。
お客さんの所へ集金へ行って、そのままトンズラした。

豊臣さんは、大の競輪好きでした。
休日ともなると、必ず競輪場まで足を運び車券を購入し遊んでた。
けど所詮はギャンブル。儲かるはずがない。

給料日前ともなると、金欠でいつもピーピー言っていた。
今回は、どうも会社のお金をその競輪につぎ込んだ様子。
けど返せるアテもなく、そのまま飛んでしまった。

私はてっきり警察へ通報するものだと思いました。
けど、驚くことに徳川社長。

社長「あれこれ面倒になるし、額も小さいから警察には言わない」
私 「え?これ横領ですよ。いいんですか?」
社長「秀吉はさ、今迄苦労してきたしああいうヤツだから、いいんだよ」

なに言ってんだ。意味がわからないよ。
苦労してきた人間は、犯罪を犯してもいいの?
これを許したら、他の社員さんに示しがつかないんじゃないの。

けど社長がいいって言うんなら、仕方ないのか?
いや。よくない。私は全く納得いかない(`・ω・´)
こんなヤツ、警察へ突き出してクビでしょクビ。

それに、これからの仕事の割り振りも考えなくちゃいけない。
このY社、ちょっと特殊な仕事だった(変な仕事じゃないよ)
他の人の仕事を丸ごとカバーするのは、かなり無理があった。

私 「豊臣さんの担当分、穴開きますよ。どうするんですか」
社長「臨時で雇う。それまでは俺がやるから大丈夫」
私 「新しい人は募集するんですか?臨時の人はずっと出来ませんよね」
社長 「多分、秀吉は1ヶ月もしないで戻ってくる。これが最初じゃないから」

耳を疑いました。
これが最初じゃない。これまでも同じ事をされてきた。
だったらなんで、織田さんのように集金業務を外さなかったの?

私 「今迄もこういう事あったんですか?」
社長「あった。これで3回目かな。秀吉は、金が無くなったら戻ってくる」

豊臣さんは天涯孤独の身。身を寄せるようなアテはない。
なので持ち逃げしたお金が尽きたら、その都度ノコノコ戻ってくるらしい。

私 「え。まさか、戻ってきたらまた雇うつもりですか?」
社長「雇うよ。アイツ、ここ以外行く場所ないからな」

いやいやいや。それはないでしょ。

社長「秀吉は、いつも10万位しか使い込めない、気の小さいヤツなんだよ。
   どうせやるなら、もっとでかくやればいいのにな。可愛いもんじゃないか」
私 「可愛くないです。もっと悪い事するかもしれないですよ」
社長「それは心配ない。秀吉は度胸がないから大丈夫」

訴えないどころか、戻ってきたらまた受け入れる。
私の理解の範疇を超える判断。

10万だろうが100万だろうが、泥棒は泥棒じゃん。
10万盗るのは許すけど、100万盗るのはダメって事?
なんなの。この社長ばかなの?と、心の底から思いました。

続きます。

過去の事(怖かった編) | 08:24:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
酒癖の悪い男
訳がある人達の続きです。

事務員が居着かない理由がもうひとつ。
実はこの徳川社長、とても酒癖の悪い人だった。
朝まで飲んだくれて、酔っ払って帰宅する。

事務所は、自宅と兼用だったのでもう大変。
朝出社したら、事務所の床で社長が大の字になって寝てるとか。
酔っぱらったまま、出社した社員にからんでくることも。

からむだけならまだいい。
でも違った。かなりタチが悪くなる時があった。

書類をぶちまけたり、物にあたって壊したり(-_-)
ガラスを割った事もあったし、椅子をぶん投げた事もあった。
しかも暴力を振るう時まであった(私はされた事ありませんが)

私はこの社長に出逢うまで「酒癖の悪い人」を見た事がありませんでした。
実家の両親は、普段お酒を飲まない。
飲んでも、弱いので酔うとすぐ蒲団へ入って寝てしまう。

なので非常に驚きました。
酒乱って言葉は、聞いたことはある。あるけど。
本当に、こういう人がいるとは思わなかった。

ただ、毎日お酒を飲む人ではないのが救いでした。
徳川社長は、家で晩酌をしない人だった。
飲みたい時は、必ず近所の飲み屋へ出掛けた。ペースは週に一回ほど。

行った先の飲み屋さんで、トラブルを起こす時もあった。
お店の備品を壊したり。他のお客さんにからむ事もあったようでした。
前後不覚になり、動けなくなった社長のお迎えに行く時もあった。

飲み屋のママさんから
「飲まなきゃいい人なのにねえ。どうしてあんなに変わっちゃうのかしら」
と言われる事も。

お金だけは、たんまり持っていた徳川社長。
飲み屋さんでも、迷惑をかけた後は必ず「飲み代+迷惑料」を支払い謝罪していた。
ご近所さん、という事もありトラブルを起こしても穏便に済ませてもらっていた。

いつスイッチが入って暴れるのか。原因がわからない。
こっちはいつもヒヤヒヤしていました。

社長が暴れた日の事務所は、それはもうひどい有様。
通常業務をする前に、まず事務所の片付けから始めなくてはいけない。

ですから、社長が飲みに行く。
と事前にわかる時は、事務所の中から一切の物を取り払う。
椅子や壊れ物は、違う場所へ避難させていました。

それでも前触れなく飲みに行き、暴れることもある。
特に、豊臣さんはよく蹴飛ばされたりぶたれたりしていた。
そして、酔いが冷めると社長、しゅんとして謝ってきます。

「またやっちゃった?ごめん。俺、飲むとわかんなくなるんだよ」

酔っ払ってる時とは打って変わった態度。
私達へのお詫びも、とても手厚かったです。
社員全員を食事に連れてったり、小遣いまで渡してくれました。

今なら立派なハラスメントで訴える事もできる。
けど当時は、まだまだそんな概念などなかった。
やられたらやられっぱなしでした。

普通だったら、暴力を受けた時点で辞めそうなものです。
ただ、ここの社員さん達は、訳ありな人ばかり。
加えて、住まいも社長が民間の賃貸を借り上げ、社員へ提供してた。

頼りになる親族はいない。いても絶縁されてる。
この会社を追い出された途端、仕事と住まいの両方を失ってしまう。

そんな人しかいなかった。
徳川社長が恣意的にそういう人ばかり集めたのか?そう思ってしまった。

続きます。

過去の事(怖かった編) | 08:24:11 | トラックバック(0) | コメント(0)
訳がある人達
儲けてなくても悠々自適の続きです。

仕事での儲けはほとんどなかった。
にも関わらず、毎日のように遊びまわっていた徳川社長。

そんな社長はお一人様でした(正確にはバツイチ)
失礼ながら、顔はかなり強面の方だった。
三白眼でパンチパーマ。ちょっと見た感じ、堅気の人には見えない。

紹介してくれた知人の方からも、こう前置きされた。
「徳川社長、顔はいかついけど、とても優しい人だから安心して」

大袈裟でもなんでもなく、この言葉通りの容貌。
初対面の時は、回れ右して帰ろうかと思ってしまった。
それほど第一印象が悪かった。というか怖かった。

最初私は
「もしかしてここは、組事務所なの!?」
と本気で心配したほどです。

でも勿論、徳川社長はその筋の方ではありませんでした。
仁義なき戦いのような任侠もののビデオが好きで

社長 「かっこいいな~。俺、こういうの憧れてたんだ」
と言いはするものの。
私が知る限りでは、怪しい人とのおつきあいはしてなかった。

顔はちょっとコワイけど、楽しい性格の人だった。
従業員の面倒見も良かった。
仕事が終わったら、みんなを食事へ連れて行ってくれたりもした。

最初は、この社長や社員さんの「事情」に気が付きませんでした。
でもやがて、働くうちに少しづつ内情がわかってきます。
この会社の社員さんは皆「訳あり」な人ばかりだということに。

どういうふうに訳ありかというと。

まず社員①の豊臣さんは、生まれてすぐ親に捨てられ施設で育った。
社員②の織田さんは、ついこの間まで刑務所に服役してた。
社員③の方も、施設育ちで身寄りがなかった。

社長自身も過去事業に失敗して、莫大な借金を抱えた時があったそう。

社長「あん時は借金がすごくてな。保険金で返そうと思ったんだ」
私 「自殺しようとしたってことですか」
社長「そう。車に乗ってさ。大型トラックにぶつかろうとハンドル握ったんだけど」
私 「はい」
社長「出来なかった。死ねなかった。情けなくて、そのまま家族を捨てて逃げた」

その後はしばらく、路上生活をしていたそうです。
ただ、それからどうやって今の生活まで立て直す事が出来たのか。
この辺りの説明は曖昧なままでした。

徳川社長の言葉が本当か嘘なのか。
私には判断がつきかねました。それでもなんとなく。
家族を捨てた。というのだけは本当かな。と感じました。

人生イロイロなので、こう言うのはなんですが。
このY社には、私から見て「普通の人」がいなかった。
少々ガラの悪い人もいた。手癖の悪い人もいた。

ここの事務仕事は、お金を取り扱う業務が多かった。
それなのに男性社員は、クセのある人ばかり。

手癖の悪い人もいたので、お金の管理を任せるのは心配だった。
でも社長は自分で事務仕事をするつもりがない。
そこで、身元のしっかりした事務員を1人雇いたかった。が。

当時はまだまだ景気がよかった。
ちょっとでも働きづらい会社だと、すぐ人が辞めてしまう。
Y社も人は入るけど、こういう独特の雰囲気の為か。なかなか定着しなかった。

そこで、募集ではなくコネを使って事務員を探した。
紹介なら簡単に辞めないと計算して。
こうして私はY社を紹介され、働く事となったのです。

続きます。

過去の事(怖かった編) | 08:26:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
儲けてなくても悠々自適
これは昔々のお話です。

結婚する前。まだまだ小娘だった頃の出来事。
当時私は個人経営の小さな会社へ(Y社)事務員として勤める事になりました。
従業員は社長合わせて5人ほど。メンバーは。

社長  徳川家康さん 50代独身男性
社員① 豊臣秀吉さん 50代独身男性
社員② 織田信長さん 40代男性既婚子供有
社員③ 30代の独身男性(名前は割愛します)

