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見当違いだった
前回の続きです。

このまま通院し続けても、効果はない。と気が付いていた。
にも関わらず、ひと言もアドバイスがなかった。

母 「驚いたよ。今までひとっことも、そんなこと言わなかったからね」
父 「あれだな。病院っていうのは、横のつながりがないものなのかな」

病院に、横のつながりがない事はない。
自分の手に負えないと判断した時は、提携先や大学病院へ紹介したりもする。
医者ってのは基本、自分の専門外の分野には疎い。

見当違いの科へ通院して薬を飲んだって、治癒などしない。
逆に、悪化してしまうケースだって、ごまんとある。
だからこそ「見極める能力」が、重要になってくると思う。
けどそれにしたって。

私 「なんでわかってて、言ってくんなかったの。おかしくない?」
母 「それがねえ。“ 聞かれなかったから言わなかった ”って言うんだよ」
私 「何、その小学生みたいな言い訳」

聞かれなかったから、言わなかった。
言われなかったから、やらなかった。

聞かれない事は、例えそれが「患者の有益になる」としても言わないって事か?
でもちょっと待てよ。あの医者、私が色々と聞いたら怒ったよな。
自分に都合の悪い事を聞かれたから、逆切れしたのか?

だとしたらあんまりだよな。
何年も悩み続けてきた母を見て、なにも思うことはなかったんだ。

しかも病院を移ると決めてから、
「実は、ウチでは治らないとわかってました」
なんて言い出す。どういう事よ。

あの医者に良心というものはないのか。
長年毎月通ってくれる「いいカモ」としか思っていなかったのか。

それか、本当は気がついてなかったのかもしれない。
見当違いの治療を誤魔化すために、言っただけかもしれないよな。
どちらにせよ〝 外れ医者 ″だったって事に変わりはない。


母は、今でも言います。
「あのまま、あの婦人科へ通い続けていたら、きっと私、今頃は死んでたわ」



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実家のこと | 13:42:17 | コメント(4)
合わない薬の怖さ
前回の続きです。

結局、最後は本人がどう考えるかなんだよな。
けどなあ。その肝心のお母さんがこれじゃなあ。
あの調子だと、これから先も変わらないんだろうな。困ったもんだ。
そう思ってました。が、しかし。

この出来事は、母にちょっとした影響を与えたようです。
私を非難するドクターを見て、何か思うところがあったのか。

父と母は、大学病院へ行く決断をします。
かかりつけの婦人科には内緒で、自分達で探し、手続きをしたようです。

母達が選んだのは、某大学病院。最初は、神経内科を案内される。
そこで、まずは体全体を徹底的に調べ上げた。けど、器質的な異常は認められない。
最終的には、心療内科で診察を受けることとなった。結果。

不調の原因が、更年期ではなかった。と判明しました。

薄々そうじゃないかとは感じていた。
しかも。更にもうひとつ、驚くべき事実を告げられる。

数年に渡って、飲み続けてきたホルモン剤。
母の場合、婦人科で処方されたこの薬が、かなり良くない作用を及ぼしていた。
大学病院から、すぐに薬の服用を止めるよう言い渡されます。

そして薬を止めた。ここからは、劇的なほどの変化が起こります。
これまでの倦怠感や、焦燥感、不安感が解消された。
活動してる日中の間の不調は、かなり改善される。

ただ、夜眠れないのは相も変わらずだった。
そこで、軽めの精神安定剤を処方される。
と同時に、カウセリングをゆっくり時間をかけて行っていった。

1年も経たないうちに、みるみる様変わりしていく。
顔色も良くなり、以前のようによく喋る元気な母が、少しづつ戻ってきた。
やがては、精神安定剤も必要ないほどまでに回復した。

心療内科通院と同時に、婦人科の通院は止めてしまった。
良くなったのはいい事だ。けど。この経緯を聞き、私は憮然としてしまう。
今まで何年も通院した。効かないどころか、害になる薬を飲み続けてきた。

一体何だったんだ。この数年の苦労は。
婦人科で畑違いとはいえ、わからなかったものなのか。
と思っていたら、とんでもない話を聞いた。

母 「なんかねえ・・お医者様はわかってた。って言うんだよねえ」
私 「わかってたって何を?」
母 「私の症状は、婦人科へ通い続けても、良くはならないって事を」

は??何それ。治らないってわかってて、通わせてたってこと?