お名前は全て仮名です。特に他意はございません(笑)
同じお名前の方。気を悪くされないで下さいね。

このY社へは、知人の紹介で入りました。
待遇は悪くなかったです。
日祝日休みで、朝8時から夜16時まで。残業はほぼ無し。
月給は手取りで20万程度。ボーナスもありました。

仕事も売上の計算・帳簿つけ・電話番といったごく普通の事務仕事。
あとは、銀行へおつかい行ったり来客応対するだけ。
社長や社員が不在の時のお留守番要員として雇われた感じです。

仕事そのものは楽チンでした。
私以外はみなオジさんばかり。人間関係も気を使う事がない。
そして。事務所は社長の自宅と兼用だった(1階が事務所で2階が住居)

この徳川社長は、謎が多かった。よくわからない人でした。
私は、このY社の売上や現金を取り扱っていた。
全てではないけど、どれくらい利益が出てるかも把握できた。

ハッキリ言って、儲けなどほとんど出てない会社でした。
儲けどころか運転資金にも事欠き、持ち出しする時もあった。

Y社の状況は、ざっくりとこんな感じでした。
売上1000万。仕入の支払いに800万。
人件費福利厚生費に150万。その他の必要経費は20万。

通常でこれ。私が把握してる限りは、本当にギリギリの月が多かった。
年末のボーナス時期などは、資金が足りなくなってしまった。

私 「社長。今月の支払い、足りなくなりそうです」
社長「あ、そう。いくら足りない」
私 「光熱費と人件費の一部。合わせて30万円ほどです」
社長「30万ね。明日口座に入れとく。他は?」
私 「他は大丈夫です。光熱費の方は明細お渡ししときますね」

年間ベースに換算すると、売上から社長の手に渡るお金は少なかった。

徳川社長も口では「儲からない仕事だな~」と言うものの。
会社に関わる資金を借金している様子はない。それどころか。

社長の金庫にはいつも諭吉さんが束で入っていた。
車でもなんでも、高額な買い物はローンではなくキャッシュで支払ってた。
服飾など身につけてる物もブランド品ばかりだった。

しかもこの頃、バブルがはじけ株が安くなっていた。
社長「今がチャンス!」
と、3種類ほどの株や転換社債に1,000万以上のお金を投入していた。

この人、一体どんだけ資産持ってるんだろう。
徳川社長にとっての1,000万は「いつでも動かすことができる単位」
の現金だった事は間違いないようでした。

仕事にしても、本来なら私の担当業務など社長がやる仕事。
でも、自分が好きに遊びたくて私を雇っていた。
月20万30万ほどの人件費は、気にならなかったのでしょう。

同じ業種の他社の社長さんは、みな人件費を浮かせるために四苦八苦してた。
社長自ら、現場で働き売上を確保しようと懸命だった。
それなのに、この徳川社長の余裕っぷり。

実際、毎日のようにゴルフへ行ったり、競馬場へ遊びに行ってた。
いつ仕事してるんだろう?というほど悠々自適な生活。

会社の売上を管理していた私。
でもさすがに、徳川社長の個人資産までは把握していなかった。

続きます。



過去の事(怖かった編) | 08:56:21 | トラックバック(0) | コメント(0)
3年後の戦いへ向け
受験期になるとよく
「桜咲く」「桜散る」という言葉を耳にします。
けど私は正直、この言葉が余り好きではない。特に桜散るの方。

結果はどうあれ。
今迄培ってきたものが無くなるわけじゃない。
散ったんじゃない。まだ咲いてすらいない。

そんな思いを込め、一昨日の記事タイトルを
今咲く花、未来に咲く花。とつけさせていただきました。

たくさんの花がある。
どの花もまだ蕾のまま。

やがて開花の時期がくる。
その蕾達が一斉に咲き始める。
誇らしげにその姿を見せつける。

一方でまだまだ固い蕾のままのものもある。
日差しが足りなかったのか。
栄養が。水が足りなかったのか。それとも。

まだ咲く時期ではなかったのか。

日当たりのいい、目立つ場所ですくすく育つ花。
日の当たらない、目立たぬ場所で懸命に咲こうとする花。

先に咲いたばかりに手折られる花もある。
一日遅く咲いた故、長く生きながらえる花もある。

先はまだ長い。
高校生になっても。大学生になっても。社会に出ても。
自分との闘いは、勝負はずっと続く。

3年後は、高校受験に参戦しなかった中高一貫の子達がやってくる。
娘がまだのほほんとしてる小学時代には、もう既に違うレベルの勉強をしていた。
6年間じっと力を蓄えてきた。

そんな優秀な子達が大学受験ではライバルとなる。
弱気は禁物。そうは思っても、常に不安がつきまとう。

高校へ入り、1年近く経った今の娘はというと。
人生初の追試を経験。頑張っても思うように伸びない成績にため息。
擦りむけた手の傷は、まだ癒えることがない。

中学校では、色んな学力層の生徒がいるせいか、どこか
「勉強する努力するのは格好悪い」
と思わせる空気があった。

でも、入試である程度の線引きをされる高校は違う。
努力するのは当たり前。という集団。
自分以上に、勉強する努力する子達に厳しさを感じる。

けどこうも言う。
「心置きなく勉強してる!って言えるこの空気が心地いい」と。





この過去(高校受験編)の記事を始めたきっかけに、
ブログ村さんの受験カテへお邪魔させて頂いておりました。

高校受験の記事は本日で終わりにします。
明日からは、別ネタで更新する予定です。
なので、本日を持ちまして受験カテからは撤退致します。
突然お邪魔して突然消えますが、どうぞご容赦下さい。

今迄ご覧いただきありがとうございました。


過去(高校受験編) | 10:29:20 | トラックバック(0) | コメント(2)
たかが1問。されど1問
前回の続きです。

合格発表翌日。
娘は高校へ得点開示へ行きます。が。
その内容は、驚く結果となっていました。

国語60点
数学70点
理科社会90点
英語77点
総合387点

総合得点に大きな変化はない。
しかし、国語と英語が自己採点とかなり剥離した。
特に驚いたのは国語。一番得意な教科が一番悪かった。

小学中学通して、どんなテストも国語でこんな点数を取った事がなかった。
手応え以下の結果に、娘もショックを受ける。
間違いじゃないかと、思わず聞き返してしまったそうです。

娘 「すごい落ち込んだ。基本がまるでなってないって事だよね」

数学に手をかけすぎたせいもあるけど、国語は油断してた。
得意教科ということもあり、塾長も放置していた。
雑な勉強は、ここ一番で通用しないんだな。そう感じた。

「なんで国語が一番悪いんだ?お前、それでも日本人か」
ダンナにはこんな事まで言われた(笑)

結果を聞きヒヤッとした。思った以上に綱渡りだったんだ。
こうして得点が開示されると、色々分かる事がある。
やはり数学の見直し。ここが大きな分岐点になった。

もしあの時、見直ししてなかったら。
もしミスに気付かず、放置したままだったら。
もしそのまま、手つかずの問題にこだわり続けていたら。

点数を落とすばかりか、応用も解けなかったかもしれない。
点数にすると5点ほど。たったの1問。
けど、このたった1問が娘の起爆剤となった。

いつもは出来ない応用まで解ける。息を吹き返す。
その勢いのまま、残りの教科へ挑む。
この1問は、その後の257点につながる大きな大きな1問になった。

苦手故に、解けた時手応えを感じた時の達成感。
それは、得意教科とは比較にならない重みがある。

私 「数学に救われたね」
娘 「本当だね。国語の方が悪いなんて想像できなかった」

こういった話を私は、先輩ママさん達から嫌というほど聞いていた。

「苦手だった国語が一番よくて、びっくりした。何が助けになるかわからない」
「得意教科で撃沈して、その後立て直すのに時間がかかった」
「緊張して、頭が真っ白になって何も書けなかった」

そして
「受験は水もの。どんな子にも絶対はない」

娘が受験した年は、なぜか上位校に人気が集まりました。
その為。玉砕覚悟で試験へ挑み、ダメになった子も多かった。
一方で、順当だと思われる高校へ志願した子はほとんど合格できた。

けど中には。
模試の結果が98%で、絶対大丈夫と思ったのに涙をのんだ子もいた。
逆に入試直前の模試で成績を下げ、危険水域だったけど合格した子もいた。

この子達の合否を分けたものが何なのか。
私にはわからない。
そして改めてこの言葉を思い出す。

人間のやることに絶対はない。と。

過去(高校受験編) | 08:46:49 | トラックバック(0) | コメント(2)
今咲く花、未来に咲く花
前回の続きです。

高校へ到着したのは、発表の15分前。
その時点ではもう、既にたくさんの人が並んでいました。
人混みが苦手な私達は、最初後ろの方で待機していた。

しかし。発表の時間が近くなると娘は
「私、前の方で見てくる。ママここで待ってて」
と言い、人垣の中へ消えていった。

私は後方でスマホの撮影準備をしながら待つ。
娘の受験番号は400番台。
頭の中で番号を唱える。ありますようにありますように。

不合格になる子より、合格する子の方が圧倒的に多い高校受験。
合格発表の場も、独特の緊張感がある。
おそらく一生に一度だけしか経験できないこの空気。

大学受験と違い、浪人する子などほとんどいない。
不合格の時点で、二度とその高校へ足を踏み入れる事がなくなる。
中学受験と違い、ダメだったら「じゃあ公立へ」という選択肢もない。

高倍率であればあるほど、その分不合格になる子も多い。
5倍10倍なんて倍率を見た日には「ま~、しょうがないよね」ともなる。
でもそれが1.1倍や1.2倍の倍率だったら。

300人の定員に330人の志願者。30人の子だけが涙をのむ。
300人の定員に900人の志願者。合格した倍の子が涙をのむ。
同じ不合格でも、その子に与えるダメージは絶対に違う。

ほとんどの子が「合格」する高校受験。
だからこそ我が子にも受かってほしい。
そう願う親御さんは多いはず。私のように。


発表時間になった。高校の職員が玄関へ出てくる。
合格番号が記載された大きなボードを高く掲示した。
ボードの受験番号が見えたその瞬間。

歓声があがった。みな前へ駆け寄る。
悲鳴に近い喜びの声。拍手も聞こえる。
「よっしゃあ!」という力強い男の子の声。

私も前へ近づき必死に目をこらした。
どこだ。どの辺だ。100番台200番台・・・まだだ。まだまだ先の番号。

撮影しながら探すのでなかなか見つからない。
300番台400番台。近い。近くなってきた。そして。

あった。番号を見つけた。

と同時に、人垣の中で動く娘の姿が見えた。
人の波をかきわけながら駆け寄ってくる。弾ける笑顔。
私の胸へ飛び込み、力いっぱいぎゅっとしがみついてきた。

私 「おめでとう!見えた?見えた?」
娘 「見えた!見えた!良かった~!」

良かった。本当に良かったね。4月からはここが母校になる。
この校門を毎日くぐる。この校舎が学び舎となる。
P校は進学校。入学後は今以上に厳しい勉強漬けの日々が待っている。

でも今は。今は素直に合格を喜びたかった。
耳に入ってくるのは、私達と同じ喜びの声。
みな浮足だってる。スマホは勿論、ビデオで記念撮影する人もいた。

再度、合格発表の掲示板を見つめる。
間違いない。娘の番号がそこにはあった。
そして同時に気がついた。娘の番号の後ろ3つは抜け落ちている。

子供達は受験番号をお互いに教えあわない。
でも番号は、中学毎の男女別・クラス順に振り分けられる。
なので、なんとなく誰が何番なのかはわかる。

娘は1組。同じ中学の女子の中で、最初の番号。

P校を受けた女の子は全部で5人。
娘の他、番号があったのはユイちゃんだけ。
他の3人はダメだった。娘も気がつき呟く。

娘 「合格発表ってシビアだね」

抜け落ちた番号の多さをただ茫然と見つめるだけ。

続きます。

過去(高校受験編) | 08:46:22 | トラックバック(0) | コメント(0)
合格発表前の高揚感
前回の続きです。

あとは運を天に任せるだけ。
卒業まであとわずか。残り少ない中学生活を満喫する娘。
ウチと同じく、受験終了と同時にスマホを持たせるご家庭の多いこと(笑)

娘のスマホのLine友達リストは、あっという間に100人近くとなった。
どうしてそんな数になってしまうのか驚くばかり(私なんか一桁だよ)
こんなのいちいち相手してたら、確かに手放せなくなるよね。

合格発表は卒業式の翌日。
ウチの中学校は合格した子は午前。
ダメだった子は午後に登校して、先生へ連絡する事になってた。

へえ。バッティングしないよう配慮してるんだ。
今はそこまで気を使うんだ。学校の先生も大変ね。
自分の時はそうだったかな。思い出せない。

私はド田舎の公立高校出身。
ぶっちゃけ成績が悪くても、素行さえ良ければ誰でも入れる高校だった。

事実、私の時は非常に素行の悪い男の子1人を除いて全員合格した。
中にはそれこそ「マイナスにマイナスをかけるとどうしてプラスになるの?」
なんてレベルの子さえいた。漢字がロクに読めない子もいた(>ω<)

自分はこんな、のほほんとした環境の中育ってきた。
恥ずかしながら、偏差値というものを大人になってから知ったほど。
申し訳ないけど、娘のプレッシャーは想像しかできない。

当初、合格発表は1人で行くと言ってた娘だった。
けど気が変わったのかこう言ってきた。
「やっぱりママ、合格発表一緒に見に行ってくれる?」

ハイ喜んで(*^_^*)
言われなくても見に行くつもりでした。と言うと

「だよね。ママの事だから、ダメって言っても絶対後つけてきたでしょ」
さすが15年も娘をやってるだけのことはある。
親の行動はお見通しなんですね~。

合格発表の日はさすがに仕事の休みを取った。
合格でもダメな時でも発表後はそれからが忙しい。
ダメだったとしても、落ち込んでる時間はない。

その足ですぐ併願私立の学費を振込み、入学手続きをしなければいけない。
私立の入学手続き(学費振込)の締め切りは、合格発表日の午後3時まで。
モタモタしてると行く高校がなくなってしまう。

そしてその日はやってきた。
合格発表当日。私と娘は一緒に家を出た。
ダンナも落ち着かない様子。

ダンナ「すぐ連絡よこせよ。Lineでもメールでも電話でもなんでもいいから」
と言い会社へ行った。

そして足かけ4年弱、お世話になった塾。
塾長への報告は、本人が直接言いに行くのが例年の慣例らしい。

私 「メールとか電話の方が早いのに」
娘 「本人の顔を見て結果が聞きたいんだって。塾長ってアナログなんだよ」

合格発表の日はよく晴れていた。
入試の時と違い、今日は2人とも話がはずむ。
これから入学までは、買い揃えるものがたくさん。娘のリクエストは細かい(笑)

鞄はノースのリュックにしたいな。定期入れは鞄につけるタイプにする。
お弁当箱は大きくて可愛いのを選ぶよ。水筒も新しくしたいな。
高校生になったら、靴は運動靴じゃなくてローファーにするんだ。

今日の合否はともかく、高校生になれるのは確定してる。
きっと周りは知らない子ばかり。行動範囲も交遊関係も、格段にひろがる。
どんな結果になっても、これまでとは違う世界がそこにはある。

学校が近づくにつれ、ドキドキしてきた。
いよいよだな。合格してるかな。しててほしいな。
ダメだった時は、すぐタクシー拾ってこの場を立ち去るぞ。長居は無用。

P校の憧れのセーラー服を着る事ができるだろうか。
それとも、P校の校門をくぐるのは今日が最後になってしまうんだろうか。
私の緊張はピークに達してきます。

続きます。

過去(高校受験編) | 08:40:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
ボーダー予想
前回の続きです。

そして試験翌日、中学校へ登校。
学校ではもちろん、昨日の入試の出来不出来の話題が出ます。
「俺落ちたわー」「私も~」との言葉が飛び交っていたそう。

自己採点の結果も、それとなく探りあってた模様。
ウチの娘は良くも悪くも正直者。
どんなテストの結果も、聞かれたら素直に答える。

娘 「出来なかった。385点くらいかな(´・ω・`)」
対して同ランクの高校を受けた子達は、教えてくれなかったそうです。
他の子の点数を参考にしたかった本人は少し不満だったよう。

娘 「いつもそうなんだ。教えても教えてくれない」
じゃあ教えなきゃいいじゃん。と思うのだけど(笑)
中には「自己採点、こわくてしてない」という子すらいたとの話。

そして気になる難易度。
やはり今年は国数英が難化していました。理社は例年通り。
ということは、多分理社でほとんど差はつかない。

娘がそこそこ出来た数学も難化した。というのは意外だった。

本人にに聞いてみても
「数学苦手だもん。簡単でも難しく感じるからわかんないよ(。-_-。)」
とのお答え。でも今年度の問題は、得意な子でもかなり手こずったらしい。

娘同様、大抵の子はどちらかを得意・得点源としてる。
オールマイティーなのは一部の子。
ということは。文系理系どちらが得意でもほぼ同じ土俵なはず。

国語で手応えがつかめず、更に数学で打ちのめされる。
大多数の子は、この2教科でダメージをくらった。
大手塾も「今年は平均点が下がる」と分析した。

ウチの娘だけが難しいと感じたわけじゃなかった。
少し安心。でも今年は文系教科、特に国語を得点源にしてる子とっては
かなり厳しい結果になる。そんな予感がしました。

なんだかんだ言って、一番最初に得意教科でつまづくのは大きい。
ましてや数学と違い、国語は「絶対合ってる!」という感触が掴みづらい。
最後は採点者の裁量次第、という部分も出てくる。

同じ出来なかった手応えでも、国語と数学ではかなり違う。
数学はキッチリ点が読めるけど、国語はどうしても曖昧さが残る。
もやっとした気持ちのまま次へ進む(こう思うのは私だけ?)

入試からほどなくして、大手塾・模試事務局からボーダーが発表されます。
大手塾は385点。模試事務局は364点が合格最低点と予想。
昨年と比較して予想ボーダーは10点ほど下がっていました。

そして例年、この予想は模試事務局の方が精度が高い。
大手塾の予想。こちらに関しては余り参考にならない。
とりあえずボーダーには乗った。でもあくまで暫定。

ただ内申ランクがひとつ下がると、途端に合格最低点が397点に跳ね上がる。
もし内申が今より悪い状態で試験に挑んでいたら。
ボーダーにすら乗らない。危なかった。

いや。安心するのは早い。今はまだ自己採点の段階。
本人「記述の曖昧な部分は、全部×にした」
と言うものの。実際は蓋を開けてみないとわからない。

塾や中学の先生と、高校の先生の採点基準が一緒とは限らない。
特に娘はどちらかというと、甘甘な採点をされてきた。
中学校の先生にも甘やかされてきた(ように私は感じる)

いや~もう心臓に悪い。
早くけりをつけたい。
この待ってる時間が途方もなく長く感じました。

続きます。

過去(高校受験編) | 08:18:25 | トラックバック(0) | コメント(0)
スマホと学力
前回の続きです。

試験当日、帰宅したダンナにも報告します。
娘 「あのね。国語と英語失敗しちゃった(´・_・`)」
ダンナ「後悔してないならそれでいい。よくやったな。お疲れ」

普段余り褒めない。どちらかというと、叩いて伸ばすタイプのダンナ。
でも今日は滅多に出ない「よくやったな」が出た。そして。

ダンナ「よし。今度の週末は携帯買いにいくぞ。予定あけとけよ」
娘  「え?!本当に?合格発表まだだけどいいの?」
ダンナ「そんなの待ってたら遅くなる。高校の入学式に間に合わないぞ」

娘には、小6の時からキッズケータイを持たせてました。
けどこれはメールは勿論、通話の発信受信にも制限がある。
今時は中学生でもスマホを持ってる子が多く、娘はスマホを欲しがった。

しかし私達夫婦は高校生になるまで、スマホもガラケーも持たせるつもりはなかった。
娘に「こんなケータイ持ってるの私しかいない・・・。せめてガラケーにしたい」
と言われても無視。「だって必要ないじゃん」で終わり。

ただ。
中学3年の夏。英検準2級の試験を受けに会場へ行った時の話。
試験前に手荷物検査の為、娘が机の上に私物を並べた時のこと。
試験管が見回りに来て、机の上のキッズケータイを見る。すると。

「え??」

と驚いて呟き、娘とキッズケータイを交互にガン見したそうな。しかも。
娘 「小学1年くらいの小さい男の子も、受けにきてたんだけどね」
私 「へえ。そんな子が準2級受けてんだ。すごいねえ」

娘 「そうなの!お母さんもね。教育ママって感じでこわかった。でね」
私 「うん」
娘 「その小学生と私、同じキッズケータイだったの

ちびっ子と同じケータイか。それはそれは(笑)
私 「キッズケータイは小さい子向けだからね」
娘 「私、もう中学生だよ。なのにキッズケータイ?!