続きます。



実家のこと | 08:44:40
病院をチェンジ
前回の続きです。

母 「せっかく、ついてきてもらったのに、嫌な思いさせてごめんね」
私 「いや。それは別にいいよ。それより、何あれ。随分生意気な医者だね」
母 「びっくりしたよ。あんな事言う先生だったなんて・・・ちょっとひどいね」

ちょっとどころじゃないよ。偉そうになんだってのさ。
百歩譲って、性格に難有りでも、腕前がいいなら我慢もする。
けど「良くも悪くもなりません。様子見です」だと?

通院を初めてかれこれ5年。一体、何年様子見みりゃ気が済むんだ。
まさか一生様子を見て終わらせるつもりじゃないでしょうね。

私 「あのさ。病院を変える気はないの。ずっと通っても良くならないんでしょ」
母 「・・・わたし、あの先生の顔を見ると安心するから、替えられなくて」
私 「安心するだけでしょ。良くならないんでしょ。他を色々試すって事は考えないの?」

病院を変えてみなよ。婦人科への通院を止めなくてもいいからさ。
内緒で行けばいいじゃん。別の医者が診たら、違う結果になるかもしれないでしょう。
というのは、これまでもずっと言い続けてきた。けど。

母 「そんな、あちこち通う病院ばかり増えるのもちょっと・・・」
私 「イヤ、だからさ。ダメだったら、止めればいいだけの話じゃん。行くだけ行ってみれば?」
母 「でもねえ・・知らない先生に、一から説明するのも怖くて・・」

母の態度は煮え切らない。
病院をを変えるという選択肢は、頭の中にはないようだ。

私はいけすかないけど、母にとっては癒しであり、カウンセラーのような存在。
本人がそう言う以上、無理に替えても、いい結果にはならない。
メンタル面ってのは、最後はドクターとの相性が大切になる。

それならばもういい。私は何も言うまい。

私 「あ、そう。お母さんがそう思ってるなら、その方がいいね」
母 「病院、かえた方がいいのかね・・。どう思う?」
私 「それはお母さんが決める事だよ。でも、私はあの医者キライ。悪いけどもう付き添わない」

この日、私は【怒】モードでそのまま病院を後にしました。
直感だけど私は「あの医者にかかっても絶対良くならない」と確信していた。
腕前云々以前の問題で、まず人間性がアウト。お話にならない。

私からは、生かさぬよう殺さぬよう、漫然と通院させられてるだけに見える。
医者ってのは成功報酬じゃない。治癒しようがしまいが関係ない。
極端な話、治療が原因で死んでしまっても、患者側は払うものは払わなければならない。

ウチの母親のように他人任せで、医師の言葉を丸ごと信用する。疑問を持たない。
治らなくても大人しく、通院し続ける患者ってのは、商売上いいカモだよな。
私だったら、問答無用であんな医者、さっさと縁を切ってしまうんだけどな。

などと、世の中を斜めからの視点で見る私は考えてしまう。

続きます。

実家のこと | 08:02:00
いけすかない医者
前回の続きです。

一瞬、なぜ怒りだしたのかわからなかった。
こちらとしては、普通に質問してるだけのつもりだった。
ただ。私は思った事はハッキリ言う。そして、それをキツいと感じる人もいる。

この時、私は治療方針に疑問を抱き、ドクターに少なからず不信感を持っていた。
そんな私の態度が、ドクターの気に障ったようでした。

先生「お母さんは何年も前から、調子が悪かったんですよ。心配じゃなかったんですか」
私 「心配はしてました」
先生「本当に心配してたんですか?今まで放ったらかしだったじゃないですか」

さすがにこの言葉には、私もムッとしてしまった。
言ってくれるじゃないの。放ったらかしだと?

私 「私、平日は朝から晩まで仕事をしてます。こちらへ付き添う時間はありません」
先生「仕事?仕事がなんですか。あなたの親の事ですよ。仕事なんてどうでもいいことでしょう」

グウの音も出なかった。悔しいけど何も言い返せなかった。
このドクターの言う事は、正論かもしれない。

しかし。私には私の守るべき生活があり、事情がある。
「仕事なんかどうでもいい」とまで、言われる筋合いのものではない。
じゃあ何か。仕事そっちのけで心配してれば、病気が良くなるのか?違うだろ。

結果が出ない治療の論点を上手くぼかされた。
腕前の悪さをすり替えられてるような気がしてならない。
この頃の私は、まだまだ若く血の気が多かった。

受け流せばいいものを、真に受け、不愉快になってしまう。
一体なんなんだよこの医者。人の不幸を飯の種にしてるくせにしやがって。
ウチの生活にくちばし入れて何様なのさ。黙ってろよ、このヤブ医者め。

口をひらくと喧嘩になりそうだった。
自分の事ならいい。喧嘩してこんな病院など、二度と来やしないだけの話だ。
けど、相手は母のかかりつけ医。下手な事は言えない。

がまんがまんがまんがまん。
と、心の中で唱え、これ以降は口を閉ざす。
最後のあいさつも、軽く頭だけ下げ、早々に診察室を出てしまいました。

正直者の私。考えてることが、モロ顔に出ていたのでしょう。
大分後になってから、このように言われました。
「あの時は、すごい怖い顔だった。喧嘩するかと思ったよ」

そして。診察室を出てすぐ、母が駆け寄り謝ってきます。

続きます。



実家のこと | 08:28:24
結果の出ない治療
前回の続きです。

通院先の婦人科は、大層繁盛してる病院でした。
待合室には患者さんがいっぱい。出入りもひっきりなしだった。
予約をしていても、平気で2時間3時間待たされる。

病院&待たされるのが嫌いな私。
予約してんのに、なんでこんなに待つのさ。一体、なんの為の予約なのさ。
と、心の中で悪態をつきながら、待つ事3時間。

ようやく診察室へ入り、担当のドクターと顔を合わせた。
ドクターは、60代位のひょろっとした神経質そうなおじいさん。
あいさつの後、これまでの経緯について、説明を受けます。

お母さんの不調の原因は、ホルモンバランスの崩れが原因だと思われます。
そこで、今はホルモン補充療法で、様子見をしてる最中です。
症状は一進一退。良くも悪くもなっていません。そんな状況が5年ほど続いてます。
というものでした。

ここで、疑問がふつふつとわいてきます。
5年も通院して何も変わらない。そんなもんなのか?

悪化しないだけ、よしとしなければならないのか?
これって、意味のある事なのか。
私には、結果の出ない治療に、お金と時間を費やしてるとしか思えない。

しかもウチの母は、持病を抱え数種類の薬を飲んでいる。
それに加え、ホルモン剤まで飲み続ける。あんまり体に良くなさそうだよな。
当初は聞くつもりがなかったけど、思わず疑問をぶつけてしまった。

私 「ホルモン剤って、絶対に飲まなくちゃいけないものなんですか?」
先生「私は、そうした方がいいと思います」
私 「副作用が心配なんですけど、その辺ってどうなんでしょう」
先生「薬は、どんなものでも副作用があります。それを言ったら、何もできませんよ」

ほー。そうですか。そんなもんなんですね。
ちっとも良くなってないのに、ずいぶん自信満々だなあ。

私 「それにしても長いですね。更年期障害って、こんなに長引くものなんですか」
先生「個人差があります。平気な人もいます。なんとも言えません」
私 「では、母の症状がいつ良くなるかまでは、わからない。そういう事ですね」

これに対しての返事はなかった。ドクターは黙ってしまった。
この様子を見て私は、良くなるとも悪くなるとも、わからないんだな。と判断した。
まあいいや。治る治らないについては、とりあえず今は置いておこう。