その後も「私は小学生と同レベルなの?!」とブーブー文句たれた。
けど、我が家では頑としてキッズケータイのまま。
私見だけど、携帯依存度と学力は絶対に相関関係があると思ってる。

特に小中学生のうちは、自分でスマホの管理なんて絶対出来ない。
出来るとしたら、塾など通わず完全に「自学」できる意思の強い。そんな子だけ。
よって、ウチの娘には無理と考えてた。

そんな中、娘が中学2年の秋。家族共有のタブレットを購入する事になった。
PCと違い起動も早く、ネットに関してはこちらの方が断然便利だったから。
そして購入後、娘用にLineとメールのアカウントを取ってみた。すると。

まだ中学生なのにいるわいるわ、スマホを持ってる子が。
あっというまに、娘のLine友達リストはいっぱいになった。
しかもみんな、ちょこちょこタイムラインに投稿したりメッセージを送りあってる。

案の定、娘も夢中になってやり込むようになりました。
四六時中とはまではいかないものの、一旦手にすると1時間2時間離さない。
タブレットというより、Lineとメール。特にこの2つの破壊力が凄まじかった。

家族共有のタブレットでこの有様。
スマホなんて持たせたら・・・考えただけで恐ろしい。

夢中になってやってる時期に注意してもあまり効果がない。
しばらく放っておいて、どうするのかな。と様子を見ていた。
すると、中学3年の春も終わりになった頃。さすがに本人も危機感を持ったようで。

娘 「私ダメだ。タブレットあるとついつい遊んじゃう」
私 「だね。やっぱ一回使うとやめられない?」
娘 「うん。お願いママ。パスワードかけて私が使えないようにして」

自分で管理できないとギブアップしてきた。
なので、これ以降は私が管理することに。娘はタブレット封印。
今になって思う。この数カ月間のタブレット生活。
これも、成績不振を招いた原因のひとつではないかと疑ってる。

実際、上位校を受ける子でスマホを持ってる子。
というのは、私が知る限りはいなかった。せいぜいがガラケー。
熱心にスマホで遊んでた子達の末路は、合格発表後に知る事となる。

ただ。高校生になったら話は変わる。
中学時代と違い、行動範囲が格段に広がる。逆に携帯がないと不便。
なので受験が終わったら購入するつもりではいました。

娘  「・・・・スマホ買ってくれるの?」おそるおそる
ダンナ「これから買うのに、スマホじゃなきゃ意味ないだろ」
娘  「やったあ!!」

こうして、娘のスマホデビューが決まりました。
続きます。


過去(高校受験編) | 08:22:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
全てを出し切る難しさ
前回の続きです。

娘 「国語75点、数学70点、理科社会90点、英語60点。総合385点」

模試や過去問の結果と比較すると、20点ほど点を落とした。
特に国語と英語。ここまで悪いとは想像しなかった。
この2教科はこれまで8割を切ることなんてなかったのに。

やっぱり受験は水ものなんだ。これが入試。
本番で100%の力を発揮する。いつも通りの力を出す。
それは、思ってる以上に難しい事なのだと痛感した。

娘 「緊張の度合いが私立とは比べ物にならなかった」
私 「そんなに緊張した?」
娘 「うん。こんな緊張感、今迄経験したことがない」

私立は内申がそこそこあれば、当日コケても拾ってくれる。
親も本人も「ほぼ全入できる」という意識。その辺が公立とは違う。
滑り止めなので、どの子も確実に合格する高校を受ける。という事情もある。

私 「やれる事はやったんでしょう?」
娘 「うん。ちょこちょこミスったけど、力は出せたと思う」

落ち込むかと思いきや、娘の顔は意外とさばさば。
そして、ぽつりぽつりと今日一日の事を話してくれます。

学校の前には色んな塾から応援が来ていたこと。
娘も入試前、塾長から「応援行こうか?」と打診されたらしい。
ただ娘は「いや。1人で気持ちを落ち着かせたい」と丁重にお断りした。

しかもこの塾の応援団。道をふさぎ歩く生徒の邪魔だったとのこと。
娘 「あれは応援じゃないよ。どうせ塾の宣伝に来てるだけなんだから」
娘の意見は辛辣。まあね。私もそう感じた。

ユイちゃんが、ギリギリの時間で試験会場へ駆け込んできたこと。
「道路すごい混んでて遅刻するかと思った、って言ってた」
やっぱり学校のお達し通り、車での送迎は危険なんだな(^_^;)

教室へ着いたらまずトイレへ行って気持ちを落ち着かせようとしたこと。
でもいざ試験が始まる前になると、緊張のあまり
「口から心臓が飛び出しそうになった」こと(笑)

そして。試験が始まり最初は国語からのスタート。
問題を読んでも、文章が頭に入って来ない。上滑りする。手が止まる。
解答欄はなんとか埋めるものの、自信が全くない。

得意な国語が手応えなしで終わる。
動揺した気持ちのまま、次は数学。
問題をさっと仕分けし、わかる問題から埋めていくものの。
時間があと20分ほどになっても、解答用紙の半分近くが真っ白。

周りの子達は、順調に解答欄を埋めていく。
どうしよう。このままだと落ちてしまう。パニックになる。
この数学の時間、娘は過呼吸になったと言っていました。

娘 「目の前が真っ暗になって、もうダメかと思った」
私 「よく倒れなかったね」
娘 「本当だよね。でね。気が付いたら残り15分になっててね」
私 「うんうん」
娘 「15分前になったら、一旦全部解いた問題の見直しするって決めてたんだ。
   だから手つかずの問題は捨てて、見直しを始めたの」

娘の場合、おそらくここが分岐点になった。

娘 「そしたらね。見直ししたら、計算の思い違いしてる事に気がついたの!」
私 「で、どうしたの?」
娘 「全部、やり直して書き直した。でね!でね!その後ね」
私 「うん」
娘 「応用も、一問だけ解く事が出来たの!頭の中に解法がひらめいてきたの!」

だからか。数学70点は、娘にしては随分出来がいい。
どうしたんろう、と不思議に思ってたところでした。
しかも応用なんて、模試でも解けたことがなかったのに。

娘 「よく問題文読んだら、今迄散々やってきた問題だって気がついたの(*^_^*)」
私 「へえ。どんな問題だったの?」
娘 「図形!中間連結点の定理」

図形か。確かにこれまでゴリゴリやり尽くしてきた単元。
やった甲斐があったということか。逆にやってなければ絶対解けなかった。

娘 「もう時間が残ってないし、急いで書き直したし、最後もうギリギリだった」
私 「よく立て直せたね」
娘 「うん。自分でもびっくり。今迄、数学たくさん頑張って来て良かった~」

土壇場で得意な国語ではなく鬼門だった数学に救われた。
これは親子共々意外に感じた。まさか数学で。
本当に、いつどこで何が幸いするかわからない。

私 「その後はどうだったの」
娘 「理科社会は簡単だった。でも、きっとみんなも出来てそう」
確かに。自分が簡単な問題は、他人にとっても簡単だよね。

娘 「英語は時間配分間違えるし、リスニング聞き取りづらいしもう最悪だった」

国語でカウンターをくらい、数学で息を吹き返す。
その後の理科社会は、順調に推移し最後の英語。
ここで再度、打ちのめされる事となった。

出来が悪かったとはいうものの、どこか晴れ晴れとした表情。
今自分が出来る事をやりつくす。やりつくそうとした。
その強い気持ちは達成感の明暗を分ける。あとは結果を待つだけ。

なにはともあれ試験は終わった。
お疲れ様。今日は体も心もゆっくり休めて。

続きます。

過去(高校受験編) | 07:49:22 | トラックバック(0) | コメント(2)
自己採点の辛さ
前回の続きです。

見送った後は仕事へ行きました。
家で待ってても落ち着かない。気を紛らわせていたかった。
けど、仕事中もふとした拍子に思い出す。

今は数学の時間。解けてるかな。大丈夫かな。
お弁当を食べてる時間だ。好物ばかり入れたの気がついたかな。
もう終わった頃。1人で帰って来てるのかな。

夕方5時を過ぎた頃、私の携帯へ娘から電話がかかってきました。

娘 「終わったよ。今家着いた」
私 「そっか。お疲れ様。今日はゆっくり休んで」
娘 「うん。ありがと。でも採点しなくちゃ。夕刊買ってきてもらっていい?」

公立高校選抜試験の解答は、その日の夕刊に速報で出ます。
テレビでも速報を流すけど、この時間はもう終わってる。
ウチは新聞を取っていなかった。なので、私が会社帰りに購入することにしました。

娘 「あのねママ」
私 「うん」
娘 「試験ね。国語と英語で失敗しちゃった。難しかった」

言葉を失いました。国英は娘の得点源教科。
本当はこの2教科で9割押さえたかった。どれくらい落ち込んだのか。
総合得点にかなり影響を与えてしまうのは確実。

得点源教科が一番最初に来る。それは両刃の剣。
得意故に失敗した時のダメージは大きい。
国語で勢いをつけ、苦手な数学へ挑むいつもの王道パターンが崩れた。

私 「そっか。でもまだ採点してないからわかんないよ」
とは言うものの。
これまで色んなテストを自己採点をしてきて、実点と大きく剥離する事はなかった。
おそらく手応え通りの結果になるに違いない。