むしろ本題はこっちだ。「おかしい」発言の真偽を確かめなければ。

私 「すいません。あともうひとつお聞きしたい事がありまして」
先生「なんでしょう」
私 「実は、母が先生から、気になる事を言われた。と言ってまして」
先生「というと?」

ここで、母が先生に「頭がおかしい云々」と言われた。
これは本当に言った言葉なのか。聞き間違いなのか。
言ったとしたら、どういう意味で言ったのか。という内容を問いただした。

するとドクターは、心外だ。というように言ってきた。
先生「私はそんな事言ってません。お母さんの勘違いです」
私 「そうですか。わかりました」

言った言わないという話は、しょせん水掛け論にしかならない。
もういいや。これ以上話しても、あんまり意味がなさそうだ。
私としては、ここで終了して帰るつもりだった。しかし。

先生「ちょっと待って下さい。あなた、一体なんなんですか?」
それまで穏やかだったドクターが、ここで豹変した。

先生「いきなりやって来て、勝手な事言って。失礼じゃないですか」
何やら、怒りだしてしまった。

続きます。

実家のこと | 08:20:25
更年期中のメンタル
前回の続きです。

母のメンタルが一番悪くなったのは、55才の頃。
常にに不安感に襲われる。体が重い。夜は1時間おきに目が覚める。
気の休まるときがない。会うたび、暗い顔で愚痴をこぼしていた。

毎日毎日、母から愚痴を聞かされる父は、うんざりしていたと思う。
2人でウチへ遊びに来た時に、こうぼやいた。

父 「俺まで、おかしくなってしまいそうだ」
母の調子の悪さに、父まで引っ張られてしまいそうだった。
これはいかん。このままだと、お父さんまで病気になってしまう。

この頃、私は出産を控えていた。そこで私はこんなことを考えた。

そうだ。出産後、少しの間ウチへ来てもらうのはどうだろう。
ひょっとすると、生活に変化が出て、少しは気持ちが晴れるかもしれない。
お父さんも少しの間、愚痴の聞き役から解放される。

そう思い、出産後は2週間ほど滞在してもらい、育児や家事を手伝ってもらった。
けど、思惑通り上手くはいかない。鬱鬱とした表情に変化はない。
夜も寝れていない様子で、顔色も良くなかった。

一番困ったのが、なんの前触れもなくいきなり泣き出すこと。
「孫の顔が見れて嬉しいはずなのに、ちっともそう思えない」

そう言い、横でさめざめ泣き始める。そして目の前では生後間もない娘が泣く。
こっちが泣きたい気分だ。勘弁してくれよ。とさえ思った。
結局、調子の悪さは治ることなく、実家へ戻っていった。
それから3年ほどは、この状態が続くこととなる。

私も心配ではあったけれど、ウチにはウチの生活がある。
母親の事だけ気にしてはいられない。自分の足元を固めるだけで精一杯。
そのうちに私は、仕事を始めた。慣れない子育てに格闘もしていた。

仕事と家事と育児と忙殺される日々を過ごす。
そんなある日のこと。父と母がやってきて、このような相談を私へしてきた。

母「私が通ってる病院の先生が、この間、妙なことを言ってきたんだよ」

当時、このメンタル不調の原因は更年期障害だと診断されていました。
月に一回、婦人科へ通院して、ホルモン補充療法を受けていた。

私 「妙って何が?何を言われたの?」
母 「私の頭がおかしい。変だ。って言ってきた」
私 「え。本当に?聞き間違いじゃないの」
母 「聞き間違いじゃない。私はハッキリ聞いた。おかしいって言われた」

その場にいない私には、どうしてそんな事を言ったのか。
本当に、そんな事を言ったのか。という判断のしようがない。
いつも一緒に病院へ行き、説明を受けていた父へ聞いてみるも。

父 「いや~・・俺、そのあたりの会話は、全く聞こえなかったんだ」
ウチの父は、左耳が聞こえません。かつ、右耳も聞こえが悪い。
なのでこの時、母と医者がどういうやりとりをしたのか、要領を得ない。

そして母はぐちぐち言い始める。
「やっぱり私は狂ってるんだ。おかしいんだ」
また始まったよ。と、聞いてる私、次第にイライラ。
ここでああだこうだ言っても、埒が明かない。そこでこう提案しました。