娘 「うん。詳しい内容は帰ってきてから話すね」

電話の声を聞く限りは、泣いたり落ち込んる感じでもない。
難しかったけど自分の持てる力は出し切った。そんな様子だった。

この場は一旦電話を切りました。
でも私はもう仕事どころじゃない。早く帰りたい。
6時の定時になり、コンビニで夕刊を買い急いで家へ戻ります。

家へ着くと、娘はまだ制服を着たまま解答を書き込んでいます。

私 「はい。夕刊買ってきたよ」
娘 「ありがとう。とりあえず、採点だけ終わらせちゃうね」
私 「わかった。晩御飯作ってるね。何がいい?好きなのにするよ」

今日は娘の好きなメニューにしよう。そう決めてた。
娘 「え~本当に?じゃあね…オムライス。あ、やっぱチャーハンがいい」
私 「わかった。チャーハンにするね」

そして。
娘 「ママ。今まで本当にありがとう」

今どんな気持ちなのか。
出来が悪かった自分の結果と向き合う。
それは、目を背けたくなるとても辛い事。

今年の難易度はどうだったんだろう。
国語英語が難化して数学が普通だったら、文系頭の娘にとってかなりキツイ。
逆に国数英全てが難化したのなら、まだ望みがある。

夕刊を片手に、真剣な顔で採点を進める娘。
一時間ほど経って、ようやく全教科の採点が終わりました。

娘 「終わった。全部点数出た」

続きます。

過去(高校受験編) | 08:10:15 | トラックバック(0) | コメント(2)
運命を分ける日
前回の続きです。

いよいよ公立入試当日。
私も娘も、普段より早く目が覚めてしまった。

いつものように朝ごはんを食べ、いつものように身支度を済ませます。
家を出る前に再度、持ち物の確認。受験票、時計、筆記用具、財布。
そして親友がメッセージを書いてくれた「キットカット」を鞄へ大切にしまい込む。

お弁当には、娘の大好きなものばかりを詰めて渡した。
卵焼き。エビフライ。きんぴら。枝豆。プチトマト。チーズハムカツ。
今の私には、これくらいの事しかできない(´・・`)

自宅最寄りの駅までは、ダンナが車で送迎してくれました。
ダンナ「大丈夫だ!いつものように頑張れ
そう言って、見送ってくれた。

私は高校の最寄駅まで一緒について行きました。
万が一交通機関の遅延等があっても、すぐ対応できるようにしたかった。
最寄駅まで、私も娘もほとんど無言でした。

緊張してる娘へ、どんな言葉をかけていいかわからない。
なんて言ってあげたらいいだろう。なんて言ってほしいだろう。
そんな事を考えてるうちに駅へ着いてしまった。

当初、最寄駅からは娘1人で学校へ向かう予定でした。
私は改札でバイバイするつもりだった。

けど降りて改札へ向かう途中、人混みの中を歩きながら。
なぜか、突然不安になり思わず娘へ言ってしまった。
私 「1人で大丈夫?ママも学校まで一緒に行こうか」

本当は「学校まで一緒に行こう」と言いたかった。そして。
どこか、心の奥底で娘が「うん。一緒に行ってくれると嬉しいな」
と言ってくれるのを期待していた。

娘はちょっと驚いた顔をしましたが、すぐに
娘 「ここまででいいよ。ありがとう。頑張るね」

そう言って、笑いながら手を振り改札を出て行ってしまった。
思わず「大丈夫だよ!」と叫んでしまう。
娘はこの言葉に応えるように、再び小さく笑って手を振ってくれた。

その後はもう振り向く事はなかった。
まっすぐ前を見つめ歩いて行く。
たくさんの人の中に紛れ、遠く小さくなり段々姿が見えなくなる。

後ろ姿を見送りその背中が見えなくなった瞬間、涙で視界がぼやけた。

頑張ってるのはウチの子だけじゃない。
みんな色んなものを犠牲にしてきてる。
それでも娘には「合格」という形で報われてほしかった。

手の皮が擦りむけるまで鉛筆を握ってきた。
お手入れの時間が勿体ないと長かった髪もばっさり切った。
それもこれもみな、今日という日のため。

知識が、判断力が、応用力が、精神力が問われる勝負。
今迄培ってきた、自分自身の全てを試される。
ここから先は1人きり。

自分の力で運命を切り開ける機会はそれほど多くない。
今日はその力を試すことができる、数少ないチャンス。
最後の瞬間まで無事に走り抜けてくれる事。それだけを。

私はただ祈るだけ。

続きます。



過去(高校受験編) | 07:30:52 | トラックバック(0) | コメント(0)
みんな賢く見える
前回の続きです。

公立入試まであとわずか。

数学は苦手だけど、暗記ものは得意な娘。
理科社会で満点を狙い、苦手な数学をカバーするつもりだった。
国英は得意教科だけど、記述の採点次第でかなり変動する。

正直「記述で点数がばらつくよな。ちょっと読めない」と思った。
特に、娘が受けるP校は国語の記述採点が厳しいと聞いている。
ちゃんとした日本語、どんぴしゃりの解答でなければ容赦なく切り捨てられる。

娘は模試や定期テストの結果を見る限りは、出来がいい。
ただ、よくよく記述採点の中身を見てみると

「どうしてこれが正解なの?採点基準がよくわかんないな」
と思う事がしばしあった。

私 「なんかさ。模試の採点甘くない?」
娘 「うん。塾長、採点甘いよ。だから学生バイトさんにも採点してもらってる」

あ~やっぱりね。
模試の点数。特に国英に関しては、インフレ気味だと思ってた方がよさそう。

そして、課題だった数学はというと。
残念な事に、最後まで成績が伸びませんでした。
そこで、塾長と娘は作戦を立てた。

・とにかく基礎を取りこぼさない。確実に取れる点を取りにいこう
・時間があったら、見直しを必ずする。難問チャレンジはその後
これだけでも、最低6割は得点できる。

P校を受験する子達の平均得点率は8割。
ボーダーは難易度や内申によってまちまち。
過去の実績を見る限りは、娘の内申だと7割が下限。

直前に数年分の過去問へ挑戦してみた。
国社理で9割。数学で6割。英語で8割。総合だと平均8割超。
この調子で本番も望めたら、合格圏内に入るはず。

数学という爆弾を抱えながらも、やれる事は全てやり尽くした。
あとは当日5枚の解答用紙に、自分の力をぶつけてくるだけ。

前日、娘は同じ高校を受けるユイちゃんと下見へ行きました。
高校までは、地下鉄とバスを乗り継ぎ1時間近くかかる。

本当なら、受験生は夏休みに、志望する高校の学校説明会へ行く。
でも娘は部活で忙しく、学校説明会を欠席してしまった。
その為、この下見で初めてP高校へ足を踏み入れた。

中学校からは
「入試当日は、極力公共交通機関を使い試験会場へ行くように」
とお達しが出た。理由は
「例年、遅刻する生徒のほとんどが親御さんの送迎によるもの」だからだそう。

なので、ウチは学校まで送迎するつもりはありませんでした。
ただ、試験当日ユイちゃんは学校まで親御さんの送迎で来るとの話。
ということは。当日娘は1人で学校まで行く事になる。

これまで交通機関を1人で利用した経験が少ない娘。
しかも朝のラッシュは未経験。
かなり心配だったので、最寄駅までは一緒について行くつもりでした。

下見を終え、帰ってきた娘。こんな感想をもらした。
娘 「なんかね。みんな、頭良さそうなの~(>_<)緊張する」
私 「それは自分だけじゃなくて、他の人も思ってる事だよ」

試験会場は、今まで会った事も話した事もない子ばかり。
学校と違い、どの子がどの位の実力を持つのかわからない。
そんな中だからこそ、最後の最後は気持ちの強さがものを言う。

前日は早目に勉強を切り上げ、床に入ってもらいました。
娘は早々に寝たのに、私はドキドキして寝付けなかった。
やばいやばい。寝坊しないようにしなくちゃ。

続きます。

過去(高校受験編) | 09:02:27 | トラックバック(0) | コメント(0)
最後の追い込み
前回の続きです。

とにかく私立は合格した。
この時点でとりあえず「高校生」になれる事だけは確定した。
これであとは公立を残すのみ。残り2週間。

入試直前期は、私も勉強のお手伝いをしました。
といっても大した事はしてない。主に理科社会の問題を出すだけ。

娘 「ママ。教科書の好きな所から問題出して。順番とかどうでもいいから」
はいはい。入試は順番通りの出題じゃないからね。ランダムに行きますよ。
国数英と違い、理社は直前の追い込みがきく教科(ウチの地域では)

娘 「理社は、教科書丸暗記する勢いで勉強しろって言われた」

と、塾長に言われた通り、教科書をほぼ丸暗記していた。
どのページのどんな問いを振っても、答えに詰まる事はない。
ノートも教科書も書き込みと手垢で真っ黒。
問題を出しながら、私は小学6年の頃を思い出した。

私 「あなた昔さ。アジアっていう国があると思ってた。って言ってたよね(笑)」
娘 「あった。いや~あの頃の私、本当にアホだった(-_-)」

「外国」という国があるとすら思ってた娘。成長したなあ。
よくここまで覚えたよ。そんな事を考えていたら

娘 「なんかね。ニュースとかで、知ってる言葉が出るとテンション上がる」
私 「そうだね。今迄ぼんやり聞いてた事もわかってきたんじゃない?」
娘 「そうなの!勉強した知識と繋がる、あの瞬間がとても嬉しい」

この言葉を聞いて私も嬉しくなった。
そうなんだ。学校。特に義務教育期間に教わる事で無駄な事なんかない。
この先も、何かと役に立つことがたくさん出てくる。

この時期になると、親ももう落ち着かない。
自分の時より緊張する。風邪ひかないようにしなくちゃ。
人混みに行ってインフルもらってこないようにしなくちゃ。

食べ物は消化吸収のいいものにしよう。
娘は勿論、私達もとにかく体調管理に気を配る毎日。
そんなある日の事。娘の右手親指の付け根が赤くなってるのを発見。

私 「その手、どうしたの?怪我?」
娘 「ううん。ちょっと擦り剥けたの」
見せてくれた手に、思わず息をのんだ。

IMG_20170201_195912.jpg

私 「もしかしてずっと鉛筆握ってたから?いつからこうなった?」
娘 「わかんない。気が付いたらこうなってた」
私 「これ、痛いでしょ(´・ω・`)」
娘 「痛くないよ。痒いの。なんかね、固くなって痒いんだ(^-^)」