私 「わかった。今度の診察いつ?一緒に行って、私がその医者と話してみるよ」

こうして。母の通院先の婦人科へ、私も一緒に行く事になります。
続きます。

実家のこと | 08:14:32
心配の種を探す
前回の続きです。

50才の時に、メンタルを大きくを崩した母。
きっかけは、借金の完済に伴うライフスタイルの変化。
加えて、閉経の時期が重なったのも良くなかった。

最初は更年期障害を疑い、まず婦人科で診察を受けました。
病院で出た結論は、ホルモンバランスの崩れからくる精神的不調。
そこで、母はホルモン補充療法を始めることにします。

しかし。ここから長かった。述べ5年以上、通い詰めることとなる。
その間、ずっとホルモン剤を飲み続けるが、不調は改善されなかった。

この頃の母は、しょっちゅう電話をかけてきて、不満や愚痴をこぼしていた。
「みんな、私の事、頭がおかしいと思ってる」
「あの人、この間こんな事言った。きっと私の事が嫌いなんだ」

そんなことないよ。もし、そうだとしても気にしなけりゃいいじゃん。
と、私は何度も言うけど、聞く耳など持たない。
相手の態度や言葉を深読みし、被害妄想に取りつかれ、悲観する。

私は訳がわからなくなった。なんでこうなっちゃうの?
口にする言葉は、大変だった頃と変わらない。むしろ愚痴に拍車がかかってしまった。
もう借金無くなった。残りの人生、のんびり楽しくやればいいじゃん。と思い

私 「編み物やるとかさ。カルチャースクール行ってみるとかしてみれば?」

と言ってみるものの
母 「目が疲れるから、編み物はイヤだ。出かけて、人と話すのが怖い」
と、ことごとく却下されてしまう。もう打つ手なし。といった感じだった。

想像するに。
おそらく母は、急な環境の変化についていけなかった。
長年染み付いたネガティブ思考は、簡単に払拭できない。
私からすると、どこか「不幸になる種」を探してるように見えた。

それまでの母は、どちらかというと物事に対し後ろ向きな姿勢だった。
先の事を心配し、悲観し、不平不満を持つ。敵を作る。愚痴をこぼす。
逆境時にはそうすることによって、心のバランスを保ってきたともいえる。

そこへ突然ふってわいた、幸運な出来事。
何日も断食をした人間に、いきなりご馳走を食べさせたようなものだった。消化不良を起こした。
体同様、心にも変化に対する準備期間が必要だったんだ。

気をつけなくちゃいけないんだな。不運だろうが、幸運だろうが関係ない。

ベクトルの向きが違うだけで、本質的なものは一緒なんだ。
「物事が大きく変わる」時というのは、細心の注意を払わなければならないんだ。
数年間、悩み続けた母を見てそう感じた。

思いもよらない事態に、見かねた父がこんなことを言い出す始末。

父 「こんなふうになってしまうんだったら、借金があった方が良かった」


続きます。

実家のこと | 08:01:04
不幸体質が抜けきらない
前回の続きです。

農地を売り、借金を完済した父と母。

しかし。これ以降はしばらくの間、根も葉もない噂を囁かれるようになる。
農地を手放してからというもの、周囲の態度が微妙に変わったそうです。

田舎なので、こういう話はひろがるのが早い。
みんな刺激に飢えてる。変わった出来事があろうものならもう大変。
あっという間に、ご町内ほとんどの人間が知ることとなる。そして。

噂がひろがる途中で、尾ひれがくっつき、実態とはかけ離れた内容となってしまう。
「1億円で畑を売って左団扇になった」
「農地を売ったお金で、豪邸を建てたらしい」

農機具を交換する。車を買う。例えそれが、中古の安い品であっても
「お金たくさん貰った人は違うね~。いくらで売れたの?」
と、やっかみ半分で、痛くもない腹を探られる始末。