絶句してしまった。
もういい。もういいよ。ここまでしなくちゃダメ?
思わずそう言いそうになった。

ダンナもこの手を見て顔を曇らせた。そして。
ダンナ「高校受験が全てじゃないんだ。余り根を詰めるな」
私  「そうだよ。行く高校がないわけじゃないんだから。無理しないで」

この私達の言葉に、娘はちょっぴり憤慨。
娘 「ねえ。なんで2人とも、私が落ちるのを前提で話をするわけ!?」
思わず笑ってしまった。

ごめん。頑張りに水を差すわけじゃないんだ。
こんなに頑張ってるんだから合格してほしい。
ううん。合格するって信じてる。けどね。万が一ってこともある。

泣いてる顔を。悲しむ顔を見たくない。親ってそんなもんなんだよ。
この頃の私は、もう合格発表の日のシュミレーションまでしていた。
合格発表は、娘と一緒に行きたかったけど断られてしまった。

娘 「ダメだったら1人で泣いて帰って来るから、合格発表の日はついてこないで(`・ω・´)」

って言われたけどさ。無理無理。
いいもん。こっそり後をつけよう。家で待ってなんかいられない。
見つからないよう、後ろから見守ってるんだ。

合格だったら、その時はすぐ声をかけよう。「おめでとう!」って。
ダメだった時はどうしよう。泣いてしまったらどうすればいい。
その時は、声をかけずに黙って帰って来た方がいいのかな。

なんか私の方が泣いてしまいそう。いや。絶対泣く。
親の私がしっかりしなくてどうするんだ(>_<)
でも泣くだけ泣いたら、後は普段通りの顔で迎える準備をしよう。

良くてもダメでも、晩御飯は娘の大好きなオムライスにするんだ。
ずっと欲しがってたスマホも買いに行こう。キッズケータイはもう卒業。
鞄や靴や文房具も、好きなものを買いそろえよう。

まだ試験も終わってないのに、妄想ばかりが膨らんでいました。
続きます。

過去(高校受験編) | 08:01:23 | トラックバック(0) | コメント(2)
特待のプレッシャー
前回の続きです。

1月下旬。公立高校の倍率が発表されました。
予想通り高目の倍率。それでも昨年より下がって1.5倍。
3人に2人は合格する。そう考えると確率は悪くない。

私達が住む地域は、公立は1校、私立は2校まで出願できます。
そして、私立より公立が優勢の土地柄。
ほとんどの子が公立を第一志望とし、私立は滑り止めの位置づけです。

どの私立高校も、当日の試験結果が上位の子へ「特待」の恩恵をつけてくれます。
学校により条件は異なりますが、大まかにはこのような感じ。

上位10%の層はA特待で、入学金学費全額免除。
上位20%の層はB特待で、入学金学費半額免除。

娘 「私立は、特待取れるように頑張るよ」
私 「そこは気にしない。あくまで公立が本番だからさ」

TOP校を受けるような子は、私立A特待の切符を持って公立の試験へ挑む。
いわば「お守り代わり」のようなものです。
娘も「A特待は無理でも、せめてB特待は取りたいな」と言っていた。

そうして2月。公立に先駆け、まずは私立の試験がスタートします。
娘が受けた私立は2校。
最初はM校特進コース(偏差値58)
次はR校特進コース(偏差値62)

いざ試験が終わり、自己採点をしてみると。
M校は約8割、R校は6割5分の手応えでした。
R校は、主にTOP校を受ける子達の滑り止め高校。問題も難しかったようです。

娘 「もうね。社会とか鬼畜だった教科書に載ってないような問題バンバン出てきた」

合格発表の結果にも、この手応えは当てはまりました。
まあまあの出来だったM校の結果はB特待。
全然出来なかったR校は、合格したものの特待は取れなかった。

私からすると、これだけでも十分立派だと思いました。だって
「学費は半分でいいですよ。是非来て下さいね」
と学校が入学を許可してくれたんだから。

誰のちからでもない、自分のちからで勝ち取った恩恵。
もっと喜んでもいいのに。そう言いましたが、娘の顔は浮かない。
何故なら。

娘 「同じP校受けるユイちゃんは、R校のB特待取れたんだって」

娘と同じ高校を受ける子は全部で7人。
その中の1人ユイちゃんは、娘が取れなかった高校の特待を取れたとの事。

ライバルの良い結果を聞き、少しあせった娘。
しかもユイちゃんは塾へ行ってない。通信教育すら受けてない。
家庭の「自学」のみで、オール5を取り生徒会長までこなした才女。

娘 「ユイちゃん、特別なテキストや問題集を持ってなかった。
   私立の試験の時も、まとめのノートだけで勉強してた」

自分と比較すると、シンプルな学習の仕方。でも結果はちゃんと出せる。
私 「すごいよ。私、塾に行かずにP校受けれたかな。きっと無理だったかも」

人は人。自分は自分。その人にとって合うやり方でいい。
そう思ってはいても、やはり気になるようです。ただ。
娘とユイちゃんの大きな違い。それは「自主性」

塾や通信教育といったツールを使っていなかったユイちゃん。
自分で計画を立て、受験に焦点をあて自分でペースを作ってきた。
娘もコツコツ頑張りはするものの、このペースに関しては塾任せだった。

今週は3年前の過去問を来週は2年前の過去問をやりましょう。
数学は伸び悩んでるから、一旦寝かせて別教科の穴を埋めましょう。
理科社会は、テキストを卒業して教科書を読みこんでいきましょう。

このような感じでペースを作ってもらっていた。
続きます。

過去(高校受験編) | 07:40:25 | トラックバック(0) | コメント(0)
15才の覚悟
前回の続きです。

12月に入り、一気に追い込みを始めた娘。
この頃から、娘の生活は食事と入浴以外の時間はずっと勉強漬け。

「元旦くらいは勉強休むんだ。息が詰まっちゃう」
お正月前、最初はこう言ってたものの。
いざ元日になり、初詣をすませ家に帰るとそわそわ。

「やっぱ落ち着かない。勉強するね」
早々に自室へ籠り勉強を始めてしまった。

受験生にとって、日曜もクリスマスも正月も関係ない。
イベントを楽しむ余裕なんてない。きっとみんなそうなんだろうな。
不安な気持ちを勉強することで解消する。

受験勉強も仕上げの時期に入り、1月に最後の模試を迎えます。
結果は微妙。前回より若干上向いたものの、相変わらず数学が足を引っ張る。
この時点での判定は79%。


同じ高校を受ける子達の中では、真ん中くらいの位置。
ただ、模試を受けない子もいる。この位置はあくまで暫定的なもの。
そして試験は水もの。当日どうなるかは、誰にもわからない。

娘 「今迄にない位勉強してるんだけど、それでも成績って伸びないね」
私 「今の時期は皆、必死だからね。しょうがないよ」
娘 「本当はね。もうちょっと上の方を狙ってた。でも全然だね」

娘が追いこみをかけるように、他の子達も馬力をあげてくる。
自分自身の学力は向上しても、相対的な学力は思うように伸びない。
うーん。どうしたものか。なんと言って励ませばいいのか。

困って口ごもる私を見て、娘が言ってきます。

娘 「心配しないで。大丈夫だよ。もう泣いたりしない」
私 「たくましくなったんだね」
娘 「泣いても、勉強出来るようになるわけじゃないからね(^-^)」

思わず娘の顔を見つめてしまいました。
秋頃までは、どこかふわふわした顔つきだった娘の顔。
でも今は立派な「受験生」の顔になっていた。

受験って、学力や合否以外の大切なものを育ててくれるんだな。
親の私がうろたえてどうするんだ。もっとシャンとしなきゃ。
そう思った。

成績が足踏みする中、出願の締め切りが迫ってきます。
娘は迷いながらも、ずっと行きたかったP高校を志願しました。
志望校の倍率は、この地域としては例年高い部類。

昨年は、300人ほどの定員に500人ほどが出願しています。
おそらく今年もその位の競争率になると予想されました。

同じような内申、同じような学力、同じように努力をする。
そんな子達の集まり。ボーダー付近は1点が命取りになる。

どの子もみな
「落ちるかもしれない」という恐怖を胸に。それでも
「だからこそ挑戦するんだ」という覚悟を決め、勝負を挑んでくる。

娘もその「覚悟」を決めました。
出願前に、かしこまった顔でこう言われます。

娘 「私、P高校へ行きたい。ううん、絶対に行きます!」

ダンナ「俺達は見守る事とお金を出す事しかできない。応援してる。頑張れよ」
私 「自分が行きたい高校へ行くのが一番だよ。でも無理しないでね」
娘 「・・・もし、試験失敗して私立になったらごめんね。お金いっぱいかかちゃう」

ここでダンナが諭すように一言。
「お前はそんな事気にしなくていい。頑張った結果、落ちるのは仕方ない。
 どうせやるなら、難しい方に挑戦してほしいとパパは思ってる」 

高い山は険しく果てしなく遠い。それでも。
歯を食いしばり苦労して登り切った、その先に見える景色。
そこにはきっと、今迄とは違う世界がひろがってる。

どうか。どうか自分の手でその世界を手に入れてほしい。
私達夫婦はそう願いました。

続きます。

過去(高校受験編) | 08:44:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
落ち込む成績
娘は吹奏楽部に所属していました。
吹奏楽部の引退は遅い。10月になってやっと解放される。