怖いよなあ。でも気持ちはわからなくもない。
だってこれは、汗水たらして働いて得たお金じゃない。
どちらかというと、宝くじに近い感覚。ラッキーの一言に尽きる。

「なんであそこんちなんだ。ウチに来てくれば良かったのに」
と、腹の底では思ってる。逆の立場だったら、私だってそう考える。
それでも人の噂も七十五日。やがては関心が薄れていく。

債務弁済という重荷から解放された。
これからは自分の為に働き、好きな事ができるようになる。
ちょうどこの頃、私は妊娠した。じきに、初孫の顔を見せる事もできる。
良かった良かった。と、私は単純に喜んだ。


けれども。そうは問屋がおろさなかった。

なんと、借金完済を境に、母がメンタルを大きく崩してしまう。
この時は、トラブルなどなかった。むしろ、いい事が続いていた。
それなのに、次第に様子がおかしくなっていく。

突然攻撃的になったり、泣き出したりする。
何を思ったのか、いきなりクワを持ち出し、父を追いかけまわした事もあったという。
母曰く 「自分でもわからない。きっと、頭がおかしくなってしまったんだ」

自分で自分の心を持て余している様子だった。
父も困り果てていた。原因がさっぱりわからなかった。ただ、この時。
農地買収の際、電力会社の人が発した「最後の言葉」を思い出す。


今までご苦労され、大変でしたね。でも、本当に大変なのはここからです。
中には、安心してガクッと来る人もいます。くれぐれも気をつけて下さいね


突然の大金を手にして、身を持ち崩す。自分を見失う。気が抜ける。
そうなってしまう人は、思いのほか多い。頭ではわかっていた。
けど、どこか人事のように感じていた。ウチは大丈夫、と。

甘かった。こういう事だったんだ。
先方はたくさんの事例を見てきている。その上での忠告だったに違いない。
張り詰めていたものが、急に無くなってしまった時の人間は脆い。

苦労を重ねてきた人は、逆境への耐性がついてる。
けど。突然の幸運に対してはどうだろう。

歯を食いしばり、じっと我慢し続ける。という、これまでの思考パターンから脱却する。

それは思ってるより、難しいものなのかもしれない。

続きます。




実家のこと | 08:16:09
何が幸いするかわからない
前回の続きです。

ある日突然、ふってわいたような農地の買収話。
最初聞いた時は、私も父同様に不思議さと胡散臭さを感じました。

どうして、あんなド田舎の農地を欲しがるのか?
他の場所ではなく、なぜ、実家の農地を選んだのか?

でも、話を詳しく聞いていくと、なるほどなあ。と思う事がたくさん出てきます。
この手の施設は、そこそこの大きい敷地面積を要する。
人口密度の多い場所を選択すると、交渉する人間の数も多くなり、経費もかさむ。

辺鄙な場所というのは、先方にとっても都合が良かった。
場所の目星をつけたら、あとは買収に応じてくれる地権者を探す。

但し。ここからは、かなり慎重にことを進めなければいけない。

父 「向こうは、ウチの内情を色々調べてから来たようだった」

先方はこちらの懐事情も、所有してる農地の広さも把握していたようです。
おそらくは、入念な下調べと調査の末、交渉へやってきた。
買い取る側からすれば、面倒な事を言わない地権者がいいに決まってる。

田舎の人間はお人好し。などと思ったら大間違いで、がめつい人間は多い。
この手の話を持ちかけられ、ここぞとばかりにふっかける輩もいる。
先方もその辺は重々承知している。なので地権者選びには、特に慎重になる。

ここで、自宅と本家の2か所に農地を持つ。という実家の特殊な事情が幸いした。
本家の農地は、元々ウチの土地ではない。
耕作する人間がいないので、仕方なくウチの親が管理してたに過ぎない。

本家の農地を売っても、自分達の農地は残る。元に戻るだけの話だった。
農地を売る事によって、収入が著しく減るとか、離農に追い込まれる事はない。

けど、普通の農家は違う。農地はお金を産む大切な資産。
農家にとって、農地を手放すのは、それが一部だとしても死活問題。
ましてや全部となると、それ相応の買収金・補償金を求めることになる。

父 「面白いんだよな。ちょうど、借金が無くなるような価格を持ちかけてきたんだ」

ここで先方の提示した金額が、高いのか安いのかはわからない。
こういった時の相場など、私達には知る由もなかった。

けど、先方の言い分としては。
借金を帳消しにできる分くらいは、お渡ししますよ。
どうですか。悪い条件ではないですよね。という事だった。

確かに悪い条件ではない。むしろいいくらいだと思う。
あんなド田舎の農地なんて、普通に売ったら二束三文にしかならない。
いや。そもそも、売れるかどうかだってあやしい。

父も同じように考えたらしく、この買収話に素直に応じました。
先方の言い値にケチをつけず、その後はトントン拍子に話が進んだ。

数年後。本家の農地は、電力会社が買い取ることとなります。
そしてウチの親が背負った借金は、この時点でキレイに無くなった。

70才近くまで支払い続けるつもりだった借金が、50才で完済できた。
予定の半分の期間で、重荷から解放される。想像もしていなかった。

結果的には、足かせとなっていた本家の農地が救ってくれた。
こんな事ってあるんだな。真面目に頑張り続けると、いい事があるんだな。と、思った。
父や母は、今でも笑ってこう言う。

「俺達は、電力会社に足を向けて寝られないんだ。本当に助かった」と。

今、本家の元農地には、立派な変電所が建っている。

続きます。

実家のこと | 09:31:56
真面目な人間は損なのか?
前回の続きです。

自分が作った借金ならともかく、きょうだいとはいえ、人が作った借金を返し続ける。
債務弁済当初、私は小学3年という事もあり、事情が理解できていなかった。
けど成長し、ことの経緯を知るにつれ、理不尽さを感じるようになる。

借金主であった叔父。その後は新しい仕事を順調に続けていた。
やがて結婚して、可愛いたくさんの子宝にも恵まれる。
生活に余裕はなさそうだったけれど、とても幸せそうに見えた。

そんな姿を見て、私は不満をつのらせていく。
なんなのこの人。あんたのせいで、ウチの親は大変な思いをしてるんだよ。
それなのに、なんであんたは人並みの幸せを掴んでるのさ。

馬鹿みたい。真面目な人間が報われるなんて嘘だよな。
借金を押し付けるような人間が、普通の生活を送ってるじゃない。
世の中って、真面目な人間が損するように出来てるんだな。とも思った。

父が、一度だけ何かの拍子に呟いた言葉が忘れられない。
「俺達の人生ってなんだろうな。他人の借金返して一生を終えるのかな」

借金が終わる頃には、もう70才にもなってしまう。
あとはもう、死を待つだけの余生を送る。自分達はこういう運命なんだ。
楽しい老後も、明るい未来も想像できない。

悲観的で、鬱鬱とした思いを抱えながら生活していた。

しかし。世の中捨てたもんじゃなかった。
借金を抱えてから15年目の事です。
ある日突然。ウチの親の元へ、思いもよらない話が舞い込んできました。

「お宅様の農地を、弊社へ売っていただけませんでしょうか」

ウチの農地を買い取りたい。という企業が現れたのです。
しかも買収を希望しているのは、本家の農地でした。
10ヘクタール分、全ての農地を買い取りたいと言ってきた。

そして話を持ちかけてきた相手先企業は、電力会社でした。
先方は、変電所を増設するための用地を探していた。

最初ウチの父は、なんでこんなド田舎の農地を欲しがるんだ?
と訝しんだそうです。当然かもしれません。
実際、本家の土地家屋は普通に売り出しても、買い手などつきそうになかった。

本家の農地はウチの実家以上、不便な場所にありました。
買い物する場所も、病院も何もない。公共の交通手段はバスしかない。
けど、そのバスでさえ、一日数本しか走らない。

住宅もまばらに点在するだけ。周りはみんな農家ばかり。
隣の家へ行くまで、1キロも2キロも歩くような僻地でした。

多分ですが。
この本家の農地は、電力会社が買い取ってくれなかったとしたら。
今も、買い手がつかなかったと思われます。


続きます。

実家のこと | 08:18:50
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