貴重な中学3年の夏休み。
運動部の子達は引退して受験勉強に取り組んでる。
なのに部活へ時間を取られる。勉強がはかどらない。

中学3年の8月に受けた模試は、微妙な結果でした。
ものすごく悪いわけではない。判定は98%で踏みとどまった。
けど、春の模試から順位も点数も落ちた。

イヤな感じでした。
このままズルズル落ちていきそう。
そんな予兆を感じさせる内容だった。

10月になってやっと引退。
けど引退しても、今度はスイッチが中々入らない。
私の目からみてもだらだら漫然と勉強してたのがわかりました。

案の定、2学期の中間テストはボロボロ。
いつもと比較して、総合で40点以上も点数を落とした。
この点数だと、内申が下がってしまう。それくらいひどかった。

対する他の子達は、夏休み期間にグンと力をつけてくる。
自分の立ち位置は変わらなくても、周りが成績を上げる。

志望校を決める材料となる、秋以降のテスト。
どのテストも思うような成績が取れませんでした。
テストが戻ってくるたび、泣いて目を真っ赤にして帰ってきた。

11月に受けた模試など、これまでからすると考えられない結果。
普段私は、学校の勉強やテストの結果に対して口出しをしません。
(でも心の中では、すっごい心配してるけどね)

けど、さすがにこの時は驚いて聞いてしまった。

私 「調子が良くなかった?難しかった?」
娘 「調子もテストも普通だった。・・・・これが私の今の実力なんだね」
余りの悪さに、泣く事すらできない様子だった。

特に鬼門だったのはやっぱり数学。
どの教科より一番時間をさいて、取り組んでいた。それでも成績が伸びない。
基礎はなんとかできても、応用となると手も足も出ない。

しかも、この時点で成績は、判定が68%まで落ちてしまった。
20%30%からの68%ならまだいい。でも娘は98%からの68%。

このまま成績が下がり続けたらどうしよう。
志望校のランクを下げた方がいいんだろうか。
弱気な発言まで飛び出すようになってきた。

そんな中、中学校で行われた3者面談。
仮内申を聞くのと、志望校の意思確認の為に行きました。
定期テストの結果はとても悪かった。特に国語と数学。

これまでの評定は「5」だけど、それはテストの点が9割超えてたから。
今回、娘の結果は悪かった。特に国語は70点。これで「5」は厳しい。
この時点で親子共々、国語の内申は下がる。と覚悟していました。

そうして担任の先生から見せてもらった資料。
目を疑いました。評定はどの教科も落ちていなかった。

見た瞬間、思わず言ってしまいました。
私 「国語は4だと思ってました」

娘の学校は、到達度85%で「5」が取れる仕組み。
けど、よくよく見ると国語の到達度は85%。本当にギリギリ。
これはもう限りなく「4」に近い「5」だった。

すると担任の先生は、こう言ってくれます。
先生「テストだけで成績をつけるわけじゃないですから。でも確かに、ギリギリですね。
   きっと、普段一生懸命頑張ってるからじゃないのかな。よかったね」

私 「先生、おまけしてくれたんですね」
先生「まあ、一回のテストの結果だけで判断はしないですからね。
   ただ、次の期末は頑張らないと下がるでしょう。気を引き締めて下さい」

入試は一発勝負。
こういう気遣いは、もしかすると本人の為にならないのかもしれない。
でも嬉しかった。素直に嬉しかった。

これはきっと先生からのエール。
頑張れよ。一度くらい結果が悪くても諦めるなよ。踏ん張れよ。
そう言われてるようだった。

娘も同じ事を感じ取ったようです。
面談が終わった後、力強くこう言ってきました。
「私、次の期末は絶対100点取る。絶対に」

そうだよ。泣いてる場合じゃない。落ち込んでる場合でもない。
今はがむしゃらに頑張るしかない。

背中を後押ししてくれた先生の為にも。
そして何より自分の為に。

続きます。

過去(高校受験編) | 08:58:48 | トラックバック(0) | コメント(0)
てこずる数学
前回の続きです。

成績不振の原因は、数学の成績の落ち込みでした。
定期テストは点が取れても、模試はさっぱり。
ひどい時は、半分しか取れない時もあった。

中学3年まで潜在化してた「曖昧」な部分。
それがここにきて、一気に噴き出した。

だけど。苦手を克服したんじゃなかったのか?
不思議に思い聞きました。すると。

娘 「なんか・・・応用が全然ダメなの。解き方が全然わからない」
私 「初見の問題がダメってこと?」
娘 「うーん。後で答え見たら、ああそうなのか!ってわかるんだけど。でも解けない」

塾に通ってたのと、定期テストの出来が良かったので安心してました。
けど甘かった。与えられた問題を機械的に解いてるだけだった。
本質的な部分では、克服できていなかった。

それともうひとつ。
学校と塾の「やり方の違い」。
これが、娘を混乱させた。

塾長「なんで、学校はこんな面倒くさいやり方しか教えないんだ?」
と、効率的な解法を教えてくれる。
ただ理解が浅く、演習が足りなかった娘にとってこれは足枷に。

「迷っちゃうんだ。学校と塾のやり方と」
いざ問題を目の前にすると、考えるより先に迷う。
私はこれを聞いて、小学生の頃の「はじき」を思い出した。

ちゃんと意味を考えず、楽な方へ流れる。
問題文を読んで、考えればわかるものをショートカットしてしまう。
そこに「答えを導きだすための思考」はない。

加えて、やはり計算能力がまだまだ未熟だった。
符号の間違い、約分忘れ、繰り上がり下がり計算の間違い。
解き方がわかっても、最後はこの計算でミスをする。

私も常々「計算は大事だよ。早く正確に出来るようになっとかないと」
と言ってはいたものの。親の言葉などスルースルー。

「お願い。一日10分でいいから、計算問題やって」
と、塾長から指導され、やっと計算の演習を始めるようになりました。
遅い。本人も塾長も気がつくのが遅いんだよ。

焦った娘。
学校の先生や塾の先生に、数学が得意になるコツを色々聞き回ります。
けど答えはみな一緒。
「とにかく、たくさん解いて解いて問題に慣れる事」

私も聞かれました。
「どうしたら、数学が得意になるの?」と。

私は子供の頃、珠算を習っていたので計算だけは早かった。
だけどあくまで計算だけ。「数学」は得意でも不得意でもなかった。
なので、娘へ適切なアドバイスができなかった。

先生達が言うように、娘は演習をたくさんこなしてきました。
でも、やってもやっても思うように成績が伸びない。
逆にやればやるほど、わからなくなってきた。とすら言いだした。

ただ。克服する方法は、ダンナのアドバイスにヒントがありました。
中学時代数学が得意だったダンナの答えは正反対だった。
「理解しないとダメ。ちゃんと考えないと、いくらやっても時間の無駄だよ」

これは私の感想ですが、結論から言うとダンナの意見が正しかった。
高校受験までなら、理解が浅くても物量作戦でなんとかしのげる。
けど大学受験は、この方式だときっと壁にぶち当たるだろうな。と思った。

どちらにせよ受験までの日にちはそれほど残ってない。
現時点で、これまでのやり方を変えても混乱するだけ。
そう判断し、とにかく物量作戦で進む事になりました。解いて解いて解きまくる。

他の教科の何倍もの時間を費やし、数学に取り組んでました。

続きます。

過去(高校受験編) | 09:56:46 | トラックバック(0) | コメント(4)
先輩の背中を見て
前回の続きです。

小学6年から、塾へ通い始めた娘。
週1回、国語算数のみだったけど、成果はすぐに出ました。
テストは、どの教科も軒並み9割以上の点数を取れるようになった。

これまでの通信簿は「できる」と「よくできる」が半々くらい。
塾へ通い出してからは、体育以外ほとんど「よくできる」をもらってきた。

娘が通った塾は個別指導方式。
先生は塾長と、バイトの学生二人。
この3人で、およそ30人いる塾生の面倒をみていた。

当時小学生は、30人いる塾生のうち娘を含め3人。
小学生の在籍数は少なかった。

時間割りは、小学生は夕方・中学生は夜の時間帯。
と、ざっくり別れていた。でも実際は。
小学生も中学生も一緒の教室・隣り合わせで勉強する機会が多かった。

勉強もさることながら、娘に大きな影響を与えたのは、この中学生の存在。
受験前の追い込み期にもなると、3年生の子達の顔つきが険しくなる。
気迫が真剣さが、ガラッと変わる。小学校の教室とは全く異なる雰囲気。

無駄話する事もなくみな黙々と鉛筆を動かす。
もっともっと時間が欲しい。一分一秒が惜しいと言う子。
思うように勉強が進まず、泣きだしてしまう子。

たくさん書き込みされてるノートや教科書の威力。
勉強を始めた時の、凄まじい集中力。
そんな先輩達の背中は、どんな言葉より雄弁に語る。

受験ってこんなに大変なんだ。
今やってる勉強なんて遊んでるようなもの。
中学生になったら、たくさん頑張らないとついていけない。

「みんな怖かった。私もあんなふうに勉強する時が来るんだね」

まだ小学生だった娘ですが、色々感じ取ったようです。
むしろ、勉強を教わるよりよりこちらの方が効果的だった。
と、私は今でも思ってます。

中学に上がり、塾をそのまま継続した娘。
塾も、定期テスト対策や内申対策をばっちりしてくれた。
結果もそれなりに出た。家庭学習の習慣もついてきました。

幸い(?)な事に、娘が通う中学校は内申の付け方が甘かった。
塾で対策した事もあり、内申はそこそこ取れました。

そして中学1年の秋口。
娘は、どうしても行きたい高校(P校とします)を見つけた。
P校は、オール5に近い内申の子達が集まる高校。

娘の内申は悪くはない。けどP校を受けるとなると話は別。
内申点のアドバンテージはほぼない。
むしろやっと土俵に立てるレベル。

あとは、当日どれだけ得点できるかにかかっていた。
でもこの時点で娘の実力は、かなり厳しい。
偏差値、いわゆる得点力が全然足りなかった。

最初は合格判定50%からのスタート。
模試の結果を見て肩を落とす。それでもコツコツコツコツ頑張った。
段々力をつけてきて、中学3年春の段階では、判定が98%までになった。

けど。この結果に油断したのか。
これをピークに成績はみるみる下降してしまった。
なまじ、早い段階でいい結果が出るとロクな事がない。そう思いました。

続きます。



過去(高校受験編) | 10:33:03 | トラックバック(0) | コメント(0)
「はじき」の効用
前回の続きです。

私は塾などないド田舎で育ちました。自分自身に通塾の経験が無い。
自分は「教科書読んで問題集を解く」という勉強方法しか知らない。
なので塾がどんな事をする場所なのか、全然ピンとこなかった。

でもまあ本人が通いたいというなら、まだ早い気もするけどいいでしょう。
娘の性格を考えると、きちんと真面目にやるだろう。とも思いました。
ただひとつだけ心配な材料を除いて。

娘は家とは違い、ひとたび外へ出ると引っ込み思案になる。
学校の先生にでさえ、質問するのが恥ずかしいと言っていた。
いざ塾へ通うようになって、ちゃんと先生に質問できるのか?

私 「塾通うのはいいけどさ。ちゃんと自分から先生へ声かけられるのかい」
娘 「それは大丈夫!だって、塾はお金払って通うところだもん」

学校と違って、お金を払って通う塾の生徒はいわば「お客さん」。
生活力が乏しいと思ってたけど、その辺の事は意外とわかるんだ。
ちゃっかりしてるなあ。

早速、娘と一緒に近所の塾を見て回ります。
候補は何か所かありましたが、最後は本人に選ばせました。
なんのかんの言っても通うのは娘。
相性のいい先生に教えてもらうのが一番だと思ったので。

娘が選んだのはいわゆる大手ではない個人経営の小さな塾。
お世辞にも立派な施設ではなかった。今にも壊れそうなボロさ。
しかも塾長は長髪&ジーンズという、ちょい不良オヤジ風ないでたち。

正直、「私だったら選ばない塾なんだけどなあ」
と思ったけど、娘は塾長と面談して一発で気に入った模様。
大人が気に入る先生と、子供が気に入る先生って一致しないものなのね(。-_-。)

「私、ここがいい。あの塾長さんに教えてもらいたい」

という、娘の一声で決定。そうして塾生活がスタートします。
コースは国語算数の2教科。週1回60分。
これ位だったら、通うのも負担にならないしいいかな。と思いました。

最初はおっかなびっくりだった娘も、次第に「楽しい」と言いながら通うようになった。
課題だった算数も、集中的に取り組み穴が埋まっていった。

「なんか算数が楽しくなってきた」
とまで言うようになった。よかった。これで苦手が克服できた。
と思われた、通い始めてほどなくした頃。娘からこう聞かれました。

娘 「ねえママ。はじきって知ってる?」
私 「はじき?おはじきの事?」
娘 「違うよ~。あのね、距離の計算でね。すっごい簡単なやり方教えてもらったの」

私はこの時初めて聞きました。どうやら距離を求める公式のようです。

はじき

最初見た時の感想は「なんじゃこれ」でした。
私はこんなの習ってない。今時はこうやって求めるのが主流なの?
聞くと、学校ではなく塾で教えてもらったとの話。

ふーん。学校と塾では、同じ問題でもアプローチの仕方が違うんだ。
正直、私はこの公式をあてはめる方が難しく感じました。
私だったら問題文読んで、頭の中でイメージする方がやりやすい。
けど娘は違うようだった。

一抹の不安を感じました。学校では教えないやり方。
まだまだ、計算能力や理解が浅いうちにこういった公式は有効なのだろうか?と。
この不安は後々、的中することとなります。

続きます。



過去(高校受験編) | 08:48:13 | トラックバック(0) | コメント(4)
塾通いがスタートする
前回の続きです。

娘からヒアリングしていくにつれわかってきた事。

どうも小数・分数・整数。この辺りの計算が素早くできない。
演習不足だった。0.1は10分の1で10%で1割だ。
という基本的な事すら、瞬時に判断できない。

私「0.25を分数にしたらいくつ?」
娘「・・・・・・・・・・・・・(たっぷり考えて)4分の1?」
私「ほんとに?」
娘「あ!5分の1?」最初の答えでいいんだよ。自信もって。

私「100000は100がいくつ合わさったもの?」
娘「・・・・・・暗算しなくちゃだめ?」

加えて時間や距離や重さの単位。
これに関しては、かなりあやふやだった。
じっくり考えないと出てこない。

10mmが1㎝・100㎝が1m・1000mが1㎞。
こういった基礎部分が「反射」で出てこない。
どんな難しい問題も、最後の最後は計算能力が鍵。

四則演算はもちろん、分数・小数・整数の計算・変換。
これがスピーディにできないと、いざ思考力を問われる問題を前にした時。
計算に時間をとられ、考える時間が奪われる。
しかもあせって計算するので、ミスも多発する。

でもまあ計算はまだいい。
こんなもの、数をこなせばそのうち九九のように反射で出るようになる。
問題は、ほとんど理解できていない単元。

どの教科もだけど、特に数学は積み重ねが大事な教科。
どこかひとつでもほころびが出ると、後々になって支障が出てくる。
というか、小学生の段階でこれだと先が思いやられる。

私 「わからなかったらさ。わかるまでちゃんと先生に聞かなくちゃ」
娘 「でも授業中に聞くの恥ずかしい」
私 「放課後でもいいじゃん。休み時間とかさ」
娘 「先生、忙しいんだ。なんか声かけるの悪くて・・・・」

いや。そうじゃなくて。先生はそれが仕事なんだからさ。
何をくだらない遠慮なんかしてるんだ。
一言「時間ある時に教えて下さい」ってお願いすればいい話じゃん。

と、思ったもののこの当時の娘は、かなり引っ込み思案な性格。
授業中に「先生!ここわかりません」なんて、絶対言えなさそう。
けどそれじゃ困るんだよ。ちゃんと自分で意思表示できるようにならないと。

私 「どうするの。今わからないままにしておくと、この先もっとわからなくなるよ」
娘 「パパやママに教えてもらおうかな」
私 「あのね。確かに、小学校の算数くらいならパパやママでもわかるけど」
娘 「うん」
私 「あなたにわかりやすく教えるのは、ちょっと難しい」

そうなんだ。実際、自分でやってしみじみ感じた。
「教える」って、「わかりやすく教える」って本当に難しい。
しかも私は感覚派。物事を理屈で説明するのが得意ではない。

長嶋茂雄さんじゃないけど
「球スッと来る。ガッとしてバァッといってガーンと打つんだ」

さすがにここまでじゃない(と自分では思ってるけど)
でも限りなく、これに近い感覚でしか教える事が出来ない私。

試しに、私から苦手だという図形や割合の部分の説明をしてみた。
けど娘の反応は鈍い。「うん。わかった」とは言うものの。
どこか「腑に落ちていない」。そんな感じだった。

私 「ぶっちゃけさ。ママの説明でわかったの?どうよ」
娘 「・・・ごめん。よくわかんなかった」
私 「でしょ。問題が解けても、教えるのは別な話なんだよね。
    やっぱそこは、プロに聞くのが一番だと思うよ」

本人かなり危機感を持ったようです。
学校の先生に聞きたい。でも聞きづらい。どうしようどうしよう。
考えた末。そんな娘が下した決断はこうでした。

娘 「ママ。このままだと、私バカになる。お願い。塾に通わせて」

続きます。

過去(高校受験編) | 08:51:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
小学時代を振り返り
「私ね、アジアって国があると思ってた~」

娘がこう言ってきたのは、小学6年の時です。
これを聞いた時、私はかなり本気で心配しました。

「この子、無事に高校へ入る事ができるだろうか」と。

ちなみに、「アフリカ」や「外国」という国があるとも思ってたそうです(>_<)

「ねーまま。自民党ってどういう意味~?」
「どうして日本は王様じゃなくて天皇様がいるの?」
「日本で一番偉いのは、総理大臣なの?」

と、聞いてきた事もあった。
この辺りともなると、私などは理論ではなく感覚でとらえてる。
なので、娘にわかるように説明するのがとても難しかった。

我が家はとうの昔に、新聞の購読をやめています。
情報収集はTVのニュースやネット。
新聞はなくても私達夫婦には全く支障なかった。

しかし。
理科社会のような3次元教科は、その気になれば身の回りの事が全て教材になる。
子供に一般的な常識を身につけさせるためには、読ませた方がよかったのか。
と、後になって少々後悔しました(-_-)

しかも中学入学後、保健体育の授業では

「長所は腕です。短所は首です (`・ω・´)キリッ 」

と、真面目に答えてクラスの男子からアホ呼ばわりされた。

私 「言葉の意味がわかんなかったなら、なんで聞かなかったの」
娘 「だって。保健体育だったから体の事を言ってると思った」
私 「笑われたでしょ」
娘 「うん。しかも別のクラスの子からも笑われた。もう恥ずかしい(//>ω<)」

なんというか。真面目で一生懸命なんだけど。
生きていく上での「生活力」のようなものが、全くなかった。
色んな意味で微妙にズレてる部分があった。

こんな娘が得意とする教科は国語。
小さい頃から、本を読むのは大好き。活字のあるものはなんでも読んでた。
なので読み書きに関しては、心配する事もなかった(たまに変な日本語使うけど)

逆に苦手なのは数学。これは小学生の時からだった。
小学5年生の時、余りにもひどい点数を取って泣いて帰ってきました。

これは私の判断基準ですが。
学校、特に公立小学校のテストのレベルであれば

・先生の話をよく聞いて
・教科書をよく読んで
・わからない部分をそのままにしないで
・宿題をきちんとやる

これさえ怠らなければ。
必死こいて家庭学習などしなくても8割は取れるし
学校の授業にもついていけてる。と思っています。

ただ、逆に8割を下回ったら黄色信号。どこかに大きな穴がある。
この穴を埋めない限り、新しいことを詰め込んでもどんどん漏れていく。

娘が取ってきた点数は50点。単元は割合や図形。
小学5年の段階でこの点数はかなり危険。
計算間違いだの、書き間違いのレベルじゃない。

どこか根本的に理解できていない部分がある。
時間がかかっても、過去へ遡ってあやふやな部分を探さないといけない。
どこだ。どこでつまずいた?そう思って聞いていきました。

続きます。


過去(高校受験編) | 09:25:29 | トラックバック(0) | コメント(0)

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